ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

近くにいずとも元気ならば。

私と父は誕生日が1日違いだ。

結局20年以上会っていないのだから、何の因果かと思ってしまう。

母は、

「ぜったいに忘れないように近い日に産まれたんじゃない?毎年泣いて思い出してるでしょきっと」 そんな風に言ったりする。

毎年のように1日違いの誕生日が近くなると

「ああ今年も思い出す儀式が来るぞ来るぞ」と複雑な気持ちになっていた。

父は2月1日 私は2月2日

そんな2月生まれに約20年前息子が加わった。

今は離れて暮らす大学生の息子は7日生まれだ。

内心「3日じゃなくて惜しい」とちょっとだけ思った。

発想が奇抜で独創的なところが父に似ている。

やはり血は争えないなと思いながら育てた。

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あっという間に家を飛び立った。

この息子の誕生日はケーキを作ることが多かった。

2月は家庭内に誕生日が2人。

そして恵方巻。バレンタインと手作りが多い。 なんとなく誕生日のケーキも手作りになった。

毎回夫がケーキに絵を書いた。

ケーキ自体は褒められるほど上手でもないので、絵師によって特別感を出した。

嬉しそうに吹き消した後は、男の子なので惜しむことなくすぐに食べるのが潔かった。

それぞれを日々生きている。

3人の子供がいても、
不平等な母だったと今思い返すと申し訳なく思う。
長女にはまだ子育てが慣れず厳しく接しすぎた。
息子は二番目なので極端に写真が少ない。
次女は生まれてすぐに手術をしたのでやけに神経質に育てた。
口うるさい母親だったのでそれを交わすのがそれぞれ大変だっただろう


永遠に子育てが続くと思っていた。
でも今になるとあっという間に家を出ていくものだと実感する。
子育て。
ぶつかり合った日々。
縁あって親子になり、一緒に過ごした日々。

厳しく育てた娘も、自由人の息子も家を出た。
私は彼らを育てたのではなく、育てられながらたくさんのしあわせをもらった。


それは後から思い返すと光のような速さで過ぎた。


おそらくこの先、子供3人と全員一緒に住むことはないだろう。

一緒に過ごす時間は永遠でなどなかった。



父も誕生日を思い出しているのだろうか。
そんなことを考えながら誕生日はケーキを食べようと思う。






ココ