ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

我が子がちょっぴりうらましい歪んだ私の心

まっさらな頃

自分が親になり嫌だった過去に一気に気持ちが戻ってしまいしばらく心の狭い自分との戦いをした。

されて嫌だったことをしないようにという子育て。
これもある意味ゆがんだ気持ちがどこかにあるのかもしれない。
どこかに自分がしてもらいたかったように子育てをしようというリベンジと自己満足とエゴがある。

もちろん子供は子供の人格があるのだから感じ方からすべて違うのは当たり前のことだ。

そして自分の中にいる幼い頃の自分が、どこか自分の子供を羨ましそうに見ている。

古い自転車。



つまらないことを思い出した。

私は小学生から高校生まで同じ自転車を乗っていた。
子供の頃のサイズのままだったので高校生には小さく、自転車はサビだらけ。
自転車置き場にピカピカの自転車ばかりが並ぶ中ひっそりとはじっこに停めていた。

今思うと高校の頃の我が家はそれほどまで貧しくはなかったはずだ。
私は幼い頃から何本も傘をだめにし、ランドセルもかばんも与えられたものはすぐにぼろぼろにしてしまう子供だった。
それほど活発でなかったくせに物を壊したりなくしたり、自転車も盗まれたこともあった。
親はどうせ自転車を買ってあげても壊したりなくしたりするのではという気持ちと、体が小さかったからそのままでいいだろうという考えだったのだろう。



高校1年生の時。

3年生のヤンキーな先輩2人が地下道の入り口に停めた私の自転車を盗む現場を目の前で見た。
二人乗りして大笑いしながら
「汚ねえ自転車だな。こんなの乗ってるやついるんだ」
「ピエロみたい」
「ギャハハ」

本当に2メートルくらいの目の前での犯行だった。
カギを蹴って壊し盗む現場を固まったままじっくり見物してしまった。

笑い声と共に地下道に消えていった私の自転車を後ろから見ながら

「鍵ってああやって壊せるんだ…」

自転車を目の前で盗まれた悔しさよりも、この自転車の持ち主が自分だと思われるのが恥ずかしくて体が固まった。


私のボロボロの自転車は、その後駅の近くに乗り捨てられていた。
しばらくするとまた学校の近くに乗り捨てられ、まるで乗り捨て自由のレンタサイクルのような使われ方をした。


それ以来学校への往復を私はいつも歩いていた。
やさしい友達は自転車をひいて一緒に歩いてくれた。

探せばどこかにあるはずの可哀想なボロボロの自転車の存在を無視してしばらく過ごしていた。


ある日近所の年上のお兄さんが車で通りかかり送ってくれたことがあった。
幼なじみというほど親しくはなかったがあまりにもいつも歩いているんで見かねたようだった。
そしてそれは何回かあった。

ある日。

家に帰ると両親が鬼の形相で待っていた。
お兄さんの車に私が乗っていたと、お節介で噂好きな誰かに聞いたようだった。


「お宅の娘さん助手席にいたわよ」
そんな風に言われたようだ。




近所の人に馬鹿にされた。
高校生のぶんざいで。
ふしだらで恥さらしな娘。
そんなことだけは覚えるのが早いのか。誰に似たんだ。
早く卒業してとっとと家を出たら好きなだけ男と付き合うがいい。
私がいることで 町中から笑いものになっているような事を言われた。

車に乗ったことで、随分と大げさな事になっていた。

罵られ涙がつぎからつぎへとこぼれた。


泣きながら親を憎んで歩いた日のことはハッキリ覚えている。
穏やかに気持ちを聞いてくれたらなにもかも話すことも出来ただろう。

自転車を盗まれたみじめさなんて親には言えなかったし、説明できない感情が胸の中に渦巻いていた。



その後ボロボロの自転車を探し回り家に連れて帰った。
申し訳ない気持ちになりながら高校卒業までその自転車を乗った。

案外子供は本当の心の中なんて親には伝えられてないものだ。
そして親も軽く放った言葉で傷つけていることもある。



そんな私が親になった。





子供を育てていく上で、母にはたくさん助けられた。
なるほどそうかというアドバイスをたくさんもらった。感謝している。
ほいほいと男の人の車になんて娘が乗ったらどんなに心配な気持ちになるかも理解できた。
孫はかわいいのだろう。今回もこんな事を言われた。


「高校生になったら自転車は新しいの買ってあげなよ。ボロボロだと恥ずかしくて可哀想でしょ」

きっと過去の事なんてすっかり忘れているのだろう。
あんなに恥ずかしかった自転車に乗っていた過去の娘の事なんて覚えていないのだろうか?



兄のまだそんなに古くない自転車を乗るつもりでいた娘は思いがけず喜びながら選んでいた。

自分の心の底に溜まった澱が浮かんで揺れるのを少しだけ感じていた。


人を傷つけたことのない人なんてこの世にはいないのかもしれない。
そして自分の吐いた言葉はあんがい忘れてしまうものだ。

           ココ