ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

その顔はなんなん!言える正直さが好き。

なんなん?

私は人に本心を出さずいつもヘラヘラとふるまってしまう癖がある。
このヘラヘラや曖昧さを全然許してもらえない手強い友達が数人いる。

手話とろう者との出会い。


10年ほど前に手話を習っていた。
前から興味があったのだが色々なタイミングがあって講座に通った。

講師がろう者でそれを手話通訳が説明するというスタイルだった。
手話は手だけではなく、口の形や表情を使う。
悲しいという言葉を言う時は悲しい顔、嬉しいという時は嬉しい顔をする。

手話講師の教室は落語やチャップリンの映画を見ているようで、毎回笑いに溢れ夢中で学んだ。

よくテレビなどで合唱に手話がついたりするのを見てほのぼのした世界に感じていたが実際は違った。
手話は激しい喜怒哀楽を表現する魅力的な言語だ。



手話とろうの講師達の魅力にどんどん引き込まれた


何度か通ううちにろうの講師やその友達とあっという間に仲良くなった。
皆驚く程に積極的なのだ。
最初のうちは紙に書いての会話が多かった。
早く仲良くなりたくて話したいことを前の日に練習してその場にのぞむ。

想定問答ってやつだ。
話したい気持ちと恥ずかしさを捨てればどうにかなる。
出川イングリッシュのようなものだ。

ろうの友達と会話をした日はものすごく目と脳が疲れる。
めちゃくちゃ一生懸命になって見るから目がしょぼしょぼになった。


だんだん仲良くなると飲みに行ったり、一緒にスポーツをする会に誘われて出かけることが増えた。

ろう者は運動神経がいい人が多い。
そして器用な人も多い。

多分聞こえない分を目で補うのだろう。
体で表現したり見た物を再現する能力が高い。
走り書きした絵なんかも上手い。
研ぎ澄まされた見る力だ。

作ってもらったそっくりなクッキー


実際私は何をやってもかなわなかった。
手話だけでなく色々な事を教わった。
そしてお互いかなり真剣にぶつかり合う事もあった。


うまく伝わらないこともあった。




ラインが鳴る。
しょっちゅう来る遊びの誘い。
即答できず一旦保留にする。
「行けたら行きます。」


積極性と内向的。
2つの正反対な性質のある自分はこの言葉をよく使った。
行きたい気持ちと面倒くさがりで出不精な陰キャな自分で迷い葛藤する。

「なんかめんどくさい」
いつも一旦誤魔化すのだ。



でも、ろうの友人にはこんな曖昧さは絶対に許してもらえなかった。
たいていはラインがまどろっこしくなってビデオ通話がくる。
文章だと伝わらないこともある。


思いっきり目を見て手話で聞かれる。
書いてる意味わからん。
どっちなのかハッキリして!



ふだん圧の強い人が苦手な私だが毎回こうなると慣れる。
別に断るなと言ってる訳でもないしただ答えを明確にハッキリして欲しいだけで
裏表がない。
このやりとりから自分がいかに無意味な保留や答えを曖昧に誤魔化していたかが分かった。

普通にある差別。



この仲間と出かけて気づくことも多い。
人は悲しいけれど無意識で人を見下しがちだ。
私たちのグループ全員が聞こえないと思い込み、差別的な事を平気で声に出して言う人もいた。

手話を使っている私が聞こえているとは思わなかったのだろう。

見た目で分からない障がいならではの嫌な時間。
そんな時知らないふりをしてさんざん喋らせておいた。
私だけに聞こえている悪口。
悔しい気持ちだった。


どこかのタイミングで私がしゃべりだして、健聴者だと気づくと急に気まずそうな顔をする。
こんな事は1度ではなかった。

数年前に障がいのある人への合理的配慮が法律で義務になったが実際はなんともイマイチな感じだ。
実際にろうの人は言う。

聞こえない私たちは、海外旅行に行っても全く苦労したことがない。
海外の人は表情豊かでコミュニケーションがとりやすく、なによりも
自分たちに対しての壁がない。



コテージに泊まりに行って散々騒いだ後の夜中。
彼らの幼い頃から受けてきた差別の歴史を聞いた。

彼らの過去の辛さは私の親がどうだったとかそんな話とは比べ物にならない。
夜が更けるまで語りあい、最後には彼らはかならずこう話した。


やりたい事を死ぬまでに全部やる。
見た事がない物をたくさん見てから死なないともったいない。
私は聞こえないから見たいし体験したい。
食べた事がないものは食べてみたい。
できる範囲で限りある人生楽しむべきだ。
悩む時間がもったいない。
そんな事を手話を使って熱く語った。


いつまでも前に進めないでいた自分にとってこの貪欲でポジティブなエネルギーは眩しかった。
そしていい意味で感化されていった。

あるものでどうにかする。


一緒にバーベキューをしたとき。
調味料担当の私がサラダ油をすっかり忘れていた。

ごめんごめんどうしよう!

この世の終わりのごとくへこんでいたら
すかさずドレッシングの上のほうで分離した油を使って炒め物をしていた。
機転が利くのだ。

「あるものでどうにかできる。頭使えよおばか」

手話は表現力豊かなので本当に馬鹿という表現がうまい。
こう言われぎゃふんとなった。


Mr.ビーン カンヌで大迷惑?! (字幕版)


友人は海岸の流木を子供達に競走で拾わせる。
「行ってこい!」
一斉に走り出す子供たちは子分のようだった。

拾った棒切れで棒パンを作った。

最初は緊張していた手話など分からない子供達。
いつの間にかジェスチャーで平気でコミュニケーションをとっている。

小さい子供には最初から壁がないのだろう。
ろう者のミスタービーンみたいなうますぎる身振り手振りに大爆笑で遊んでいる。
ほおっておいてもどうにか会話ができているのだ。

全てがワイルドで生きる力に溢れていた仲間だった。




色々なことを教えてくれた仲間。
いつかまた会いたいと思う。

                       ココ