ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

そして不器用はつづく。

どう振る舞えば正解なのかが分からず、人見知りして浮いてしまう人。
緊張してうわずり、完全に声のボリュームを間違っている人。
いたたまれなかったのかいつの間にか帰ってしまった人。


不器用な若者をなんだあいつと嘲笑したくない。

ぜんぜん憎めない


ぜんぶ昔の自分に当てはまるから。

社会人デビュー。




18歳高校卒業後。

たぶん私は今の自分の子供たちの何倍も精神が幼かった。
ものごころが付くとは世の中が分かってくる年頃の事を言うらしいが
私はあの頃、まだものごころが付いていなかった気がする。




親から離れ寮で暮らし、たくさんの同期との共同生活。
寮にいる限りは孤独とは無縁で毎日が修学旅行のように楽しい日々を3年ほど過ごした。


自分勝手に生きていた。
思えば当時はこんな大したことができない自分でも給料が貰えるような景気が良くて寛容な時代だった。


仕事が終わると部屋に戻る。
私の部屋はたまり場だった。
214号室。

吸殻だらけのでかい灰皿
もくもくと煙る部屋。

友人が当時の私をイメージする言葉を書いて送ってくれた。

セッター、缶コーヒー、はみ出た口紅、文庫本、猫背、ジーパン
色々な音楽が流れる部屋。
私には真似のできない生き方。


その文字の羅列を見た時
脳裏に浮かぶ20代のいつもぼんやりとあった気持ち。


たくさんの仲間といても、どこか心の片隅に本当の自分の正体を隠しているような自分。


仕事の休憩時間。
社員食堂で一番安くて早く出てくる150円のそばに唐辛子を山ほど入れて5分で食べる。

人と話すのが嫌で屋上に行ってタバコを吸いながら本を読んでいた。


一人で太宰を読んで午後から明るく楽しく元気に働くための英気を養っていた。


人が大好きで、人と関わりたいと思っていて、そして人が大の苦手。

かっこわるい自分。



20代。

田舎に帰ってもまだ時々友人と連絡を取り合っていた。
新潟の友人の家まで日本海側を長い長いドライブ。

会って話したかった。
日本海の夕焼けで写真を撮った。
うちに遊びに来てと言われた。
とっていたホテルをキャンセルし、豪華な食卓でもてなされ泊めてもらう。

あたたかい性格の友人。

よく似た面白いお父さんと優しいお母さん。
思いがけずご馳走になり心から楽しい時間だった。





夜の方が道路が走りやすいから
お二人にはくれぐれもよろしくと伝えて
本当に嬉しかった
ありがとう。




そういってまだ夜明け前に挨拶もせずに家を出た。


このまま朝になり、
たぶんまた凄いもてなしを用意される恐縮。


ありがたいのに気まずい。

申し訳なさとの葛藤



幼かった20代。

自分から訪ねておきながら最後まできちんとできなかった無礼な20代の自分。
ありがとうございますと言えばいいだけなのにそれが出来なかった。

すごくかっこわるくて
ダメな自分だった。




今なら何時間でも腰を据えてお喋りをして
大切な出会いのひとつひとつ全力で向き合える。

逆に傷つけているのに。



40代。

ホームヘルパーを辞めた。

利用者さんの1人1人に
どうしてもさようならが言えなかった。

もうここには来ないですと言った時のお年寄りの寂しい顔が見たくなかった。
自分のことが嫌いでやめるのか?
訪問しないことが拒絶と思うのではないか・・・


もう生きているうちに会うことはないであろう高齢者。
この人の前から去ることでもしも傷つけてしまったらという自分への買い被り。
別に次はどんな人だろうと楽しみに思うお年寄りだっているのだ。
お元気でお過ごしくださいと言えばそれで済んだのだ。



たかだか自分が辞める事ひとつ相手に言えないおかしな人だった。
こうやって人と別れる瞬間をいつも避けてきた。


こんな風に今までの人生。

何度も何度もその場から何も言わずにそっといなくなった。




それは考えの浅はかさだったり
どうしようもない根底にある性格の暗さであったり
責任感のなさや身についた逃げ癖だったりもするだろう。

べつにだめでもいい。




不器用な若者がいる。
謙虚すぎる人がいる。
言葉が下手くそな意地っ張りがいる。
なじめない陰キャがいる。
グループに入らずひとり黙々と食べる人がいる。
少し浮いた存在がいる。
合わないコミュニティになかなか染まれない人もいる。



人は人の中で育つ。
分かるのには時間が必要だ。
ゆっくりゆっくり育てばいい。

変な子供だった自分。
大人になっても
変な人だった自分。

たぶんこれからもずっと変な人は続く。



人はみんな同じではない。
寛容でありたい。
そんなふうに思う。



                      ココ