ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

親子はお互いを傷つけ心をえぐりながらしか生きられないのだろう。

母方も父方も共に祖父は長生きだった。

幼い頃はよく分からなかった。


母方の祖父は何事にも厳しく怖かったようだが私にはいつも優しかった。
祖母は母がまだ小さい頃亡くなり後妻さんがいた。
私は大人になるまでその人が自分のおばあさんなのだと思っていた。

母の思春期に後妻として迎えられ育ててくれた人は数年で癌で亡くなり、
私の知るおばあさんはその次の後妻だった。

夏休みは毎年母と祖父の家に泊まりに行った。

母方は頭のいい家系でいとこ達は皆非常に優秀だった。
祖父は孫達の勉強にも厳しい人でみんなは祖父に通知表を持って遊びに来ていた。
孫たちが祖父の前に正座してひとしきり今学期の反省点を神妙な顔で話していた。
その後はお小遣いをもらってさっさと帰って行った。


私だけは通知表を持っていくこともなければ勉強について尋ねられることもない。
何泊も祖父の家に泊まっていた。
夜には祖父と五右衛門風呂にはいり祖父の布団で一緒に寝た。
母が帰ってもまだ泊まっていた。
何も期待されずただひたすらのんびりしていた。
おそらく出来の悪い子ほど可愛いの典型のような感じだったのだろう。


20代の時。
両親が離婚した後くらいに、あの家にいるおばあさんが2番目の後妻だということを知った。

そういえばと合点がいくことが多かった。
仏壇に遺影にしては若すぎる母にとっては実の母と2番目の母の2人の女の人の写真。

泊まりに行くたびにうっすらとだが感じていた母とおばあさんの違和感。
料理をしたりおしゃべりしたり、2人ともいつもハイテンションで話していた。
今思うと本当の母娘ではないからこそ無理して必要以上に仲良くしていたのだろう。

後妻のおばあさんが実はひどい浪費家だったと聞いた。

着道楽でタンスにはしつけ糸のついた着物が山のようにあった。
実家がどんどん居心地悪くなっていったようだ。

子供の頃泊まったあの家にいたおばあさんは質素なただのおばあさんだったのに 、着るわけでもない着物をなぜ買うのかも到底理解出来なかった。


私の中の優しいじいさんばあさんが一気に生々しい男と女になった。

母の苦悩を想像してみる。
誰にも言えずにさぞや恨んだのだろう。

まだ幼かった母を育てるために迎えられた継母。
料理が上手で皆が羨ましがるような弁当を作ってくれたらしい。

そんな継母は癌で母が二十歳の頃に亡くなった。

その時の母は看病とショックでご飯が食べられなくなったと言っていた。


もう後妻なんていらなかった。
家に居場所がなくなったと感じた。
母の過去と心の中をはじめて聞いた。

母は離婚した後1人で祖父を訪ねた。
土間で土下座をした母を祖父は最後まで許さなかった。
怒り狂い家にもあげてくれなかったらしい。おばあさんが本当の母ならばかばってくれたに違いない。古い家の土間で泣く母の姿。どれだけ恨み辛かっただろうと思う。

そんな祖父を母は一生許さないと言い、祖父を長い間憎み続けていた。

老いた父と娘。



祖父は99歳で亡くなった。
亡くなる前の数ヶ月。
母は毎日祖父の病院に通った。
バリカンで髪を刈ったりヒゲを剃り爪を切った。
煮物を作って持って行った。大好物のトマトと梅干し。大好物のジャムパン。
母が行くのを病室で毎日楽しみにしていた。

「100歳までがんばりなさい」


色々な話をしていた。
なんだかいきいきしていた。

手を握って思い出話をしながら大笑いする母。


そのうち持って行ってもあまり食べられなくなり、祖父は母に過去を謝ることが多くなった。
「悪かった。」
そればかり言うようになった。


怖くて身勝手だった祖父が誰が見ても弱々しくなっていくのを感じていた。
オムツは嫌だトイレに歩いて行きたいとずっと言っていた気丈な祖父が歩けなくなった。
仕方なくオムツをしたが、水分をとらなくなり便秘がひどくなる。

母は祖父のベットの脇でお腹をずっとさすった。

ある日。
オムツから溢れるほどの最後のうんこが出た。
綺麗に取り替えベットの上で祖父のお尻を洗ってあげた。


「良かったね。おなかぺたんこにひっこんだよ。」
「さっぱりしたよ。ありがとう。」

それを聞いた時にそろそろお別れの時が迫っていると悟ったらしい。
それから少しして祖父は死んだ。

老衰だった。


母の中で父親である祖父との長い長い憎しみの日々に決着がついたようだった。
本当にあの介護の日々は良かったと母は後から言った。


美しくなった過去。



母は祖父についてぽつりぽつりと思い出を1つ語る。

母が幼い頃、秋の田んぼで落ち穂拾いをしていると祖父は必ず言った。
「白鳥や雀の為に稲穂を少し残しておきなさい。人間だけが生きているわけじゃないんだから。」
畑の野菜も、木になっている実も渡り鳥や獣の冬の食糧の為に必ず残して置くように言う人だった。


「すごく優しかったのよ。」



親子の憎しみの日々もこんなふうに終わりを告げる日がくるのだろう。
穏やかに語る母を見て思う。


恨みや憎しみや執着。

どうしようもないふるまいだったり、あやまちだったり許せない気持ち。


私の色々な気持ちもいつかこんなふうに終わるときが来るのだろう。



ココ