ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

いつも間違えてばかりいる。

どうかしてる。

どう考えても、あの行動は間違いだった。
これに関しては、時効などない。
たぶんあの時にバレたらまわりから非難されてもしょうがないようなダメダメな行動だった。


なにも聞かない。


次の仕事までの空き時間に家に帰った。



大急ぎで米を研いで
鮭を焼いて
梅干しも。

海苔を切った。

その日は珍しく夕方早めに、夫が帰ってきた。

おにぎり?
手伝うか?


夫は大学時代、居酒屋バイトで教わり
おにぎりはプロ並みにうまく握れる。


何のために作っているのかも
何かおかしな行動をしている事も
特別に理由を聞く訳でもなく
隣に立って黙って作っている。


いつも何も聞かないし、何も話さない。
ただひたすらに職人のように握っていた。
美味しそうなおにぎり。

実際本当に美味しかった。




大量に作った。

何個がいいかな?
4じゃ数が悪いから
5個袋にいれた。


仕事カバンと一緒にその袋を持った。



じゃ、行ってきます。

気をつけて。


エンジンをかけて、今日最後の訪問先へ急ぐ。






逃げ癖。

末っ子が小学生の頃、ホームヘルパーとして3年間働いた。

それまでは資格だけ持っていて未経験。
仕事は確かに大変なことが多かった。
それでも不器用なりに少しずつ慣れたし、嫌いな仕事ではなかった。


でも結果的に私は、ヘルパーを辞めその後すぐ近くのスーパーで働き始めた。




転職をするたびに思う。
稼ぎ頭として家族を支える夫は、こんなに軽々しく辞めることなど出来ない。

つくづく働き続けて家族を支えてくれていることに感謝しなければと思う。
果たして私が男ならこうして支える事が出来ただろうか?

当たり前だと思ってはいけない。
続けることはそれだけで凄いことだ。


とにかくその時の私は、続けることなくヘルパーの仕事から逃げた。


自分のどうしようもない気持ちの弱さから逃げたのだ。
私はプロとして失格のヘルパーさんだった。


でもどこかで、悔いのない自分もいる。

時間をかけて。




当たり前だが利用者さん一人一人
それぞれの人生があって
歩んできた歴史がある。


ヘルパーとおしゃべりすることを楽しまれる方も多かったが
必ずしも誰もが話が弾むわけではなかった。



触れてほしくないことを話さない
おしゃべりしすぎない
必要以上の事をしない
案外それも大事なことだった。



よかれと思って色々なことを話しかけたり、
家の中の気がついたことを何も考えずに聞いたりが
とても嫌な思いをさせていることだって多くあるのだ。



人間同士の相性もある。


合わないと感じるヘルパーを交代して欲しいと言う利用者さんは少なくなかった。


とても心に残る利用者さんがいた。

食事の支度をして居間に置かれたベットまで運ぶ。
食事の際にもその方には余計なことを話さないように言われていた。





静まり返る室内で咀嚼音だけが響く。



話をしたいわけではないのだ。
何かあったらお手伝いできるように同じ室内に座ってはいたが
ゆっくり書類を書きながら、ときどき窓の外を見て過ごした。



そんな訪問が数か月続いたある日、ほんの些細なきっかけで話をするようになった。



北国の古い家は、いまだに煙突のストーブをつけている家が多い。
春が来るとアルミの煙突は一旦小屋にしまわれ、壁の煙突穴は丸めた新聞やビニールで塞がれる。


天井近くの煙突穴を塞いだ場所から、気のせいか鳥の声が聞こえる。
静かな部屋で、穴の外側からする賑やかな声。


チュンチュン。




「この裏側に鳥がいるんですかね?」



聞くともなく無意識に思わずこぼれてしまった言葉。



「あら気がついた?」



毎年この時期になると雛の声がするのだという。
あの穴に毎年忘れずに必ず来る、楽しみな訪問者の事を教えてくれた。

「たぶん雀ではないかと思ってるの。」
「同じ雀の子孫かもしれないよね」

そんな事を話した。

それから夏が来て、秋が来て、冬が来た。


少しずつ利用者さんと話が弾むようになった。
北海道からお嫁に来たこと。
北海道ではジャガイモに塩辛をのせて食べること。
韓国ドラマの話題。
そして病気で体が動かなくなってきた悔しさを聞いた。



