普段忘れていても、何年も忘れていた事でも何かの拍子に思い出す場面や気持ち。
それは頭の中にずっと下書き保存されていたのだろうか。
散歩中川沿いに群れを成して咲くコスモスの花を見た。
いつの間にか季節がすすみ秋になっていた。
毎年のように秋はくるのに、この花を見ると奥にあるものが心を疼かせる。
私の知らない父。
私の父は野生動物のように粗雑だったが花が大好きだった。
特にコスモスが好きだった。
父はやっと建てたちっぽけな家の庭にコスモスをこれでもかというほど、
たくさん植えた。
家を取り囲むかのような勢いで咲いていた。
花壇には昔、祖父が植えた真っ赤な見事な赤い薔薇が咲いていた。
その頃もう家を出ていた私が帰省するたびに花や庭木は増えていった。
私がいた頃の父はまるで花とはかけ離れたイメージだったが、意外にもそんな繊細な面もあったようだ。
薔薇は春と秋の2回咲いた。
近所の人が通るたびに「ほんとうに見事だ」と褒めた強い香りのする薔薇。
父は薔薇をいつも手入れしていたようだ。
きっとあの頃の父は人生で1番幸せだったのだろう。
それでも花を育てる一方で、連日のように飲み屋に通っていた。
それでも幸せ。
秋が終わり冬がはじまるころ。
夜中帰った父に腹を立ててついに母は玄関の鍵をあけなかった。
父はあきらめ、あまりの寒さに小屋の中にいた飼い犬のクロを抱いて物置で朝まで寝た。
クロにしてみればはた迷惑な話だ。
それでも父は「犬は抱いて寝るとびっくりするほどに温かいものだから一度やってみるべきだ」
大真面目で人に会うたびに話していたようだ。
どこまでも反省はしない父なのだ。
「クロがいてくれて助かった。おかげで暖かかった。ってますます可愛がってさ。」
そんな父の思い出をなぜか楽しそうに話す母。
さんざん苦労した相手なのに。
きっとその頃はそれなりに幸せだったんだろう。
うっかり楽しそうに話してしまうのだろう。
それから数年後の秋。
突然一家は離散した。
家を出る時
嫌になるほど庭に綺麗にコスモスが咲いていた。
何度も前を通るたびに目を背けていた美しい花の群れ。
数か月たち家は競売にかけられ人手に渡った。
私は誰にも言わずに春先に1人でこっそり見に行った。
我が家の自慢の薔薇は、誰もいない庭で狂ったように咲いていた。
主がいなくても忘れることなく
薔薇はおこったように激しく咲いていた。
過去ではなく今この時が大事。
なるべく通らないようにしていた自宅。
数年後に自宅の近くに用事が出来てその場所を訪ねた。
自慢の花壇はコンクリートが敷かれ駐車場になり、
狂い咲きしていた薔薇もコスモスも跡形もなくなっていた。
その時はじめて吹っ切れたような気持ちになった。
「あそこはよその家になったんだ。」
様変わりした家を見てかえってホッとした気持ちだった。
どんなに辛い思い出も時間が経つとこんな風に諦めもつくのだろう。
実はお父さんさ、一人になってから
しばらくクロをどこに行くのも車の助手席に乗せていたよ。
友人が教えてくれた。
そんな心の支えだったクロも
モグラ避けに田んぼに置かれた毒団子を食べてしまいあっさり目の前で死んでしまったらしい。
父のせいではないが、その出来事だけは数年間どうしても父を恨んだ。
あの時知恵があれば
あの時もう少し大人だったら
クロも薔薇もコスモスも失わずに済んだのか
そんなことをふと考えかけてやめる。
時間は戻すことが出来ないのだから。
我が家の薔薇は必ず2回咲いた。
でも人生は2回目にかえり咲くのは本当に困難だ。
だからこそ思う。
なんでもない今この一瞬一瞬の退屈な時間。
くだらないけんかや不満や日常。
これは後から思い返すと泣きたいくらい貴重な時間なんだろう。
充分綺麗に咲いている今という時間の幸せ。
人は案外その時は気づいていない。
もう二度と見れない美しかったコスモスと薔薇。
散歩をしながら、
すれ違う犬を見て、
退屈な幸せについて考える。
ココ
コメント
坂田さん
読んで頂きありがとうございます。
AKAZUKINさん
そうですね。色々でした。
毎年ちょっぴりだけせつなくなります。
今の平凡な日々を大切にしなきゃって思います。
五郎さんコメントありがとうございます。
思い出になるとちょうどよく霧がかかって綺麗な花や可愛かったクロだけが残り、
ネガティブな感情が薄まっていきます。
年を重ねるのも悪くないなって思ったりします。
マーシャさんありがとうございます。
普通の日常はついつい忙しかったり、つまらないと不満になったりしてしまいます。
でも平凡な毎日ってすごいことなんですよね。
