節分は私にとってデトックスデーの感じがある。
立春の前の日。
北国の冬は長く厳しく日照時間が短いせいか、時々理由もなしに陰鬱な気持ちにもなる。
辺り一面真っ白な雪景色を雪を踏む長靴の音を聞きながら一歩一歩歩いていると、頭の中は無意識で色々な事を考えている。
今日の食事の段取りや離れて暮らす子供達をふと思うこともあれば、たまになんの前触れもなく過去の暗い記憶が蘇ることもある。

そんな時はネガティブな自分と共に歩く。
次々写真をコマ送りするように色々な感情を思い出しながら歩く事で、結局365日が毎日楽しい人も毎日辛い人もいないのだと気づく。
冬は周りが真っ白なせいなのか自分の内面と向き合う時間が長いように思う。
節分は邪気払い
節分の前日に生まれた私にとって2月は新たな自分が生まれる月だ。
まだまだ寒く厳しい冬が油断している間にうしろのほうに少しだけ春の気配を感じる。
冬と向き合いながら今年ももうそこまで春が来ているのに気付き始めている。
幼い頃の節分は豆をまいた。
家中の窓を開け落花生を殻付きのまま全部の部屋にまいた。
鬼は父だったり私だったり、まちまちだったが家を出て庭を走り遠くまで逃げた。
きちんと鬼らしく豆をぶつけられて本気で怖がりながら逃げ回る。
鬼の役をやった年は逃げながら
「鬼はいったいなにをこんなに悪いことをしたのだろうか」
そんな風に思ったりした。
父が鬼をやった年はあまりに庭の遠くまで逃げるので、かなり悪い鬼なのだと思った。
そして鬼が信じられないくらい似合っていた。
節分の後はしばらくの間、家の色々な場所から落花生がでてくる。
長靴の中や普段使っていない部屋に落花生があるのを見つけると、なにか特別な落花生を見つけたような気持ちになった。
自分が親になってからはアパートの豆まきがいまいち盛り上がらず、鬼らしく本気で大声で庭を走り回らない豆まきは迫力もなくあまりやらなくなった。

恵方巻
親になってからの節分は恵方巻きを作った。
子供達が各自で巻くシステムにした。
細いヒレカツやいろいろな刺身、卵やきゅうりやカイワレを並べ自分だけの恵方巻きを作る。
3人並び競い合って作っていた。
それぞれのセンスが試されるところだが
欲張りすぎて超極太な恵方巻きになったりした。
でも年々学習して上手くなっていくものだった。

完成すると一本食べきる儀式が始まる。
無言で恵方を向いて食べる間、私は横で毎回うるさく言う。
「のどが詰まるからゆっくり食べなさいよ」
飽きもせず毎年同じ儀式は続いた。
今年も娘に恵方巻きを作る。
受験生の娘は毎晩本当にがんばって勉強している。
今年も超極太な恵方巻きを作って同じことをする予定だ。
そして、どんなに冬が厳しくとも必ず春がやってくる。
ココ