ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

流れる感覚。父とおなじギャンブラーの血

子供の頃。

父と出かけた思い出をふとしたひょうしに思い出した。
小学校の低学年の頃だろう。

身長100センチくらいからの視線。

耳が痛くなるくらいうるさい店内。煙草の煙でのどが痛い。
もう何時間も前からその場所に飽き飽きしている。
店の床は真っ黒で銀色の球が落ちている。
銀色の球を拾ってはポケットに入れてある程度たまると父に届けに行く。
決して楽しい遊びではなかった。


父の耳の穴にはパチンコの玉が入っていていつもなぜ耳にいれるのか不思議に思っていた。
のどが渇くともらった小銭でびんのジュースを買った。

コーラやミリンダのストロベリー。懐かしい昭和の人気だったジュース。
自販機に栓抜きがついていたがうまくできなかったが誰かがやってくれたのか思い出せない。

何時間もたっているのにいっこうに父は帰ろうとしない。
お腹がすいてきたしつまらない。
早く終わってラーメンを食べに行きたい。

またある時。


たくさんの人がいる屋外。
舞い上がる紙切れを拾う遊びをしながら待つ。
たくさんのおじさんが耳に赤いペンやら鉛筆を指して新聞片手に同じ方向を見ている。
なにをしているんだろう。
また紙切れが舞い上がった。
なんだか楽しそうだから拾いに行こう。

まじめゆえにのめりこむ性分。

そんな父は若いころ本当にまじめだったらしい。無趣味でどちらかというとつまらないタイプ。



あまりにつまらないので
ある時友人が連れていったはじめてのパチンコで猛烈に勝ってしまった。
また違うときに連れていかれてたまたま買った馬券が万馬券になってしまった。
宝くじも結構な金額が当たったこともあった。
強運の持ち主なのだろう。


恐ろしいほどの様々なビギナーズラックが重なって、まんまとギャンブルへとのめりこんでしまったようだ。

私をギャンブルに連れて行ったあと、父が隠していても必ず母にばれて喧嘩をしていた。
当時のパチンコ店は床が真っ黒で、家に帰ったあとの私の手も独特の汚れ方をしていた。
ポケットにはパチンコの玉がはいっていた。
たくさん紙がおちている遊園地なんてないし、聞かれたことを素直に答えた。
ただひたすら父を待っているだけの時間を母にうまく説明できるはずがなかった。

たぶん時代がそうだった。

昭和のあの頃って信じられないくらいゆるく大人が自己中心的だった。
大半の今の家族は、いかに子供を楽しませるかに尽力するだろうが昔は違っていた。

お父さんという大黒柱は一番に偉くどうであれ逆らうことなど許されない存在だった。
なにしろお金を稼いでいるのだからえらいのだ。

それでも家族の幸せを中心に考える賢明な父親の家庭もあったはずだ。
でも我が家は違っていた。
ほどほどに楽しむくらいですんでいればこんな事にはならなかったのだろう。

アリとキリギリスのキリギリスそのものだった父。
アリとキリギリスの実写版を数年に渡って見せられた。
その主演を演じてしまった父がすこし哀れに思う。


でもその父も昔はアリのように働き者だった時期があるという。
夫婦で少しずつお金をためていた若い頃。
朝から晩までよく働くまじめな父だった。
あの頃が一番良かったと母は言う。

人は、なにがきっかけで人生の歯車が狂いだすのだろう・・・




そんな父の娘である自分にもまじめすぎるアリの部分の中に、確実に強烈なキリギリスが隠れている。


ギャンブルは大嫌いと言いながら、なにかを当てたい腹の底にある危険なきもち。
普段は善良な顔で過ごしているが、
「ええい、めんどうだどうにでもなれ。」
「こんなものどんどんやってしまえ!」と
いつ思うか分からない。


そんな自暴自棄と大胆が混ざった父に似た性格。
なにかにのめりこみそうな自分の危うさや、ギャンブラーの濃厚な血。

だれにでもたぶんあるのだ。
そこを踏み外す人と、父のように戻れないところまで行ってからようやく気が付く人。


父に似た自分の危うさにすこし懐かしさをかんじる。



                     ココ