ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

誰もが歳をとるのだから。

最近何もないところや自分がはいている巾の広いパンツのすそをふんで部屋で転んだりする。
もう少し体感を鍛えなければとすこし焦る。
老人の骨折の原因は自宅での骨折が多いと聞く。
そうだカルシウムもとらなくては・・・

せっかちゆえの・・・



普段からせかせかしているせいか、いつぶつけたか分からない青タンがしょっちゅう出来ていた。


家の中で足の小指を角にぶつけるなんてのは日常茶飯事だった。
もっと遡ると学生時代に後ろの席で先生に前に出て発表しろと当てられて黒板に行く時。
慌てすぎて机の角にお股をぶつけるなんて事もあった。

きっとこれは多分男子の方が痛いのだろうと思う。



ひどい時は冷蔵庫を開けるタイミングより早く中を覗こうとして鼻を思い切りぶつける。
同じように車に乗るときなんかも開けるより早く顔を出す。

でもこういう失敗やケガは若くて素早く動けるからであってただの不注意で性格の問題だ。


それとは別で老人にさしかかってきた自分の親を見ていてもだんだんと動きが鈍くなってやることも危なっかしくなってきた。
うっかり「なんでそんなことができないの!」なんて言いそうになるが、自分もいつか通るであろう道なのだ。

今は全く想像できない自分の老後。



悲しいことだが人は必ず歳をとってうごけなくなるのだという事を、身をもって見せてもらった出来事が過去に何度かあった。

床に転がる老婆。



ヘルパーをしていた頃。
朝ご飯を用意したり掃除をしながらお年寄りが無事で居るか確認する業務が多くあった。

いくら施設を勧められても、どうしても住み慣れた自宅にいたいという方は多い。
生活がままならなくなっても、少しずつしか歩けなくなってもギリギリまで自宅で頑張る人ばかりだった。

自分の歴史が詰まった自宅を離れるのはやはり寂しいものなのだろう。


冬の朝。
道が混むので早く出て思いがけず30分あまり早く着いた。
車の中でスマホを見て時間を潰し5分前になったのでピンポンを押す。

反応がないのでドア少し開けると鍵がかかっていない。
恐る恐る中に入ると玄関を入ってすぐのところに丸まっておばあさんが倒れている。

心臓がドキリとする。
あの車で待っていた時間もずっと玄関に転がっていたのか・・・
早く着いたのだからさっさと来ればよかったと思いながらそっと声をかける。
覗きこみ思わず鼻の穴の前に指をあてて息をしているか確かめたが、今思うとプロは脈をとるものなのだろう。

蚊の鳴くような声で名前を呼ばれた。
「情けない情けない」
おばあさんはそう言って自分の姿を恥ずかしがった。


前の日の夕方からそこにいたようで一旦転んだきり起き上がれなくなってしまったようだ。
北国の真冬の真っ暗な玄関ホールで一晩過ごしたおばあさんは完全に固まっていた。
どうにかして温めてほぐそうにも、氷のように冷えた体。


もしかしてどこか骨が折れているかもしれないし、どのくらいの体力が残っているかも分からない。
あたたかい場所に連れて行こうにも下手なことは出来ないのでまずは責任者に連絡を入れる。

それでも目の前で歯がカチカチいうくらいの寒さで震えているのだから、安全な居間に移動させたいと思った時、とっさにいつも部屋の模様替えを1人でやる時にタンスを運ぶやり方を思いだした。



毛布をもってきてどうにかおばあさんの体の下に噛ませ平行移動で床の上を毛布を滑らせるようにして居間まで移動する事にした。


途中1箇所の段差があった。
おばあさんがどこか痛くないか聞きながら、そこだけはお姫様抱っこして通過した。
おばあさんは冷えて縮こまった体でしっかり私につかまって頑張ってくれた。
なんとかしてストーブの着いた部屋までたどりついた時は思わずおばあさんの冷たい手と握手した。

痩せて滅茶苦茶ちっちゃくなったおばあさんも案外重かったのを覚えている。
人はとっさに力が出るものだと思ったし、何もなかったから結果オーライだった。
でもあれが本当に介護現場での正解だったかは今でも分からない。


その後。

お茶を飲んでもらい蒸しタオルで手や顔を温めるとだんだんと血の気が戻ったが、実は正直最初に玄関先で見た時は思わず手を合わせそうになったとは口が裂けても言えなかった。


聞くとトイレに行こうとして転んだまま起き上がれなくなったという。
家が豪邸すぎて居間からトイレまでの距離が遠いのも運が悪かった。


その昔おばあさんが主婦だった頃。
社交ダンスをするくらい活発な方だった。
訪問するたびに見せてもらった自慢の若い頃の写真には、ダンス用のドレスを着た美しい女の人が映っていた。昭和のモノクロ写真はまるで女優さんのような雰囲気で写真の中の笑顔は今のスマホで撮ったような写真の数倍特別感があった。



実際のドレスを見せてもらった時は、こんな長いドレスがちょうど良かったおばあさんはいつのまにこんなにちっちゃくなったのか不思議でならなかった。
目の前にいるおばあさんは全長がドレスの3分の2くらいしかないのに。


今は形状記憶のように90度に曲がってしまった体。
シルバーカーにつかまって歩く老人。
自宅にずっといたいと頑張る昭和の美人だったおばあさん。

ダンスをしていた頃にはまさか家の中で転んで朝まで床で過ごすなんて想像もできなかっただろう。


血圧が高くなり激しい運動を制限されたことがきっかけで、うごくのが億劫になったのも一因のようだった。
幸いおばあさんはそのあと念の為病院に行って点滴をしてもらい、骨折もなかったがその後も会うたびにずっとあの時の事を

「情けない情けない」と繰り返していた。







数年間のヘルパーとしての訪問でこんなことが実は何回かあった。
転んだ拍子に骨折していた方もいた。
倒れて起き上がろうにも起き上がれないなんて、どんなにか情けなく悔しかっただろうとそのような現場に遭遇するたびに思った。

いくら携帯電話を買って渡しても、持っていない時に限って転んじゃうのだ。


こんな時こそ
「アレクサ電話して」
みたいな声だけで操作できるのが役に立つのかもしれないと今は思う。

AIはこういう実際に役に立つことを急いで普及させて欲しいと最近は思う。

目指せスーパーばあさん。

他人事だと思っている老後。


正直、まだまだ自分には関係のないことのように感じている。
いつまでも動けると思っているが残念ながら老いは確実にやってくるだろう。

最近は月並みだが一日一万歩を意識している。
できるだけ健康に長持ちするように、とりあえずたくさん歩いて足腰を鍛えなければ。
筋肉が全然ないのでこれはやばいような気がする。

東北人なので塩分も気を付けないと。
豪邸に住む予定はないのでそれだけは大丈夫だ。




贅沢は出来なくても、しっかり歩けて元気なばあさんとして老後を暮らせたら一番幸せなんだと思う。


ココ