ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

今この退屈な時間のしあわせ。



普段忘れていても、何年も忘れていた事でも何かの拍子に思い出す場面や気持ち。
それは頭の中にずっと下書き保存されていたのだろうか。


散歩中川沿いに群れを成して咲くコスモスの花を見た。
いつの間にか季節がすすみ秋になっていた。
毎年のように秋はくるのに、この花を見ると奥にあるものが心を疼かせる。

私の知らない父。



私の父は野生動物のように粗雑だったが花が大好きだった。
特にコスモスが好きだった。

父はやっと建てたちっぽけな家の庭にコスモスをこれでもかというほど、
たくさん植えた。
家を取り囲むかのような勢いで咲いていた。

花壇には昔、祖父が植えた真っ赤な見事な赤い薔薇が咲いていた。
その頃もう家を出ていた私が帰省するたびに花や庭木は増えていった。




私がいた頃の父はまるで花とはかけ離れたイメージだったが、意外にもそんな繊細な面もあったようだ。



薔薇は春と秋の2回咲いた。
近所の人が通るたびに「ほんとうに見事だ」と褒めた強い香りのする薔薇。
父は薔薇をいつも手入れしていたようだ。

きっとあの頃の父は人生で1番幸せだったのだろう。




それでも花を育てる一方で、連日のように飲み屋に通っていた。

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それでも幸せ。


秋が終わり冬がはじまるころ。

夜中帰った父に腹を立ててついに母は玄関の鍵をあけなかった。

父はあきらめ、あまりの寒さに小屋の中にいた飼い犬のクロを抱いて物置で朝まで寝た。
クロにしてみればはた迷惑な話だ。
それでも父は「犬は抱いて寝るとびっくりするほどに温かいものだから一度やってみるべきだ」
大真面目で人に会うたびに話していたようだ。
どこまでも反省はしない父なのだ。

「クロがいてくれて助かった。おかげで暖かかった。ってますます可愛がってさ。」

そんな父の思い出をなぜか楽しそうに話す母。
さんざん苦労した相手なのに。



きっとその頃はそれなりに幸せだったんだろう。
うっかり楽しそうに話してしまうのだろう。


それから数年後の秋。
突然一家は離散した。

家を出る時
嫌になるほど庭に綺麗にコスモスが咲いていた。
何度も前を通るたびに目を背けていた美しい花の群れ。


数か月たち家は競売にかけられ人手に渡った。
私は誰にも言わずに春先に1人でこっそり見に行った。


我が家の自慢の薔薇は、誰もいない庭で狂ったように咲いていた。
主がいなくても忘れることなく
薔薇はおこったように激しく咲いていた。

過去ではなく今この時が大事。


なるべく通らないようにしていた自宅。
数年後に自宅の近くに用事が出来てその場所を訪ねた。

自慢の花壇はコンクリートが敷かれ駐車場になり、
狂い咲きしていた薔薇もコスモスも跡形もなくなっていた。


その時はじめて吹っ切れたような気持ちになった。
「あそこはよその家になったんだ。」

様変わりした家を見てかえってホッとした気持ちだった。

どんなに辛い思い出も時間が経つとこんな風に諦めもつくのだろう。


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実はお父さんさ、一人になってから
しばらくクロをどこに行くのも車の助手席に乗せていたよ。
友人が教えてくれた。


そんな心の支えだったクロも
モグラ避けに田んぼに置かれた毒団子を食べてしまいあっさり目の前で死んでしまったらしい。
父のせいではないが、その出来事だけは数年間どうしても父を恨んだ。


あの時知恵があれば
あの時もう少し大人だったら
クロも薔薇もコスモスも失わずに済んだのか
そんなことをふと考えかけてやめる。

時間は戻すことが出来ないのだから。




我が家の薔薇は必ず2回咲いた。

でも人生は2回目にかえり咲くのは本当に困難だ。


だからこそ思う。
なんでもない今この一瞬一瞬の退屈な時間。
くだらないけんかや不満や日常。
これは後から思い返すと泣きたいくらい貴重な時間なんだろう。

充分綺麗に咲いている今という時間の幸せ。
人は案外その時は気づいていない。

もう二度と見れない美しかったコスモスと薔薇。
散歩をしながら、
すれ違う犬を見て、
退屈な幸せについて考える。




       ココ