物にはあまり執着がない。
でも矛盾するようだが物に対してのこだわりが強くいくつかの手放せないものや使い続けているものはある。
例えばドクターマーチン。20代から何足か履いていたが50歳の誕生日に厚底のマーチンを貰った。おばあさんになっても足首を骨折して痛めないよう注意しながら履きたいと思う。
物を買うミニマリスト。
洋服も家電も新しいものへの興味は人一倍あるほうだったがこの頃は簡素化でミニマリストに近づきつつある。
今まで50数年。
物を手に入れては手放して生きてきた。
いつも物に対して自分の元にある期間は短いのではと感じてしまうのだ。
過去に何回も大切なものを失いすぎたせいで、ショックを受けないように無意識で心を慣らしてきた。
今は断捨離ブームでミニマリストとよく聞くが考えてみると私は幼い頃からミニマリスト気質だった。
中学でひとりだけ祖父と暮らす新しい家に移った時も、高校を卒業して上京した時もスタートはいつも身軽だった。
私は昔そんなに買ってもらえなかったせいか洋服が好きだ。20代でアパレルの仕事についた時も様々な服を着た。百貨店で作家の作る器やアンティークの雑貨を扱う売り場にいたのでたくさんの素敵なものに出会い手に入れた。
上京して3年目。住んでいた寮から出て一人暮らしをする時。
一目惚れして悩んだ末、やっと買ったお気に入りのアンティークの木製の椅子を同じ部屋の後輩にあげた。
たぶん一生大切にしてくれるだろう。自分じゃ絶対いつか手放す日がくる…そんな予感と確信がその頃からどこかにあった。
洋服も量を減らしヒールの靴も処分した。
一人暮らしの新しい部屋への引っ越しは大きめのカバンと布団。怪しい東南アジアの置物と初任給で買ったコンポだけで出発した。赤帽のおじさんが荷物の少なさに戸惑っていた。
「若い女の子なのに荷物が少ないね。たいていこの寮を出る子は大荷物なのに」
荷物とともにサービスで助手席に私を乗せて新居に連れて行ってくれた。
荷物の運び込みは5分もせずに終わった。
道中話が弾んだおじさんに最初言われていた5000円を払ったら、引っ越し祝いだとそのお金をくれた。荷物が少なすぎてなんか受け取れないよ、頑張りなさいと笑っていた。
当時は世の中の雰囲気が今より寛容で幸せな時代だったし周りの人に恵まれた20代だった。
都会は冷たいというけれど運良く私の周りには素晴らしい人ばかりだった。
だけど、その頃の私は心から人に感謝していただろうか。
優しい人との出会い。
そんな風に始まった一人暮らしの部屋にある日ストーカーが侵入した。幸い無事だったのだがさすがに怖くなったし警察にも引っ越しを勧められた。でもあまりにも急すぎて引越しのお金などなかった。
荷物がないのが幸いし、しばらくは数人の友人の家に泊まり歩いた。衣類が入った紙袋で駅に佇み東横線に乗った。住所不定の正真正銘ホームレスである。
そんな時。
職場の知人にある老夫婦を紹介された。最初はしぶしぶそのお宅を訪ねた。
何億もの財産を持ちながらすごく質素に生きているご夫婦だった。その辺一体の大地主。
ご自宅に伺いお茶を飲みながら住めなくなったいきさつを話した。
おばあさんは笑っていたがおじいさんは時折怒りながら聞いていた。
そしてこんな風に言った。
「紙袋なんて持って歩いてみっともない。書類とか後からでいいから今日から住めばいいさ。」
まじで本物の神様みたいだった。
どこからか冷蔵庫をおじいさんが運んできた。事務所の2階みたいなところで入口は南京錠。部屋がいくつもあった。おばあさんが合鍵を持っていた。そこでの生活はしょちゅう玄関先に食べ物の差し入れがあり休みだとお茶に誘われた。休みの日に朝から起こされおはぎをもらった。
友人と釣りに行ったさばを困り果てて持っていった時はおじいさんが捌きみそ煮になっておにぎり付きで戻ってきた。
身一つでどこの誰がよく分からない私に調べもせずにその日から住まわせあんだけ面倒みるっていったいどれだけ親切なんだろう。
なんて恵まれていたのだろう。
自分にはもったいないくらい優しい人ばかりの20代。
見ず知らずの他人が、危なっかしい生き方の私を周りで見守っていてくれた。
頭に急に降ってきた悲しみ。
今でも忘れられない不思議な記憶がある。
ある夜、寝ようとしたら突然訳もなく悲しくなった。
普段忘れているくせにやけに母や弟が心配になった。今どうしているだろう?急にそんな事を考えどうしても眠れなかった。
その頃は祖父もすでに他界し父も母も弟も新しい家に引っ越し、平穏な暮らしをしているように見えた。母が幸せそうでよかったと心から思っていたし、時々そろそろ田舎に帰ってきたらと言われたりもしていた。自分の生活も楽しく順調だし一体何がこんなに不安なんだろう?
どうしても眠れず迎えた朝、父から電話があった。
どうしようもないほどの借金がある。昨晩家族会議をした。
一旦帰ってきてくれないか…
母が変わり、ただひたすら泣いていた。
嗚咽である。
昨晩のわけの分からない感情はこれだったのか。なにも聞いていないのに悲しみが距離を越えて伝わってきたのか。
不思議な経験だった。
数ヶ月間帰省し色々な話し合いをした。
母を助けることに決め、老夫婦のもとにサヨナラを告げに戻った。
急に消えた私を待っていてくれた。
突然いなくなった私を長いこと待っていてくれた2人。
なくなるたびに湯のみにお茶を足して飲みながらずっと話を聞いてくれた。
それは以前部屋を貸してくれた時と同じように、おばあさんはうなずきながら少し笑みを浮かべおじいさんは怒っているような顔だった。
またすべてなくなってしまった。
最後に帰る家さえも失った私におばあさんは言った。
「ダメだったらお母さんと弟を連れてまた都会に来ればいい。」
「あなたはまだ若い。若いって凄いんだよ。お母さんでさえたったの40代だろう。
大丈夫だよ。
やり直せる。
おとうさんはお人好しだったんだよ。ばかなんだね。
でも若いから大丈夫さ。」
南京錠と小さなカギをテーブルに置いておじいさんとおばあさんに別れを告げた。
おじいさんが帰りに渡したポチ袋には1万円がはいっていた。
ありがたく泣きながら駅までの道のりいつものマーチンを履いてゆっくりと歩いた。
失う事が多い人生だった。
いつも自分の物じゃない気がしていて何かを失う前はたいてい、胸騒ぎがした。
怖いからなににも執着しないようにして生きてきた。
だけど思い返すとなんて素晴らしい人ばかりに出会ってきたのだろう。
二度と会わない人からたくさんの優しさをもらっていた。
私は運が良いのだろう。
10年以上経ってから数か月暮らしたあの場所を訪ねてみたが、すべて様変わりしていて私が暮らした古い事務所の二階も跡形もなくなっていた。
20代。
あの頃は無我夢中で、きちんとありがとうが言えていたのか分からない。
物は残らなかったが、確実に心に残るたくさんの出会いという財産が私にはある。
ココ