なかなか他人に共感されにくいのだが、イベントを心から楽しめない性分だ。
イベントといっても小さいものから超ビックイベントまで色々ある。
大きければ大きいほど集中してその楽しい時間を満喫できないのだ。
ウキウキしながらも。
例えば。
たまの休みに1人で映画を見に行った。
前の日からネットで調べて楽しみにして、めちゃくちゃ早めにその場所に着く。
恐ろしいほどのせっかちでなにもそんなにと思うくらい早めに現場入りする。
10時スタートで家から30分。
9時半に出ればいい。
念の為に9時には準備万端にしなければ。
そして気になって5時に起きるタイプだ。
席を確保し落ち着いた。
幸いな事によく喋るような人は近くにいないようでホッとして開始を待つ。
映画が始まりすぐに物語の世界に入り込む。
でも頭の片隅であとどのくらいで終わるか残り時間が気になり出すのだ。
なんなら始まった頃から、どのくらいで終わるかが少し気になっているのだ。
他にもある。
星野源の札幌ドームのアリーナ席のチケットを娘にプレゼントされた。
苦労して取ってくれたのだ。
どうにか休みをもらい前泊で現場入りした。
あの星野源に会える!
心臓が飛び出るくらいのワクワク感。
トイレに行かなくてもいいように水分には気をつけた。
ファミレスでその時を待っている間、娘も私も緊張しすぎて始まる前からぐったり疲れている。
この日この時を待っていた。
ウキウキで席に着いた。
星野源が登場した。1曲目はなんとギターの弾き語りで始まった。感極まって2人で涙目になる。
そんな時でも頭の片隅にはどのくらいで終わるか残り時間が少し気になる。
そしてスマホをマナーモードじゃなくて電源を切ればよかったとか、サイレントにしてたっけとかいらないことが急に気になり心の片隅にあった。
つまらないわけでは全然ない。
最高のライブだった。
集中力がないのか・・・
どんなイベントも例外がない。
旅行中
子供の運動会や発表会
見たかったテレビ番組が見れる時
自分の結婚式の新郎新婦入場
どんな時でも、開始と同時に終わりが気になりだすのだ。
顔には出さないけれど内心ソワソワしている。あとどのくらいで終わるかな。
このぶんでいくと自分の葬式でさえ
何時に終わるか気になって集中出来ず成仏できない気がする。
我を忘れて夢中になってみたいのだが、無理だろう。
自分なりになんでなのか考えた。
几帳面でもなければ普段から時計さえもしていない。
一分一秒を争う仕事をしている訳でもない。
子供の頃や20代は断じてそんなことはなかった。
幼い頃の私は、何歳で物心ついたのかの境目がわからないほどぼんやりとした子供だった。
本が好きで物語の中で生きているような感じだった。
あの頃は本を読みながら、あと何時間で終わるかなんて考えもせず夢中で読んでいただろう。
何時なのか気が付かなかったというくらい夢中になりたい。
でも。
いつも余計な事ばかり考えて残り時間に気が付いている。
年と共にますます。
20代。
職場の上司やおじさん達にによく言われた事が今なら分かる。
「今はなにをやってても楽しいでしょ?若いっていいな~」
あの頃はその意味が全然わからなかった。
このおじさん達は楽しくないのか?
そんなことを思っていた。
自分の事だけ考えて今を生きる幸せ。
楽しいことは夢中で楽しめた若さ。
夢中になれるってすごい事だ。
今の年齢となっては目も覚めずに10時間寝続けるのと同じくらい不可能かもしれない。
大人になるにつれ楽しい時間にはいつか必ず終わりが来る事を何度も経験する。
そして背負う物が出来、心配も増えていく。
心に様々な憂いがあれば日常さえままならない。そして歳を重ねる毎に憂いは増えていく。
終わりが来るからこそ、あとどのくらいこの楽しい時間を味わっていれるんだろうと残り時間が気になってしまうのだ。
友人と話して心から共感した。
「年取った母を親孝行だと思ってどこかに連れていっても全然楽しそうにしてくれないのよ。」
実際にうちの母もそうだ。
出かけてもなんだか困り顔風で歩いている。
帰ってくるとほっとしたように「家が1番いいわ」なんて言うのだ。
でも、しばらくたつとあんなに仏頂面でしぶしぶ歩いていたお出かけが、嘘みたいに楽しかった思い出話になっている。
「あれで楽しかったのか。」
「もっと出かけている最中に楽しそうにしてくれ」
よく考えるとこれも同じなのかもしれない。
夢中で楽しむにも若さや気力体力がいるのだ。
高齢になるにつれ楽しい時間は、いつか終わるのが嫌になるほど分かっている。
終わった後の寂しさを知っているから楽しい時間は同時に
憂鬱な時間でもあるのだ。
多分母にも悪気はないのだろう。
楽しいけど終わってしまうのが寂しい。
ややこしくて面倒な性格だ。
ここ数年。
コロナによって好きなように出かける事もままならない日々が長く続いた。
たぶん楽しい事も終わりが来るように、この騒動もそろそろ終わりが来るはずだ。
その時は、思いっきりどこかへ出かけ時間を忘れて楽しもうと決めている。
ものを考える時間が増え、価値観が変わったことで一つ一つを素直に楽しむべきと教えられたようにも思う。
ココ