母について

嫌な時はこの世に生んでもらったことに感謝。

母について

同年代と話すと自分の親、特に母親との関係に悩む人が多い。


割合でいくと上手くいっている人が2割でしっくりこない人が8割くらい。
母親が同級生だったら絶対に仲良くなれないタイプだという話で盛り上がる。


優しい人が聞くと眉をひそめ、産んでくれた人に対してなんて事をと言うだろう。

そう感じるとすれば、その人は家族というものにずっと憂いのない人生を送ることが出来たのだ。
再度、その幸せを心からかみしめたほうがいい。

100%健全な気持ちで育つというのはある意味奇跡だ。

そうやって育ったからしゃーない。




考えてみると女という生き物は元来、年齢を重ねるにつれ嫌な性格になるように出来ているような気がしている。

一番知っている自分という女がそうだ。
相手を責めて自分を全力で正当化し庇う。


だいたいの場面において女は自分勝手で
やってもらえなかったことばかりをすごい記憶力で覚えている。




自分の母親を見ていても自分がやってあげた側のことは何十年でも覚えている。
でもしてもらったことを感謝する言葉は残念ながら全く出ない。
してもらった時には、ありがとうではなくて悪いわねと言う。
いつまでも恩着せがましくありがとうを求めるが、自分発信のありがとうは意地でも言わない。


人を傷つけるような言葉を平気で吐いた過去は次から次へと忘れている。
女は忘れると覚えるのバランスが悪すぎる設計になっているのだろう。


母親は無意識で娘に罪悪感を植え付け、精神的に縛り付ける。
無意識でそんな事をしてしまうのはなんとも悲しいなと思う。

実際に私は小さいとき体が弱かったので自分は親に面倒ばかりかける人間なのだと思っていた。
そのせいか劣等感が強く、親の機嫌ばかりが気になって長い間生きずらさを感じていた。

なにか親の揉め事のすべてが自分に責任があるような気持ちで生きてきたが、最近ようやく自分の考え方はおかしいと気がついた。




随分長いことかかったものだ。



母が辛かった自分の人生を嘆き、吐き捨てるように私に言った数々の言葉。
母親の中ではきれいさっぱり忘れ去られ、私の中では永久保存版の脳内ファイルに保存されている。


どうやら記憶とは自分に都合よく上書き保存されていくらしい。


一生懸命頑張ってきた私。
それなのに報われない可哀想な私。


おおかたそんな考えが母の脳内の大部分を占めているんだろう。

私が言われた言葉も吐かれた時よりたぶんかなり大げさに意味を増して私の脳内に保存されているだろうから、案外これはおあいこのようにも思う。





母親のペースにのまれて自分の気持ちを暗い方向に持っていってはいけない。
何度もそう思いながらいつも心は振り出しに戻る。

他人にはものすごくやさしいわたし。



ヘルパーをやっていた時も本当にそんな母と娘は多かった。
目の前で殺伐とした空気で話す老婆と中年女性。
長年の嫌なことが蓄積された結果なのだろうが見ていてそれはそれは気まずくて辛かった。

「また無駄遣いして」
「いらないものばかり集めて」

娘が吐き捨てるように不快そうに言う。

あんな風に言わなくても可愛いおばあちゃんじゃない。
そう思っていたがそれは私が赤の他人だからだからなのか・・・





実際、お年寄りの家はなんでこんなにと思うくらい物が多い。
そしてあるのに永遠に物を買う。
1日中家でテレビを見ているからか、通販で必要のない何のためか分からないものをわざわざ電話してまで注文して買う。

ショップジャパンやジャパネットで使いもしない掃除機やジューサーを買って封も開けずに玄関に置いてあり子供が呆れて親を怒っている。



普段は100円ショップやリサイクルショップでストレス発散に買い物をする。
たいていの家には何も買わなくてもいいくらいすでに物があるのに、することがないので年がら年中買い物に出かける老人は多い。



不思議なものでよそのおばあさんがいくらくだらないものを山のように買い集めても、
100円ショップの買い物ごときで気持ちがスッキリするなら安いものだと寛容な気持ちで見ることが出来る。


女性は寂しさを買い物で埋める人が多い。
そういう母もよくわからない安いものを気晴らしに買って無駄遣いをしている。

これはもう考え方や時代が違うから仕方ないし、そもそも私のお金じゃないのだ。
自分の母親のことも他人を見るのと同じように見ればいいのだろう。
でも無駄遣いの買い物に歩いていけるのは足腰がまだ丈夫な証拠で考えてみるとありがたいことなのかもしれない。

その昔。
我が家にはたぶんお金があったはずなのになぜか貧しかった子供の頃。
こどもに全然お金をかけない家だった。
買ってもらえなかったのでいつも物が欲しかった子供の頃の自分。
大人になって物を買うことで心が満たされたような気がした。

