ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

茶色い手から緑の手に。

 


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ベランダで野菜を育てて、収穫するのに挑戦しても、うまくいったためしがない。

 

過去に誰でもできるよと言われて、ミニトマトを育てれば、茎にびっしりとアブラムシが列になっていて、見ただけでどうしていいか分からず萎えてしまった。


大葉とかバジルも、挑戦して出来るには出来たが、大収穫とはいかなかった。


プランターにピーマンを植えた時、その時はたくさん収穫できたけど、驚くほど硬かったので二度とやらないと決めた。


 

つくづく農家の人は凄いんだと実感した。


自分が食べる分の野菜を、自作でまかなう生活。
心底憧れるが、まず私には無理そうだ。


それでも懲りずに春になって、ホームセンターに苗が並ぶと、よせばいいのにいくつか買ってみる。



災難なのは、買われた植物や野菜の苗で、うちに来たと同時に、なにか急に元気がなくなるような気がするのが悲しい。



愛情が足りないのか、水のタイミングとかが悪いのか、土が悪いのか?




今年も、私のベランダ菜園は、ほとんど収穫など出来ずに、花を見て終わってしまったけれど、1種類だけやけに上手くいった。



 

 

 



見切りの棚に50円で売っていた唐辛子。

鉛筆みたいにひょろひょろ細い。

可憐な白い花も可愛かった。

 

 


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そして、緑から赤へと変化するのも、面白い。


そんなに辛くないので、お弁当のいろどりの緑に、大活躍した。
ピーマンみたいに食べれた。
そして硬くもなかった。

ひとつでもうまくいったので、ちょっと救われたし、目でも楽しませてもらって可愛い唐辛子だった。

 




植物が育たないのは4階で風が強いからと言い訳したいが、よく考えると私の母は、団地の4階に住んでいて、ベランダが重さに耐えられるか不安になるくらい鉢植えが並び、ジャングルのように生い茂っている。



母は毒舌で、娘には時折グサグサくる対応をするが、
こと植物に対しては熱心に世話をするし優しい。
植物には惜しみない愛情を注ぐ。



見切り価格になった植物。
母が買った時は瀕死状態だった葉っぱも、生き生きと蘇り、艶も良く、シャキンと起き上がっている。

見違えるほど立派な姿になる。


狭いベランダで、すごいでしょと次々見せられるのだが、これは本当に凄いと思う。



誰から聞いたのか、2リットルのペットボトルの中に、錆びたくぎと、水とバナナの皮を入れて、おひさまに当てて漬け込んだ、怪しい自家製の栄養剤を作っている。

なんだか気味の悪い黒い液体。
これをかけると、ものすごく元気に育つらしい。


他にも、植物に関する、コツを色々知っていて、何かの間違いかと思うほど短く切ってしまったり、葉っぱを刈ってしまうけれど、その後青々と復活している。


離婚前に、一軒家に住んでいた時の大昔の庭の事を、ひとつひとつ覚えていて、いまだに悔しがっている。
今の私よりうんと若い頃だから、その時から庭いじりが好きだったことになる。

 

観察する事が好きなのだ。


親子でも全く植物との相性が逆なので、我が家で植物が元気がなくなってきた時は、

「この葉っぱを入院させてくれ」と言って枯れた鉢植えを母に渡してしまうことにしている。

 

 

私はいわゆる茶色い手の持ち主、母は緑の手の持ち主なのだろう。

 

 


以前、観葉植物が可哀想だから、私はもう置かない事にすると母に言った事がある。

 

 



「あなたの調子の悪さを、観葉植物が被ってくれて、持って行ってくれたと思えばいい。」
「ありがとうって思えばいいじゃない。」

 

 

母にそう言われたので今は、本当にちょこっとだけグリーンを置いて楽しんでいる。



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私のネガティブな感情やら、悪い気を引き受けてくれた過去の植物には、感謝しなければと思う。

最近、生活のペースを落とし、ゆっくり過ごす時間が増えてきたので、植物も心なしか前より元気になったような気もする。



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素敵なサプライズ。

 

 

 




4年まえの冬、我が家にしては奇跡的に何年も生きていたサンセベリアが、一枚ずつ葉っぱがダメになり始めた。

寒さで根っこが凍ってしまったのか、長い葉っぱがグラグラになって一人で立っていられなくなる。

一枚はがすと、次の葉っぱがぐらぐらして寝てしまう。

次々葉っぱが減っていく。
見た感じではもうダメそうだった。
当時、春に転居が決まっていて、引っ越しの準備でバタバタしていて、処分しようか迷った。

そのサンセベリアも、諦めきれず母の狭い団地に、最後の望み、入院と称して持ち込んだ。

 

 

それからサンセベリアの事は、忘れて暮らしていた。




そのサンセベリアに、今年の初夏、花が咲いた。


夜の間に咲いていたらしく、朝ベランダに出た母に、嬉しいサプライズがあったようだ。

弾んだ声で花の事を報告する母。
何年も植物を育ててきた中で、サンセベリアの花は初めて見たようだった。

私が見た時は、花のピークが過ぎていたが
とても可憐な花だったらしい。

 


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残った花は、少しベタベタしていて、強い甘い匂いがしていた。


 

一時期は、瀕死の状態にまでなったのに、
きっと大切に世話をしてくれた母に、サプライズで咲いてくれたのだろう。




花の甘い香りをかぎながら、植物もひとつの命であることを痛切に感じた。
ダメになったりまた立ち直ったり、人間とも共通する部分に不思議な気持ちになった。


長い間共に暮らし、そばにいて喜怒哀楽を見てくれていたサンセベリア

植物も、一生懸命生き、何かを感じ、答えてくれている。



 

 

 

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