ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

まったくバエないまいにちのくらし。


お気に入りの上質な品物だけに囲まれて暮らしたい。
そんなことを考えながら、
断捨離→買い直すという矛盾と無駄を何度も繰り返していた。

お金を無駄にした。

すまなかったと物にも夫にもあやまりたい。



繰り返す断捨離。

結局は物に囲まれて暮らしていた頃も、
物を断捨離して新たなものを買いなおす行為も
同じなのだ。

ときめかないから捨てる。
それは
たぶん二度と使わないものだから捨てましょう。

流行りの本を読んでかなりの物を捨てたが、普通に「捨てなきゃよかった」と後悔している物もたくさんある。
なにかの受け売りで、勢いでやる断捨離はアドレナリン放出状態だからやりすぎる。
物を一つずつ使い切ればよかった。


あー、あれも捨てちゃったよな。
しまった捨てなきゃよかった。
ま、いっかまた買えば。
100均に行こうか。
それともネットで・・・
そんな事を繰り返した。


物のばちが当たるんじゃないかと思う。





我が家は転勤族だ。
30代で二回目の転勤の時に引っ越し屋のおじさんにちょっと呆れられた。
「引っ越しする人にしては荷物多すぎるよ。」


たんすをはじめとする家具だけではなく、おもちゃ、衣類、食器、家電、こまごましたもの。
そしてかごが大好きだった。
家の中はかごだらけ。


末っ子が生れてすぐに心臓の手術が必要になって、急きょ母が来た。

数か月の間、
我が家に泊まり込んで上の子の面倒を見てくれる事になった。
その時は本当に大変だったらしい。



夫は何がどこにあるか全くわからないタイプだ。
そしてそれ以上に私は狭い賃貸の模様替えが好きで、しょっちゅう家具や物の置き場所を変える女だった。

お気に入りのかご収納。

大小さまざまなかご。

夫のパンツが入っていたかごが、数日後には私の気まぐれによってお菓子をいれるものに変わったりする。
朝、パンツをとろうとかごに手を突っ込む。
そこにはなぜかチョコやアンパンが入っていたりする。

「パンツはどこなんだ?」

夫は内心イライラしながらも私がいる時は、どこにあるか聞けばよかったからよかった。
今思うと馬鹿みたいに効率の悪いことをしていた。
どうかしていたんだろう。
しょっちゅう変わる物の置き場所など覚えられるわけもない。


私のいない状態での同居生活で多少気まずかったであろう夫と母。

母は当然ながらどこに何があるか訳が分からない。
家じゅうにあるかご。布。
何が入っているか開けては呆れる。
夫と母は私についての苦情と悪口でおおいに話が盛り上がったようだ。


その証拠に数か月後に末っ子と自宅に戻った時は家の中がやけに所帯じみていた。

おしゃれなつもりのかごに隠す収納
から
なんでもオープンにそこらへんに置く簡単収納に変わっていた。
夫もパンツの場所が分かりやすくなって、心穏やかに暮らせていたようだった。




当時はエスニックだったり無印良品だったりと、賃貸の部屋を少しでもおしゃれっぽくしようと必死になっていた。そしてどんどん増えるものものもの。

いつなにがあっても誰でも分かる収納。

kanahebijiro.com

最近はだんだんとこれを目指している。



てぬぐいしか勝たん。

ここ数年。
どんどん簡単に変化した。

我が家はバスタオルを使わない。
おっさんのように、てぬぐいタオルで体を拭いている。
おしゃれさのかけらもない○○商事とか書いてある粗品でもらったようなタオルだ。
乾きやすくて、あの痛いほどのざらざら感が最高に好きだ。


数年前まではタオルはすべてベージュで統一していた。
ふかふかのホテル仕様みたいなバスタオルとフェイスタオルを揃えて棚に並べ、
見た目を統一させ、それを眺めて悦にいる。

家族全員のタオルをかけるためのタオル干しだったり、その場所を考えたり
柔軟剤にこだわったり部屋干し対策だったりと物が多いと管理も大変だ。
そして、冬は乾かないのでコインランドリーまで乾燥機をかけに行き、
生乾きが匂う気がして新たなベージュのタオルをネットで探してまたポチる。

タオルに関する悩みは尽きなかった。





夫は昔からてぬぐいと固形石鹸命。
今になって私もようやくその良さが分かってきた。
バスタオルはいつもスタンバっているが使うのは銭湯に行く時くらい。
タオルはおしゃれのかけらもないけれど、毎日洗ってすぐ乾きいつも清潔でらくちんになった。


毎日の暮らし。
物をどんどん減らしている。
もっともっと省けるものはないかを考えるようになった。

今年から暮らす街は水道水が抜群に美味しくて浄水器もいらない。
お茶は作らずに普段は水ばかり飲んでいる。

茶碗かごがないので洗った茶碗はフライパンの中に乱雑に積んで水切りする。
フライパンを使いたいのでさっさと片づけざるを得ない。

引っ越して照明を買う時はレトロさと安さで寝室だけ裸電球を付けた。
寝るだけの部屋なのでこれで充分だし電気代も安い。
電気の傘がないので埃がたまらない。
アレルギー持ちには最高だった。

雑こそコツ。
つける時のカチッて音がエモい。

夫は最近、朝はケッログのブランフレークとプロテインとヨーグルト。
インスタントコーヒーが好きでNHKを見ながらぬるいのをぐびぐび飲むのが好きだ。


朝から味噌汁を飲めとか飯だのおかずだのを食べろと色々用意していた頃より、
ルーティーン化した今が過去一番に胃腸の調子がいいようだ。
お弁当を食べる頃にちょうどよくお腹が空いて美味しく食べれるらしい。





私がいちいちうるさかったのは、
「今日のごはんは何食べたの?」と電話のたびに毎回子供たちに聞く姑を意識していた。
今考えると、きっと大した意味はなかっただろうし
そんなに気にするほどの事でもなかった。
いつもどこかで人の目を気にしていたような気がする。



無理をせずに暮らしたい。

物の管理や、やらなければならない事を増やさずに
使い切る暮らしがしたい。

最後まで使い切る。
食べきる。
服を徹底的に何回も着る。
ポチる前に何かで代用できないか考える。

以前、実家で使ってない食器をあさった。
とっくの昔に閉店した老舗百貨店の記念品だったという何十年も前のレトロなコーヒーカップを見つけた。
物を新たに買わなくても意外に身近にお宝はあるものだった。
とっておきのコーヒーをゆっくり飲むときはこれを使うとどこか懐かしい気分になる。




何歳からか分からない老後。
その時こそはいいものを買い揃えたい。
憧れの上質なものに囲まれた暮らし。

でも
結局はずっと安い手ぬぐいを使うバエない暮らしを続けるかもしれない。
どこかでそんな気がしている。



     ココ