ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

わかものは筋トレしながら立ってスマホ。


なんで私が席を譲らなきゃと思わなきゃいいのだ。
筋トレなんて普段はどうせ出来ないんだからいい機会だと思って
かっこつけて立ちながら体幹を鍛えれば一石二鳥。

一瞬でおばあさんになったわけでもなく。



去年は豪雪だった。
大雪の夕方。


2時間待ちの混雑した皮膚科で筋トレも兼ねてつま先立ちで本を読んでいた。

混雑した待合室は密を避けて少ない椅子で皆が待ちくたびれうなだれている。


ドアが開き、頭に雪を乗せたよぼよぼのおばあさんが小さい歩幅でゆっくりゆっくり入ってきた。
寒かっただろう。


頼む。誰か椅子を譲れ

大股を開いてスマホを見ている若い衆を
自分の持てるせいいっぱいの眼力で見てからおばあさんを見た。


すごいジロジロこっちを見てくるつま先立ちのキモイおばさんでしかなかったようだ。
伝わらないか…


心配していたら親切な女性が席を詰めてくれた。

「おばあちゃんこっち座ってどうぞどうぞ。」
ベンチタイプの椅子に座る太った体を細くしてニコニコと手招きする。
自分が譲って老人に恐縮させないように、✖と書かれた椅子側にはみ出しているが
あえて立たずに待っていた。


反対側のお父さんも心なしか体を細くして間を開けて手招きする。

病院内は立っている人も多く自分達が立つ事でかえって混雑させないようにとの工夫だろう。

2人の間に申し訳なさそうに腰をおろしたおばあさんが言う。

「皆さんにご迷惑かけてばかりですみません。こんな年になってもいくら待ってもお迎えが来ないので仕方なく生きてました。」

やけに重い言葉だった…


そこから優しい2人とおばあさんの会話が始まった。

「そんな事言うもんじゃないですよ。何歳になりました?」

聞けば97歳だという。


なだめるような優しい会話に聞き耳をたてながら、
ふと以前訪問介護で毎週会っていたおばあさんを思い出した。

忙しく働いていた名残。


少し認知症もあったその方は普段は物腰が柔らかくいつも恐縮していた。

違う県からお嫁に来て、たくさんお子さんを育て夫に先立たれ一人で暮していた。


娘さんが毎日様子を見に来ていたがヘルパーも毎日朝と夕方に訪問していた。


簡単な朝食の支度をしながら台所を見ていつも思った。
誰にだって若かりし日々。

家族の歴史があるんだろうな。


年季の入った巨大な鍋やまな板。
たくさんの食器。
底が焦げた蒸し器。昔使った懐かしいキャラクターのついたアルミやプラスチックのお弁当箱。
子供や孫が使ったであろうコップやお箸。

今では娘さんが誰か分からなくなって他人行儀の挨拶をしたり、ご飯を鉛筆で食べたりしているその方の、母親として生きた数十年の歴史がそこにはあった。



「早く私にもお迎えが来ればいいんですが」


ボケていない時にはいつもそんな事を言うその方も夕方になると様子が変わる。


「早く家に帰ってご飯の支度をしなければ」

夕方の気配と共にソワソワが止まらなくなる。


その方の心の底に残っている母親だった気持ち。子供や夫が帰ってくる。
ご飯を作らなければならないのに一体私は何をしているんだ。ここはどこなんだろう?帰らなくては。


いくらここが家だと伝えてもなだめても落ち着かない焦る気持ち。

何年も何年もそうやってお腹を空かせた家族の帰りを、台所でせわしなく料理をしながら待っていたのだろう。


人は目覚めて急に年をとるわけではなくて、いつの間にか出来ない事が増えていくのだとやっと最近少し分かってきた。

他人事ではなかった。



母と紅葉を見に行った時。
駐車場から絶景スポットまでの道のりは坂道だった。
せわしなく歩く私に母は
「もう少しゆっくり歩いて」
と言った。

自分の親だけはなんとなく老人だと気づかなかった。
いつまでもおっちょこちょいでせわしない母親だと思っていたようだ。


ひとごとではない。
みんないつかは年をとるのに。



待合室の会話は続いていた。
優しい2人との会話のおかげで少しおばあさんも笑顔になってきた。



自分の子供達も今はまだ分からないだろう。
10代と20代。
世界は自分中心にまわっていた。

ただ教えたい事はひとつ。

混雑した待合室。
電車やバス。

激務の帰り道じゃない限り
もしもそんなに疲れていなければ。
体幹を鍛える為に

座らずにベンチは開けておいて欲しい。


ジムに行くより簡単な筋トレの時間。





ココ