今まで相当トイレとは長い付き合いだが、本当にお世話になってきた。
なぜか昔から本屋に行くと行きたくなるし、二日酔いの朝は長い時間抱いてしまう腐れ縁の友のようなものだ。
若かりし頃、トイレは私にとって様々な信じられない事件に遭遇したり人間模様が見れる場所だった。
華やかさの裏側に。
私の最初の就職は百貨店だった。
東北から上京した生粋の田舎者にとって、かなりきらびやかで眩しい職場。
自分の価値観とは0がすべてひとつ違う価格の商品ばかりが並んでいた。
流行りの最先端が並ぶ売り場。
信じられないくらい綺麗なお姉さん達が働いていた。
そんな美しい売り場のバックヤードにあるトイレ。
ちょっと遠くにあるトイレの秘密の一番奥の個室。
そこは知る人ぞ知る穴場だった。
バブル時代。
イケイケの濃いメークをしたお姉さんがたくさんいる百貨店。
平野ノラがたくさんいた。
私は無縁だったが従業員入口でナンパされた友人もいた。
踊りに行くだ飲みに行くだと徹夜。
寝ずにそのまま仕事に行くような無茶な事もする時代。
一番奥の個室で座って壁によりかかればよく寝れるのだ。
個室はときたま先約がいて中からはお昼寝の気配がする。
売り場で眠気の限界が来た頃、ちょっとだけ仮眠をとる場所だった。
ある日私はそこのトイレで普通に用を足した後、ふと何気なく壁を見た。
そこには無数の鼻くそがついていた。
それもよく見るとけっこうな数だ。
今まで全然気づかなかったが、かなり年季の入ったものもある。
どうやったのか不思議なほどの高い所にもあった。
全然気づかなかった。
まじかぁ、さいてー…
以後そこの個室に入るのをやめた。
犯人だと思われたくなかったからだ。
数ヶ月後。
なんとなく興味が湧いてまたそこに入ってみると
張り紙があった。
鼻くそつけるな。
信じられないほど増えていく点。
きらびやかな世界の裏を見た。
ありがたいが・・・・
トイレにはちょっとほろ苦い思い出もある。
百貨店のフロアーを清掃しているおばあちゃんがいた。
今思うとおばちゃんだったのかもしれないが前歯が少なくて腰の曲がったその人をみんなは陰でジジイみたいと言っていた。
多分若い人は言われても分からないだろうが昔ちょっと話題になった横山弁護士に似ているおばあちゃん。
キラキラした売り場にはあまり似合わない雰囲気でいつもたいして掃除もせずに話しかけてくる。
色々な場所でよく注意をされていたし掃除の仲間ともうまく行ってないように見えた。
田舎者の私。
うまく会話をきりあげられずにだらだら話をしていて、先輩に注意されたりしていた。
おそらく向こうもどんくさそうな私の事を気になって話しかけていたのかもしれない。
バックヤードに行くたびに歯のない笑顔で待ち構え、飴をもらった。
ある日トイレに入り用を足して出た所で掃除をしているばあちゃんに捕まった。
こっそり個室に引き込まれ逢引きのカップルのようにドアを閉め鍵をかけられた。
「待ってたんだよ。あいつらに見つからないうちに早く食べな。」
売り場の先輩たちは意地悪な人などいなかったし皆とっても優しかったのだが、私を見ていじめられてるとでも思っていたかもしれない。
ばあちゃんの掃除のユニフォームのポケットから紙に包まれたミスタードーナツが出てきた。
「いつもあんたは頑張ってるからね。さっさと食べていきなさい」
さっきまでこのばあちゃん。
ゴム手袋で便器を磨いてたような…
ゴム手袋を外した素手で渡された。
「いただきまーす。」
もうどうにでもなれという気持ちでドーナツを二口くらいで丸呑みした。
そしてお礼を言って大急ぎで売り場に戻った。
実はこのおばあちゃん。
数年後にどこから聞いたのか、田舎に電話がかかってきたことがある。
個人情報が緩い時代だったのでどうにかして誰かから聞いたのかもしれないがとても驚いた。
ものすごく私を心配してくれていて何度も大丈夫かと聞かれた。
横浜にきたら連絡しなよ。
たまには電話しな。
言われるとなんだかせつなくて、そして嬉しかったのだがこちらから連絡をすることはなく、話をしたのはそれきりになってしまった。
数々のドラマがあの狭い個室にはあった。
私はきらびやかな世界も好きだが便所でドーナツをくれる優しさもけっこう好きだ。
ココ