私も散々こういうことをやって生きてきたが、物は決して心の隙間を埋めてくれなかった。


最近は一人気ままに散歩をしたり本を読むのがなによりも好きだ。
自分の機嫌を自分でとるための手段は何歳でもかならず一つ持っておいたほうがいい。



なにを楽しみに毎日を過ごすかは人それぞれだ。
きっと母親だって買い物だったり、なにかをしながら目一杯今を生きているのだろう。

ふと1人の母を想像してみる。
布団の中でハッキリと自分が過去に吐いた言葉の数々が蘇える。
そして全部思い出して自己嫌悪や罪悪感で悶える夜もあるのかもしれない。
そういう風に勝手に想像していると、言った言われたに関するすべてが面倒でどうでもいい事になってくる。

きっと老人というのは、いまさら絶対に謝れない生き物なのだろう。

それが高齢になることに抗って元気に生きている証でもあるのだろう。


自分がわかっていればそれでいい。



自分と同じ女性である娘たち。
そして息子も。


心を傷つけてしまうかもしれない遺伝子がきっと私にもある。
わがままでどうしようもない部分。

できれば将来はお互い元気で少し離れたところで過ごしたい。
最近は特にそう思う。
ありがとうとごめんなさいが言える老人になろう。
わすれないようにしなければ。



いつも歩く散歩コース。
川沿いをいい香りを出しているのがどの木なのか正体が知りたくなった。
どれなのか探すために何往復もその道を歩いた。
歩き疲れてベンチに座り思う。
いい香りを出すこの木のように周りをそっと心地よく癒せる歳の重ね方をしたい。




人が生きることの難しさ。
素直になることの難しさ。
許すことと忘れることが出来れば、たぶん心は幸せになれる。






                       ココ




ぜひ聞いて⤵



コメント

  1. ココ より:

    つぶあんさん共感していただきありがとうございます。自分が気づけたから良かったと思い、連鎖しないように生きれたらいいですよね。
    実際はなかなか難しかったりします…

  2. つぶあん より:

    ココさんのお母様に対する気持ちは、私にとって共感することが多々あります。

    切ない娘心の代表のような気持で成長して大人になった今、母を小さく感じるようになった気持ちも私の中に新しく生まれてきました。きっと母も祖母に対してそうだったのかなって。

    前世、今世、来世と続くというのなら、来世がより良くなるように学んでいるのかな?なんて思ったり。生きているうちに気が付けて良かったと思ったり。

    気持ちはいろいろですね。

  3. ココ より:

    ひでぴんさんも色々な思いがあるのですね。
    あの親を選んだのかー。
    マニアックだな私😆

  4. ココ より:

    生れてくれてありがとう
    いい言葉です。
    めちゃくちゃ共感。

  5. ひでぴん より:

    こんにちは!
    自分も親の世代になった以降、
    自分の生い立ちや家庭環境についていろいろ思いをめぐらせることがあります。
    そのたびにモヤモヤした気持ちになることも😅
    僕の場合、スピリチュアル的見地での、落としどころ。
    この世に降り立つ前に、自分の意思でこの親を選んで生まれてきたんだという考えを思い出し、
    自分で選んだんならしょうがねぇわって😆

  6. 鳥天 より:

    最近親ガチャとか毒親とかよく目にするけれど、なまじ記憶力に優れるニンゲンは色々と面倒よね。
    自分が親になって、産んでくれたことに感謝とかより、生まれてくれてありがとうって言葉の方がしっくりくる。

  7. ココ より:

    たまぞうさんのコメント見て考えさせられます。
    そうだよなあって。
    優しくするってなかなか簡単にできない事なのかも。
    心って難しいもんですね・・・

  8. ココ より:

    たき子さんのコメント見て、そうか年と共にましになったって思えばいいんだって思いました。
    確かに自分で自分を認めてあげなきゃだめだよね・・・(≧▽≦)

  9. ココ より:

    私もコメント欄を見て、しっくりこない人の多さをますます感じました。
    期待してしまう自分の気持ちがきっとダメなんですよね😖

  10. なんかすごく納得しちゃいました;
     私の母は優しい人で家族を大事にし、でもとっても過保護でおせっかいだったのがものすごく鬱陶しくて、私は冷たい娘だったなと思います。母はいい人なのに、当時は優しくできなかった。
     姉はとても優しくて気遣いのできる人なので、他県に嫁いで行ったけど、いつも母を気にかけ、母が具合が悪かった時も何度も訪れ、滞在して見舞ってくれました。姉のそんな姿を心から尊敬し、私はなんて冷たい人間なんだろうと思ったものです。
     母が亡くなった時、悲しかったけど、そんなものだろうくらいにしか思っていなかった; 優しくできなかったのも仕方ないと思ってた。でも、月日が経って、今になって、なんであの頃優しくできなかったのか… もっと優しくすれば良かったって、じわじわと後悔しています。でもあの頃はできなかった… 今ならできるような気がするのに。

  11. たき子 より:

    女って年齢を重ねると嫌な女になる生き物なの?
    自分自身の事を振り返るとずいぶん嫌な子どもだったから年くってマシになったと思ってるんだけどな(*^^*)
    母のことは反面教師として有効だと思ってる(*´艸`*)

  12. AKAZUKIN より:

    しっくりこない人って8割も居るんですねー。ちょっと意外でした。
    もっと上手くいってる人が多いのかと思っていました。
    私、大半側だったんだのか。。

    父のことは最後は送ったけれど、母とはほぼ絶縁状態。
    もうこのまま会わずに終わりたい、と願っています。。。