だいぶ前の事なのだけど、あるブログを読んでいたら熊之助というタイトルのお話があった。
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そのブログ主さんがある日、ふとした思い付きで実家の神棚を掃除した。
ずいぶん長い間放置されていたらしく、明治時代のお金とか数珠、
他にも訳のわからないものが混然と仕舞われていて、おそら100年くらい掃除してなかったのではないかとのことだった。
その時に、神棚のメインではない横のほうに、なにか作られた作品があるのに気がついた。
倉庫のような物と書かれていたので実際どのようなものか謎だが、
神棚のあたりに置けるくらいなのだから大きな入れ物か箱みたいなものなのだろうか?
それを雑巾で丁寧に拭くと
熊之助作
明治○年
ご先祖様の名前と作られた日にちが書かれていたという。
普段気にもしていない、そこに当たり前のようにあった神棚。
意図せずタイムカプセルになっていたという話を読んでとても面白いと思った。
私は、とっくの昔に実家というものがなくなってしまったし、自分の暮らしは根無し草のような転勤族ということもあってちょっと憧れちゃう発見のおはなしだった。
雑然と昔のものが仕舞われている場所はワクワクする。
古い小屋とか、朽ち果てそうな廃墟とか、散歩中に見つけると入ってみたくなる衝動を抑える。
熊之助さんの作った箱。
それが価値あるお宝じゃなく、なんだかわからないただの箱というのが想像力を掻き立てられる。
そこにそれを作った生身の人間の感情のようなものが感じられて面白い。
そして当然だが会ったこともない熊之助さんというご先祖様がいるから、発見したその人がそこに存在する。
100年前に熊之助さんという人が確かにそこで生活していた。
なにか毎日が嫌になるくらい退屈だったのかもしれないし、
嫌なことをなにかを作って没頭したかったのかもしれない。
それとも、ものすごく器用な人でいつも人に頼まれてはそれを作っていたのかもしれない。
そこにはその時代の日常があって、熊之助さんというご先祖様の歴史があるのだ。
歴史に名前を残さなくとも
芸術的な作品でなくとも
この世になにかが残って子孫に発見されるという奇跡。
ご先祖様、ただいま捜索中! - あなたのルーツもたどれます (中公新書ラクレ)
あたりまえだが100年後というのは必ずくる。
100年後には化石のような存在となったスマホという端末。
それを引き出しから発見した子孫によって
このブログに書いた日常が発見されるかもしれない。
たしかに100年前のそこに日々の営みはあった。
楽しかったり
苦しかったり
生きていたご先祖様がいた。
そんな風に100年後の誰かに発見されるのかもしれない。
ココ