ルーティーンのように食べている昼御飯は
ジャムを塗ったパンか
焼きいもか
うどん。

うどんの日はご主人がとっておいた昆布出汁のつゆのいい香りが家じゅうに漂っていた。

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そのお宅は、利用者さんとご主人と小学生の女の子の3人暮らしだった。
女の子はいつも70代のご夫婦を
おとうさん、おかあさんと呼んでいた。


冬はご主人に雪かきという仕事も増えるので負担軽減のため、ヘルパーは夜にも訪問することになった。



夜の8時頃。
女の子はいつもお風呂上がりの濡れた髪でベット脇に置かれたちゃぶ台の前に座り、
タブレットで勉強をしていた。
そこには女の子を見ながらくつろいだ利用者さんの表情があった。

私は女の子と向かい合わせに座って報告書を書く。
書きながらどれどれ見せてとタブレットをのぞく。

「今の小学生の勉強は難しいなぁ。
おばちゃんには全然わからないや。」


私の話にいつも笑う女の子。
明るい女の子に皆の顔が綻んだ。

どんなわけがあってそこに3人で暮らしているのか。
家族には様々な形がある。



おやすみなさいを言って家を後にする帰り道。
いつも、どこまでも静かな雪景色。






暴走した。

昼の訪問があったある日。

その日利用者さんは昼ごはんを食べながらテレビを見ていた。
県で開発した新品種の特A米で作ったおにぎりを食べる人が映った。


「わぁ美味しそうなおにぎり。」
「ヘルパーさんはこのお米食べたことある?」


私は少し上の空で生返事をした。
心のなかでは、自分が思い付いたある事で頭がいっぱいになり
その考えに頭が囚われながらその場を後にした。



夜の訪問の時間が近づいた。
夫が握った五個のおにぎり。
仕事かばんとおにぎりを持って家を出た。



その夜、女の子は親戚の家に泊まりに行っていた。
ご主人は2階にいて休んでいた。

帰り際。


「ちょっと米を炊きすぎたので、おにぎりを食べてもらいたいんです。会社には内緒でお願いします。
変なおねがいしてすみません。ここに置いていきます。おやすみなさい。」



逃げるように帰ってきた。

心臓がドキドキした。




わたしはいったいなんて失礼なことをしてしまったんだ。
おかしな理屈を言ってまで、無理やりおにぎりを置いてきてしまった。
もしかしたらとんでもないバカなことをしてしまった。
後悔でハンドルを持つ手が小刻みに震えながら帰った。





次の日。


事務所にクレームの電話が来たらどうしようと心配もあった。
反面、むしろバレてしまって怒られたいような気さえした。





今思い出してもプロ意識に欠けたヘルパーだった。
食中毒だったり、アレルギーだったり、喉につかえるリスクだったり。
大袈裟に言えば命にも関わる事態だってあり得る事だ。

褒められた話ではない。

自分の気持ちを止められなかった無責任すぎる行動。

私は昔からそうなのだ。
人の寂しそうな顔がどうしても耐えられない。
自分の感情なのか相手の感情なのか
ごちゃごちゃに混ざってしまう悪い癖がある。

辛そうな横顔だったり、ちょっとした言葉が
いつまでも頭から離れない。

炊きたてのご飯。
美味しそうなおにぎり。
あぁ生きてるうちに食べれるかしら?

ずいぶんおにぎり食べてないなぁ。


お昼に冗談ぽく言った言葉がどうしても忘れられなかった。


生きてるうちにおにぎり食べれるかしら?
そんなこと、なんなら今日食べれるし。

暴走してしまったあの日。
後悔があとからあとからやって来た。





数日後。



昼の訪問時。

ご主人が駐車場の雪掻きをしていた。

家に入る前、外で話しかけられ
「あのね、おにぎり本当に美味しかったって言ってた。」
「夜のうちに食べちゃったんだよ。呆れた食欲だったよ。」
「あいつの兄がとってきてる自慢の北海道の昆布もらってちょうだい。」
「いい出汁がでるからね」


それから数か月後。

雪が溶け始めた3月。
私は仕事を辞めた。


その後仲のいい昔の同僚と飲みに行った時に、あの利用者さんが天国に旅立たれた事を教えてくれた。

同僚が言った。

実は私、ご主人からあなたのおにぎりの話を聞いちゃったんだよ。

・・・・



あの煙突穴に毎年くる雀の雛たちは今でもあの家に来ているのだろうか?

時々脳裏によぎる。





結局、私にヘルパーは向いてなかったのだろう。
感情移入しすぎてプロになれなかった。

私はたぶんこれからも、こうやって何度も間違う。
きっと夫はこれからも、何も言わず隣で見ている。

                       ココ