美味しいご飯が食べれる毎日に感謝して暮らしたいと思います。
どっ子さんありがとうございます。
時間が解決してくれることもあるけど、辛かったことでさえ後からは大切に思えたりしますよね。
短かったとしても大切な思い出ですね。
Nick Ollieさんありがとう。
不器用だったと思います。
そして自分にも脈々と流れてるんだなぁ。
おとなになってようやく分かってきた感じです(*´з`)
CARLくんこんにちは。
きっとあったかいんだろうなぁ(*´Д`)
パッパはそうだったのかー(*´з`)
だからきっとパッパは優しいんだよー
ぽぱいさんありがとうございます。
過去を懐かしんでもそこにとらわれずに、今を大切にしたいと思います。
アスポンさんコメントありがとうございます。
人間って面白いですよね。
面白がれるようになってきたのも自分が年をとったのかなと思ったりします。
そしてお友達のわんこもショックだったでしょうね。
運が悪かったとはいえ、なんとかならないかって思ってしまいます。
鳥天さん
毎年恒例のあの気持ちって感じで
特に激しい感情ではなくて静かにやってくるんだよね(*´Д`)
クロのお話読ませて頂きました・・・
いろいろあったのですね・・
良い時もあまり良くないときも、その中にいるときって、
気付けないってこと、ありますよね・・
振り返って「ああそうだった」って思ったり。。
切り取られた幸せの風景に、秋桜と薔薇、クロちゃん、お父様が居たんですね。
時の流れは残酷に心の原風景を踏みにじるように変わっていきますが、思い出はいつまでも大切にしたいですよね。
でも、年をとると印画紙に写した写真が色褪せるように、どんどん記憶もうすぼんやりになってくるのが悲しいです。
そうですね。
今、この一瞬一瞬がかけがえのない時間だっていつも思います。
もっと大切に。
明日こそ大事に生きようと。
でも慌ただしさについ忘れがちになります。
こうして日常を過ごせる今は最高に幸せ。
明日もいい日になりますように(*^^*)
兄とのことを思い返し、ほんとになんでもなかったことが宝物でした。失ってから気づくものなんですね。この悲しんでいる今でさえ、貴重な時間だったなと思い返す時がくるのですね。
お父さんはきっと不器用だったんだろうな、繊細なとこと猥雑なとことが入り交じったような。お母さんにはそれが好きな部分と嫌な部分が入り交じってて。
他人の私があーだこーだと推測してはいけないのかもしれないけど、いろいろ思い感じました。
こんにちは CARLです
いつも応援ありがとう(^^♪。
北欧の諺に 『犬が三匹いたら凍死しない』と言うのがあるそうで それくらい暖かいですよ~。ボクも毛が長いから暖かいよ。冬になったら一度ボクと寝てみる?。
pappaは 小学2年の夏 父の転勤で引っ越しの時「友達と別れるのはヤダ」と言ったとかで 祖父の実家に置いて行かれたそうで それから彼の性格はゆがんでいると言ってます。
そうそう。
過去でも未来でもなく「今」を大切に生きている積み重ねが人生だと思っています(^ω^)
お祖父様の代からの薔薇を引き継ぎ、さらにコスモスが好きで育てるお父様。
意外と言えば意外な側面ですね。
だから人は面白いのです。
また、年齢が高くなると、庭仕事などに興味をもつという傾向も関係するでしょうか……。
犬のクロちゃんととお父さんのエピソードが心温まりますね……。
ある日、寒いのに家を閉め出され、クロと一緒に眠ったら温かかったんですね。
身体も暖かいけど、心も暖まりますよね。
それからクロちゃんをどんどん可愛がるのも頷けます。
クロちゃんは助手席にも乗せるなんて仲が良いですね!
クロちゃんの存在は、お父様とお母様の間柄をも良くしていそうです。
クロちゃんを可愛がるお父様の思い出を楽しげにお母様は語るようですね。
ペットがいると、大人同士だけだと殺伐とした部分を補ってもくれます。
過去には、苦労してても過ぎ去ると苦労の部分は忘れて甘い思い出が残るんですね。
でも、モグラ対策の毒で、クロちゃんが亡くなったのは悲しいですね。
私の友人の犬も散歩コースにばらまかれた毒エサで亡くなったのです。
あっという間で、とめる間もなかったのかもしれません。普段なら、いじきたないなぁ…くらいですみますが、運が悪いのです。
年を取ると過去の甘やかな時間ともどかしい怒りやどうにもできない悲しみを思い出すもんだよね~。時々ポカっと思い出すけれど、そういうのは巡る季節みたいに当然のことみたいに受け止めて、いつの間にか静かに去って行く。老成したのか??