ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

えんぴつをつかいきる。

だいぶだいぶ断捨離して、自分ではかなりシンプルに暮らしているつもりだが、
まだまだよく分からないものが入った箱が押し入れの整理中に出てきたりする。
「思い出」とか書かれた段ボールがけっこう怪しいガラクタの確率が高い。


断捨離するたび思うのが、家の中にある物の99%が主婦の私が買ったものじゃないかと呆れる。

夫が朝から晩まで汗水流し、馬車馬のごとく働いている最中。
平気でつまらないものを買ってレジでその稼いだお金を支払っている。
仕事に行くのがかったるい日も憂鬱な日もあっただろうに、休むことなく働いて稼いだお金を
よくもこれほど無駄に使ったもんだと捨てる時に心が痛む。



よく片付けの本に、断捨離は過去の浪費を反省し、次の買い物をする時に無駄なものを買わなくなると言うが、ほんとは最初から買わなきゃ一番いい。

じぶんのばか
しばらくは思う。

最近は無駄なものは買わなくなったが、
1.5メートルと間違って5メートルの延長コードをアマゾンでポチったり
電気スタンドかと思って注文したらめっちゃ小っちゃい箱に入ったミニ照明が届いたり
しょうもない無駄遣いを時々する。







活躍の場を。

最近片づけをしていたら、何が入っているか分からない箱が出てきて
あけてみるとたくさんのペンや鉛筆が入っていた。


大学生の息子が家を出た時も、使わない文房具を捨てた記憶がまだ新しい。
それなのにまだこんなに家の中にあったなんて。

娘がシャーペンデビューしてから一切使わなくなったたくさんの鉛筆。
小学校を転校するときにクラスの友達に配った鉛筆の残り。
確か、息子の高校か大学の受験の時に買った神社で祈願した真っ白な鉛筆。
もらった変な色で香り付きの蛍光ペン
説教モノに粗末な使い方の途中まで使った消しゴムが何個もあった。
シルクドソレイユを見た時に記念に買ったボールペンは、10年以上前から使っていたのに劣化せずまだ書ける。
何年たっても現役でいつまでも書けるから、子供たちはしばらく魔法のボールペンと呼んでいた。
ひとつひとつ懐かしい。






どうせ使わないからこのままボールペン以外を断捨離して捨てようかと思ったけれど、
ちょっと待てよと考えた。


ここにある物を一つ残らず最後まで使い切ろう。
断捨離は簡単だけど、どう考えても使い切るほうが有意義だ。


毎日なにかを紙に書いている。

あしたやること。
100均で買うものリスト。
忘れちゃダメな事。
冷蔵庫に貼っているメモ。

時々100均でボールペンを買ってきていたけど、これから重要度の低いメモなんかは
全部この鉛筆でいいじゃん。


きっと今後の人生で書くいろんなメモを全部これにしても使いきれないような量の鉛筆。



鉛筆としてこの世に生れて、使われずに箱で数年過ごしあっさり断捨離されるって
考えてみるとひどすぎる。

自分が鉛筆だったら無念だ。


なんだか随分罪なことをしてきたなぁと、申し訳ない気持ちになった。




懐かしの時間。

3人の子育てで、常に切らさないようにした遊び道具。
家じゅういたるところに、大量に紙と書くものだけは置いた。

チラシの裏や、印刷ミスのA4用紙の裏。
スケッチブックや、画用紙やノート。
絵日記のノートを買ってきて気が向いた時に好きな事をなんでも書いてと言った。


なにかあるたびに


「例えばどんな感じか書いてみて」



そんな会話が毎日のようにあった。



同じお題を出して、みんなで絵を描くというのもよくやったが
いつも私だけが絶望的にへたくそだった。

表紙(次女)
かえる人間という(各自のイメージ)

おたふくかぜの正体(次女のイメージ)
叫び1
叫び2

夫は忙しく、なかなか仕事も休めず旅行なんて数えるほどしか行ったことがないが、
今思えば家族全員でする家の中で絵を描くという遊びがけっこう楽しかったなと、懐かしく思う。





色鉛筆のつかいみち。

いくら何でも多すぎる色鉛筆の使い道も考えた。

これを消費するために、春からのお出かけは紙と鉛筆を持って出るなんてどうかなと思った。
神社や山や公園で出会った鳥や花や木を書くのも楽しそうだ。
神社で会ったりするにゃんこは書かせてくれるだろうか?

大人になってする写生大会もちょっと面白そう。
でも私が書いてる絵は恥ずかしいので、間違ってもよその人に覗かれたくない。

いぬくん。(画伯作)

そんな事を考えていたら、夫が絵本を写していた。
絵が描けるって心底うらやましい。

                  ココ