ベランダで野菜を育てて、収穫するのに挑戦しても、うまくいったためしがない。
過去に誰でもできるよと言われて、ミニトマトを育てれば、茎にびっしりとアブラムシが列になっていて、見ただけでどうしていいか分からず萎えてしまった。
大葉とかバジルも、挑戦して出来るには出来たが、大収穫とはいかなかった。
プランターにピーマンを植えた時、その時はたくさん収穫できたけど、驚くほど硬かったので二度とやらないと決めた。
つくづく農家の人は凄いんだと実感した。
自分が食べる分の野菜を、自作でまかなう生活。
心底憧れるが、まず私には無理そうだ。
それでも懲りずに春になって、ホームセンターに苗が並ぶと、よせばいいのにいくつか買ってみる。
災難なのは、買われた植物や野菜の苗で、うちに来たと同時に、なにか急に元気がなくなるような気がするのが悲しい。
愛情が足りないのか、水のタイミングとかが悪いのか、土が悪いのか?
今年も、私のベランダ菜園は、ほとんど収穫など出来ずに、花を見て終わってしまったけれど、1種類だけやけに上手くいった。
見切りの棚に50円で売っていた唐辛子。
鉛筆みたいにひょろひょろ細い。
可憐な白い花も可愛かった。
そして、緑から赤へと変化するのも、面白い。
そんなに辛くないので、お弁当のいろどりの緑に、大活躍した。
ピーマンみたいに食べれた。
そして硬くもなかった。
ひとつでもうまくいったので、ちょっと救われたし、目でも楽しませてもらって可愛い唐辛子だった。
植物が育たないのは4階で風が強いからと言い訳したいが、よく考えると私の母は、団地の4階に住んでいて、ベランダが重さに耐えられるか不安になるくらい鉢植えが並び、ジャングルのように生い茂っている。
母は毒舌で、娘には時折グサグサくる対応をするが、
こと植物に対しては熱心に世話をするし優しい。
植物には惜しみない愛情を注ぐ。
見切り価格になった植物。
母が買った時は瀕死状態だった葉っぱも、生き生きと蘇り、艶も良く、シャキンと起き上がっている。
見違えるほど立派な姿になる。
狭いベランダで、すごいでしょと次々見せられるのだが、これは本当に凄いと思う。
誰から聞いたのか、2リットルのペットボトルの中に、錆びたくぎと、水とバナナの皮を入れて、おひさまに当てて漬け込んだ、怪しい自家製の栄養剤を作っている。
なんだか気味の悪い黒い液体。
これをかけると、ものすごく元気に育つらしい。
他にも、植物に関する、コツを色々知っていて、何かの間違いかと思うほど短く切ってしまったり、葉っぱを刈ってしまうけれど、その後青々と復活している。
離婚前に、一軒家に住んでいた時の大昔の庭の事を、ひとつひとつ覚えていて、いまだに悔しがっている。
今の私よりうんと若い頃だから、その時から庭いじりが好きだったことになる。
観察する事が好きなのだ。
親子でも全く植物との相性が逆なので、我が家で植物が元気がなくなってきた時は、
「この葉っぱを入院させてくれ」と言って枯れた鉢植えを母に渡してしまうことにしている。
私はいわゆる茶色い手の持ち主、母は緑の手の持ち主なのだろう。
以前、観葉植物が可哀想だから、私はもう置かない事にすると母に言った事がある。
「あなたの調子の悪さを、観葉植物が被ってくれて、持って行ってくれたと思えばいい。」
「ありがとうって思えばいいじゃない。」
母にそう言われたので今は、本当にちょこっとだけグリーンを置いて楽しんでいる。
私のネガティブな感情やら、悪い気を引き受けてくれた過去の植物には、感謝しなければと思う。
最近、生活のペースを落とし、ゆっくり過ごす時間が増えてきたので、植物も心なしか前より元気になったような気もする。
素敵なサプライズ。
4年まえの冬、我が家にしては奇跡的に何年も生きていたサンセベリアが、一枚ずつ葉っぱがダメになり始めた。
寒さで根っこが凍ってしまったのか、長い葉っぱがグラグラになって一人で立っていられなくなる。
一枚はがすと、次の葉っぱがぐらぐらして寝てしまう。
次々葉っぱが減っていく。
見た感じではもうダメそうだった。
当時、春に転居が決まっていて、引っ越しの準備でバタバタしていて、処分しようか迷った。
そのサンセベリアも、諦めきれず母の狭い団地に、最後の望み、入院と称して持ち込んだ。
それからサンセベリアの事は、忘れて暮らしていた。
そのサンセベリアに、今年の初夏、花が咲いた。
夜の間に咲いていたらしく、朝ベランダに出た母に、嬉しいサプライズがあったようだ。
弾んだ声で花の事を報告する母。
何年も植物を育ててきた中で、サンセベリアの花は初めて見たようだった。
私が見た時は、花のピークが過ぎていたが
とても可憐な花だったらしい。
残った花は、少しベタベタしていて、強い甘い匂いがしていた。
一時期は、瀕死の状態にまでなったのに、
きっと大切に世話をしてくれた母に、サプライズで咲いてくれたのだろう。
花の甘い香りをかぎながら、植物もひとつの命であることを痛切に感じた。
ダメになったりまた立ち直ったり、人間とも共通する部分に不思議な気持ちになった。
長い間共に暮らし、そばにいて喜怒哀楽を見てくれていたサンセベリア。
植物も、一生懸命生き、何かを感じ、答えてくれている。
ココ