ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

許せないならすっかり忘れてしまいたい。

ねちねち

平和な日常。
急に憂鬱になる面倒なお年頃の自分。
それが歳をとるということなのだろう。
50代は人生の秋というらしい。
でも自分の機嫌は自分でとるべき。

不機嫌というのは必ず伝染するものだから。

正直めんどくさいと思う自分がいる。

父は酒を飲みギャンブルをして驚くほどの借金を作り一家離散した。

父を許せたらどんなにか楽だろう。
なんのこだわりもなく笑顔で
「生きてた?元気だった?チョーひさしぶり」と会いに行けるような神経が欲しい。

30年近くの空白、年月は埋まるのか。
よぼよぼのおじいさんになっていたら、許せるのかもしれない。
でも正直そんなのは見たくない。
それとも結局はお墓が再会の場面かもしれない。
そんな事をたまに考えるが、今は会うつもりはない。


色々な自分の感情に当てはまる言葉を探して何冊も本を読むたびに
そうそう分かる分かると思いつつ、だからなんなんだと思った。

自分のせいなのか?


いつも母に会いに行く時なぜか心臓がドキドキし、緊張しながら向かった。
今日の精神状態が分からないので電話も怖かった。
母はきっとずっと心が病んでいたのだろうが無理もないと今なら思う。

幼い頃から母はいつも不幸に見えた。
そしてなぜかその原因が自分であるかのように私は感じた。

高校を卒業し家を出て、離れて暮らす母はなんだかすこしだけ幸せそうに見えた。
離れたところで母が楽しそうにしているのを見て、何だ良かったと肩の荷がおりたような気持ち。


しかし何年かたって一家離散した。
私の人生はすごろくのようにふりだしに戻る。

何年もの間、私は自分が幸せに向かいそうになる時にどこか罪悪感を感じた。
そして母や父の事にどこか責任や苦しさを感じながら生きていた。

もっといい方向に行かなかったか?
こうなったのは私のせいなのではないだろうか?

この考え方は親の怒りの感情の中で育ったアダルトチルドレンだから

そんなことを本で読んだ。

やはりだからどうしたと思いながらも本を読んだ。

私はカウンセラーではない。


私は年齢を重ねるにつれ自分のせいで両親が不幸なわけではない事にうすうす気が付いていた。


でも実際は母が喜ぶ些細なことばかり探しいつも機嫌が気になる。



自分が親をなんとかして幸せにしなければという責任をいつも感じていた。
その気持ちとは裏腹に母は歳と共に何に対しても不満そうになっていった。

大人になって父と母の色々な事だんだん分かるようになってきた。

ひどい貧困だったわけでもなかったのになぜかいつも貧しかった。

なぜあれほど私が我慢をしなければならなかったのか?
子供に与える事が最優先ではなかったのだと残念な気持ちが増える。


わたしは、いつも親の顔色を伺いながらいる。
そしてたぶん心の奥底に巨大な怒りを抱えている。

幼い頃の自分の怒りの種をいつまでも持っている。

忘れてしまえばいいのだろう。

でも。

高齢になった父や母を責め、謝罪を求めたところで私の気持ちは晴れるわけがない。
いまさら出来なかったことを責めたところで仕方ないのだ。


働き金を稼ぎ飯を食わせ子どもを育てる。
これは容易ではない。

私が今生きていること。
しつこい過去のトラウマに苦しい日もある。
子供の成長に幸せを感じる日もある。
それは間違いなく父と母のおかげなのだ。


うまいこと反面教師がいてくれたおかげで、その逆をやればいいのだと子育てに活かすことができた。


過去の不幸への執着からは何も生まれない。
恨んだり憎んだりすることからは新しい未来は生まれない。

幸せになるためには過去などすっかり忘れてしまえと思う。
執着からは幸せなど生まれるはずがない。

自分の現在に過去はまったく関係ない事で、これからも全く関係ない。
そして私は自分のこの命をどのように使い、どのように生きようと自由なのだ。

アダルトチルドレン
だからどうしたとこれからも暗示をかけよう。
何度も自分に言い聞かせ、私はかならずかっこいいばあさんになりたいのだ。              

                     ココ





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