ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

じここうていかんっていうけれど。

自己肯定感の低さを自覚しているがそんなの特にどうって事ないと思っている。

自己肯定感が育つはずがない。



小さい頃にあまり褒められずに育つと
自分に自信が持てずにいつも人の目ばかり気にするとかいう話。飽きるくらい何回も本で読んだ。


なるほどその通りだなと思う。

時代もあると思うが、幼い頃から親にぶん殴られて育った。
我が家だけではなく叱る時は叩く親が周りも多かったし先生達もそうだった。

「ほらみたことか」「人様に恥ずかしいことばかりする」「ダメダメそんなんじゃ」

褒めるどころか理不尽な鉄拳と叱咤激励とが日常だった。


常に親の機嫌と顔色を伺っていたせいで、相手の気色ばむ一瞬を決して見逃さない。


こういう育ち方だと自分の軸がなく常に自分のすることに疑問を持つと言うが、これは育ちもあるが持って生まれた性格もあるだろう。


そんな人が大人になると



大人になって仕事をすると自己肯定感の低さはマイナスばかりではなくプラスにもなった。


よく思われたいので頑張る事が苦ではない。
最初のうちこそ失敗も多いが仕事に慣れるのも遅くはない方だった。


適当にサボるという発想はないのである程度まで順調に進む。
気持ち悪いくらい腰が低くて謙虚に振る舞うが、決して自分の中の自己評価まで低い訳ではない。

仕事にも慣れ責任が増えるにつれ
頑張っている自分に酔う昭和世代。
人にはあまり頼らない。


この辺りまではむしろ長所だろう。


そしてベテランになり始めた頃に必ず訪れる



このままいくとのしかかる責任が見えてくると急に元気がなくなるのだ。
上に立つことから逃げたい下っ端根性。


この辺が自己肯定感の低さの良くないところだと自分では思っている。



自分の壁を乗り越え人を引っ張っていけるリーダーはこの世の宝だ。


たぶん小さい頃からアメリカのホームドラマのダッドやマムがよく言うセリフ。


「お前を愛してる」
「お前を誇りに思うよ」
「お前を信じてる」


そう言われて育ったのだろう。




私はずっとそんな風に思っていた。


でも案外そうでもないと今は思う。

そだった環境のせいじゃない。

自分は出会いに関しては強運だ。



今までどの職場でもいい人に恵まれた。


厳しい人もいたが人からの学びは多かった。



過去に働いた同僚に自己肯定感も自己評価も高く、きちんと自分で自分を認めている人がいた。
たった一歳上で仕事もめちゃくちゃできて、周りへの気遣いに溢れウイットに富んだ人なのだ。

親しくなっていくうちに、どんな風に育ったかを話すとかなり自分と共通点があってお互い驚いた。


私を上回るほどのハードな幼少期。
殴られるどころか蹴られもして育ったその人。
それでもちゃんと自己肯定感が高かった。



褒められずに育ったおかげで自己肯定感が低いなんて親のせいにしていいのは、せいぜい20代までかもしれないとその人との出会いで気付かされた。
いつまで中二を引きずっているんだって話なのだ。





とにかく続ける事




自分にはこれがあります
と言える強みは結局同じことを根気よく続ける事だろう。
逃げずにやり続ければそんな自分を肯定できるのだと思う。

結局は自分次第。



親になってみて子供を褒めてばかりもいられなかった気持ちも分かった。
自分だって自己肯定感を挫く言葉を言ってしまったかもしれない。
きっと言いまくっていたと思う。

自分も悲しかったのと同じようなことを子供にもしてきた。



最近自己肯定感よりも必要なのは根拠のない自信という言葉を聞いた。 そうだよ必要なのはそれだよと思った。 誰が褒めてくれなくてもいいじゃん。 50代。 こじらせてないで明るく自信持って行こう。            

                       ココ