ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

わたしのたいせつな鞄たち。

夫と私はクリスマスや誕生日といった記念日にお互いプレゼントを買わない。

何が欲しい?と聞かれても特に欲しい物が思いつかない。

こう言うと、さも欲がない謙虚な人みたいだが本当はその全く逆で
もらえるなら一回の権利を失敗なく確実に行使したい。

あまりにも欲深すぎて、決められずに



「今は別に欲しい物がないな」

という返事になる。





高いものは家計に響くしなぁ
なんて現実的なことも考える。

大人になると夢がなくて、なんともつまらない。






かわいげゼロの女。

30代くらいの若い頃。




私は夫に

「結婚記念日や誕生日にサプライズの花束とかいらない。
だから、考えていたとしても絶対に買わないでね。
お金も勿体ないから。」

くれると言ってもいないのに、こんな可愛げのない事を言った。


転勤族で、夫は職場から花束をもらい持ち帰る事がたびたびあった。
ありがたい事に、自分が去らない時期でも逆に貰うことがあった。

普通の妻なら、お花を持って帰ったらわぁ綺麗と喜ぶはずだろう。




綺麗な花が花瓶の中でしおれていくのが、ちょっと苦手なのもある。



それと、


夫が転勤で花束を大量に持ち帰る時期。



夫は連日の送別会で忙しく、引っ越しには戦力外。
間に合うのかしらと不安になる一人の荷造りが夜中まで続いた。

周りが段ボールだらけで、花を飾って楽しむ余裕のない時の花束。


若かりし頃の私は、


花束はマジでいらない。




こんな事を言った私は、永遠に夫からサプライズの花束を貰うことはないのだろう。





散歩中に、よそのおうちの素敵な花壇を眺めるくらいが自分には合っているような気もする。









覚えていたのか。

それでも夫から、約3年に一度プレゼントをもらう。
出張に行かない年もあったので、6年貰わないこともあったが
京都に行けば買ってきてくれる恒例行事になった。




夫が京都への出張中、ふとした空き時間にフラッと入った鞄屋さん。
一澤信三郎帆布





夫に何度も話していた京都の老舗鞄屋さんだった。
それは、当時欲しかったのとはちょっと違う、兄弟が作った違う名前の鞄だったが、
一つお土産に買ってきてくれた。






いつも私の話を遠い目でBGMのように聞き流しているようでも、この鞄の事は覚えていたのだろう。



その鞄はその頃、毎週通っていた手話講座にピッタリだった。

A4テキストを入れて擦れて色が変わるくらい使った。

5年くらい相棒のように過ごした。




お気に入りのペンケースと。

気まずいほど何もできなかった当時の自分。




ハタチの頃、百貨店で日本の伝統的な物を雑多に集めた売り場で働いていた。



週に何度か来る、コーディネーターの女性kさん。
40代の書家で、デザイナー。
他にもいろんな肩書を持っていた。
九州出身で、フミヤと仲良しで結婚式に行ったりしていた。
豪快でサバサバした性格。
アニエスを着て、なんかいつもカッコいい。

都会は凄い人がいるもんだなぁと心の底から思っていた。

都会のスピードについていけずに口が開きっぱなしと言う感じの田舎もんの私。
いつも気にかけ、
「同じ田舎もんだからさ」
そんな事を言って、可愛がってくれた。



ある定休日前日。

「ここのディスプレイをやってみて。亅

と、雑貨の一畳ほどの大きな台を一か所任せられた。



悩みに悩んで自分なりに物を並べて、当時寮の門限があったので先に帰宅した。

定休日明け、出勤すると私のやったディスプレイは何から何まで変わっていた。

いつもながらkさんのディスプレイは発想力が桁違いで大胆。
見ごたえがあって素晴らしくなにも悔しくなかった。


感心していたら、私が帰った後の一悶着をある職人さんから聞く。

ディスプレイをイチからやり直していたkさんに、違う職人さんが



「さっきまで、あの子は頭を悩ませて、センスがないなりに頑張っていたじゃないか。」
「跡形もなく治すなんて酷いんじゃない?ちょっとくらいやったものを残してやれよ。」


全然関係ないのに、人情溢れる職人さんが
私の事を庇ってkさんに文句を言い当然のごとく却下された。

バブル期の百貨店。
センスのないディスプレイを採用するほど甘くはなかった。

ありがたいけど気まずい。
でも優しさがやっぱりありがたかった。


たぶん仕事が出来なすぎて、やらせることがなくて周りの大人たちも大変だったと思う。

今この年齢になると分かる。

それでも職人さん達はいつも味方をしてくれて優しかったし、
Kさんも本当に色々なことを教えてくれた。
それは今思えば、仕事だけじゃなくて人生について話してくれることも多かった。


kanahebijiro.com


当時、kさんが肩からいつも下げていた黒い鞄。



書家としての筆。
ディスプレイに花を活ける花鋏。
道端で積んだ草。
煙草。
分厚い手帳。

ばりばり働くカッコいい女性kさん。
使い込んだ鞄から、いつも様々な物が飛び出した。




「かっこよくてさ、真似したかったけどあの頃はどこに行けば買えるかも知らなかった」

当時をこんな風に夫に話したことがあった。

3年にいちどのプレゼント。


夫は覚えていたらしい。
それから京都への出張のたびに買ってきてくれる。


鞄はその時の生活に合わせて用途を変えた。


お弁当を入れて仕事に行ったり、
時には子供の入院の荷物を入れて持って行ったり
旅行に行ったり
今では御朱印帳を入れて、神社に出かけたり
エコバックにもなっている。

荒っぽいわたしにぴったりの丈夫な鞄たち。



去年、買ってきてくれた黒い鞄。

30年以上前に見た憧れの黒い鞄に似ていた。




私はこの先も、鞄を自分から買うことはないだろう。


一澤帆布の変わらないものづくり。

「時代に遅れ続ける」




私にぴったりな贈り物。
3年に一回。
これくらいがちょうどいい。
最近では思う。



                  ココ