ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

景色を見ながらひたすらぼーっと。人との出会い。

昔から人と不思議な縁で出会ったり、数年後に偶然再会することが多い。

20歳くらいの時、新宿駅のバスターミナルでたまたま時間を持て余し隣に座っていた人と少しだけ会話をした。
退屈ですね。とかそのくらいの会話だったのだが数ヶ月後に横浜のある場所で再会し、お互いびっくりしすぎて飲みに行った。


横浜の寮にいた頃。
いつも残業の帰り道、ラーメンの屋台が気になっていた。門限があったので素通りしていたのだが、その日はどうしても食べたかった。門限なんてどうにでもなれと誘惑に負けて屋台に入ってみた。
ラーメンを食べていたら隣に座っているおじさんのお国訛りがどうも懐かしい。
完全に耳がダンボ状態でいたら話しかけられた。

「こんな所に若いお姉ちゃんが珍しいね。おじさんの言葉何言ってるかわかんないでしょ?」
こんな内容をコテコテの方言で言ってきた。これは完全に同郷だと確信。

とっさに切り替え、私も方言丸出しで返事をしたらおじさんはびっくりして色々聞いてきた。

県のどの町でどの地区なの?…

話していたら信じられない事に、町まで一緒で更には祖父まで知っていた。めっちゃマイナーな町の名前が何度も出てきて屋台の中、二人異様な盛り上がりだった。


「怖いじいさまだよの~。小さい頃よく怒られた~その孫か!」

ラーメンをご馳走になり今後この屋台で会ったらいつでもご馳走すると言われ、かえって気まずくて二度と行けなくなった。
でも、ありがたく嬉しい時間だった。

親になってからもある。
夫は転勤族なのだが、長女が幼稚園の頃ある勤務地で公園で少しだけ話した人に2つ後の転勤先の勤務地のスーパーで再会した。
カゴを持った人に追いかけられびびった。
見覚えのある顔で思わず話しかけてしまったと言っていた。
いまでは友人である。


出会いは財産だ。 でも その昔、気の毒な思いをさせた人がいる。

青春18切符で1人旅をした。
0時過ぎの東京発大垣行きの鈍行で出発。
朝方に大垣駅で乗り換え京都に行った。

当時一泊1000円のユースホステルに泊まり、地図を片手に歩き回る貧乏旅。

ユースホステルは似たような旅をしている人がたくさんいた。京都のユースホステルは9割くらい外国人で英語が話せない私はずっと無口だった。

もちろん同じ部屋の人とは出川イングリッシュと笑顔でコミュニケーションをとっていたがそれでも部屋にいるのが少し気まずかった。

ラウンジで1人ガイドブックを見ていたらバイクで日本中旅をしている男性に話しかけられた。
さすが旅慣れたバックパッカーという感じで京都も慣れていて色々と見どころやおすすめの回り方を教えてもらいその日はお礼を言って部屋に戻った。

次の日は昨日聞いたオススメの京都の回り方をそのまま回った。
寺を回るたびにその人が出没した。
そしてその度に記念撮影をして
「じゃ、また。いい旅を」
そんな風に別れた。

あまりにも何回も会うので出来上がった写真を送りたいと言われた。
少し迷って実家の住所を教えた。

京都一人旅は無事に楽しく終わり数ヶ月後。



父方の何年か共に暮らした祖父が亡くなり、田舎に帰省した。
祖父はフリーの?坊主という特殊な仕事をしていたので地域の有名人だった。
狭い街なので、皆知り合いであそこのじいさまがついに亡くなったんだってよ…なんて噂になるのだ。


大往生だった祖父の弔いは一種の宴会と化していた。
「ただいま」
忌中の張り紙の玄関先のドアを開けるなり
張り紙とは似つかわしくない大爆笑しながら酒を飲む親戚のおっさん達と、台所でもピーチクパーチクとおしゃべりしている親戚のおばちゃん達がいた。


なんちゅう葬式……



とりあえず一息ついて線香をあげたりしていたら来客があった。
親戚のお姉さんに呼ばれる。

「カレシがきたよ!」

「は!?」



全く意味が分からず玄関先に行くと、そこには京都で何度も会ったバックパッカーの彼がいた。


訳を聞くと次のような事だった。

東北をバイクで旅をしていたらそういえばと住所を思い出して通ってみた。
ジュースを買いに商店に入った。
何気なく知り合いがこの辺りだと言ったら、今おじいちゃんが亡くなって帰って来てるよと言われた。
行ってみろと言われたので寄ってみたという事だった。


忌中の玄関を見てピンポンする勇気もすごいと思うが、田舎の酔っ払っておかしなテンションになっているおっさん達の餌食となった。

ちょうどその時誰かが棺桶の台の高さが気になるから治せとか言いだして

「そこの若いの力ありそうだから手伝え」
全然関係ない彼がうちの祖父の棺桶の端を持たされた。ごちゃごちゃ揉める気まずい場所に付き合わされる。

やっと解決した時。
革のつなぎを着た彼は

「すみませんトイレを貸してください」

タイミングを逃し我慢していたのだろう。
昔ながらの水洗じゃない男性用の小便器のあるトイレで用を足していた。

戻るなり
「元気のいいしょんべんの音だな。なげーかったぞ」
がはははは

順番待ちをしていたおっさんにいきなりの下品の洗礼を受けていた。


頑なに固辞し帰るつもりの彼が親戚の真ん中に座らされた。そこから尋問が始まる。
出身地やら仕事やら兄妹構成を延々と聞かれていた

全然そんなつもりで来てなかったはずが。彼にとってとんでもない事になっていた。
いくら関係ないから、迷惑だからやめろと言っても親戚達に聞く耳などなかった。

結局夜ご飯まで食べさせられ、途中一旦香典袋を買いに行き線香をあげてくれたのちペコペコしながら逃げるように帰って行った。

バイクのエンジンをかけ走り去る後ろ姿に

「暴走族にしては礼儀正しかったな」


違うから…



彼は一年後に律儀に北海道のお土産を置きに再び寄ったらしい。懲りない人だと思う。今は元気でいるのだろうか…


昔はスマホがなかった。
旅の列車の中は本や雑誌を読んだ。飽きると隣の座席の人と本を交換しませんかと話しかけたりした。それも飽きると自然と会話が始まった。

その時間だけの会話。

それでは又と会釈して別れる穏やかな気持ち。


スマホのない時代は地図や時刻表が頼りだった。メモ書きや頭の中の記憶だったり、目の前の人から聞く情報が頼りだった。


不便ではあるが人と人との繋がりが密だったように思う。
スマホで時間をつぶせない分、列車の窓から景色を眺めたり道を歩く人を観察しながら自分以外の人の生活の営みを眺めるたり考え事をする時間があった。


縁あって言葉を交わし行き交う時間。


子供達には人との出会いや縁を大切に生きて欲しい。




ココ