ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

過去と他人は変えられない。

もはや悩むのも趣味。

どこからともなく泉のように湧き上がるネガティブな感情。

常に心のなかにある自責の念。

もったいないおばけがでそうな時間の無駄遣い。

趣味は自責か。

子供は素直に育っているし、夫も一生懸命働いている。
なにが問題なのかと言われると、何の問題もない。

50代の今、何もできないくせに屁理屈だけは立派な、
薄っぺらいわたしがここにいる。
憂鬱な気持ちにせっかくのいい天気がなんと勿体ないことか。

この浮き沈みは噂に聞く更年期ってやつなのだろう。

夕方、家族が帰ってくる。
落ち込みモードをなんとか終わらせる。

さっきまで沼地にいた気持ちがバレないように
一日が充実して楽しかった演出をしすぎて
やけに饒舌になる。

見栄っ張りなのだろう。

ふつうに黙っていればいいだけだった。


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たいていのネガティブは過去に言われた言葉とそこで受けた心の傷が発端だ。

最終的に頭の中は、自分の生い立ちだったり自分が受けてきた親からの態度だったりに行きつく。

50代にもなってじめじめした湿り気の強い感情が沸き上がる。

普段は忘れていても、年を重ねるごとにどんどんネガティブになっていく親の言葉。
あいかわらずな親に接するたびに感じる気持ち。

逃げたい。
聞きたくない。



似た者同士。

去年引っ越す前にお向かいさんだった、みっちゃんと久しぶりに電話で話した。

みっちゃんとは共通点が多かった。

生真面目な長女。個性的な二番目が息子。末っ子の少し体が弱いマイペースな娘。
子供の順番とキャラクターが驚くほど似ていて、少し年上。
子育ても少し先を行く先輩だったので、いつも経験談を教えてもらっていた。

母との少しぎくしゃくした関係だったり、罪悪感。
普段はあまり人に話せないような感情。

少し似ているような気がした。


お茶でもしない?と、誘うのも相手の負担にならないかと色々と考えすぎてしまう。
お互い気を遣いすぎるところが似ているせいか、4年ほどお向かいさんだったのに
二人でしたお茶の回数はそこまで多くはない。


みっちゃんは朝、私がパートに出勤する時いつも共有スペースの階段をほうきで掃いていた。
3階から1階までほうきで掃き清めると気持ちがスッキリするという。

恐縮する私にいつも言ってくれた。
「私がやりたくてやってることだから気にしないで。」


あんなにふだんニコニコしている人。
きっとものすごく繊細で壊れそうな心の持ち主と思っていた。

お互い心地いいお向かいさんとして暮らしながら
ひとこと交わす言葉に、安心感を感じて過ごした。


節目で気づいたことを聞く。


みっちゃんの末っ子が今年無事大学に合格した。
子育ても一区切りついてまた夫婦だけになる。
ひとしきり話した後、

「最近思うんだよね」

みっちゃんが言った。

「わたしね、このごろ自分の母親からようやく精神的に卒業できたような気がするの」


ドキリとした。
すごく気になった。
どうやって?


10代と30代。
20代と40代。
30代と50代。
40代と60代。
そして今。

母と娘は年代ごとに変化する。
心の中でお互いを心配したり反発したり、いろんな意味で意識しながら過ごしてきた。
仲良し親子に憧れても、親子の歴史だったり生き方の違いで
残念ながら良好とはいえない関係の時期もあった。

親でなければ、大嫌いなタイプ。
それが母。

きっと世の中の良好な親子関係の人が聞いたら眉をひそめるであろう言葉。

でも案外少なくないと思う。


母と娘は、どこかが似すぎているからこそなのか。


みんな正しい。

みっちゃんの息子さんが昨年結婚した。
結婚式を見ながら感じた気持ちを話してくれた。

時には感情的だったり、一貫していなかった子育て期の自分。
厳しく育てすぎた時期もあった。
思えば本当に未熟な母親だった自分。

あの時は若くて自分にはあれしか出来なかったんだ。
がむしゃらだった。
謝りたいことはたくさんだがそれなりに良く育ってくれた。

ならば母親だって、私に対してそうだったのか。
傷つけられた自分の心。
かあさんは未熟だったんだ。
あれしか出来なかったんだ。
あれが精いっぱい。

息子にだけ厳しかった自分の夫。
30代の夫にはあれが精一杯だったんだ。
夫だってたぶん夫の後悔や失敗があって、
でも正しい。

おねえちゃんにはおねえちゃんの。
息子には息子の。
妹には妹の。
正しいがある。
もちろん自分にもその時なりの正しさがあった。

年をとって嫌な事ばかり言う母親との会話。
なぜそうなのだろうと考え続けるとしんどい。
心の中のもやもやは正直あるけれど、相手に変わって欲しいと思わなければいい。


かあさんが自分の心を守るためにしている
かあさんなりの正しさなのだと思うと何とも思わなくなり楽になった。

「おかあさんは凄いね。」
「ほんとにそうだね。」

今では感情抜きで2時間くらい話を聞いてあげることもあると言っていた。

「みんな今まで精一杯頑張ったんだから正しいんだよ。」

やってきた過去はなにも間違っていなかったという考え方は、とても救われる。
自分を責める必要もない。
相手に変わって欲しいと思う必要もない。


いつも少し先を歩いているみっちゃんの言葉。

正直、私はそこまで到達するのはまだまだ先の事だろう。



未来自分だけはどんな風にも変えられるのだ。
これから自分が間違えないようにすればいい。


みっちゃんの言葉は、私の気持ちを沼から救い上げてくれた。
せっかくのお天気。
せっかくの自分の時間。
散歩に行こうと前向きな気持ちになった。

                        ココ