うんざりしながら聞いている誰かの悪口。
母親はこんな顔をしていたんだなと冷静に眺める自分。
昔はもっと楽しく過ごせたはずなのに。
歳を重ねるというのはこんなにも重苦しい悩みが増えるものなのか。
お土産はふこうな話。
母は不幸な話が好きだ。
どこかの誰かの怪我だ病気だ離婚だという話をお土産に持っていくと、
「あら気の毒に」
口とは裏腹に目が輝き出すのだ。
本気で可哀想と思ってはいるのだろう。
気持ちは優しいのだ。
昔から人に無関心で冷淡な人では決してはなかった。
そう思いたい。
きっと母はいま幸せではないのだ。
足りない感情が常にあるので、他人の喜びよりも何かを失った話の方が共感できるのだろう。
不幸仲間探し。
自分だけじゃない喜び。
この人よりマシという安心感。
常に機嫌のいい幸せそうな朗らかな人は苦手だろう。
そんな良い奴は即悪口対象になっちゃうのだ。
母を訪ねる際のお土産は
喜びそうなお菓子と
喜びそうな人の不幸話を持っていく。
おいしいお菓子でお茶を飲み
不幸な話と人の悪口で至福の時を味わうのだ。
母を訪ねた後はたまらなく憂鬱でそれは長く続いた。
嫌でも聞くべきだったのか?
悪口を聞くというきついバイトより不毛な時間を過ごす。
その日は何もしたくないくらい心も体力も消耗するのだ。
どうすればいいか分からなく悩み続け
ある時私に我慢の限界がきた。
真正面からのド正論を、でかい岩をぶつけるかのようにぶつけた。
「うるさい。いい加減そういう話は聞き飽きた」
「聞きたくない」
我慢の限界だった。
昔から私はいつもそうだ。
我慢こそ私の仕事。
可哀想な母の気持ちが晴れるなら我慢くらいしなくては。
やりすぎた末に大爆発しちゃうのだ。
怒り狂って投げた岩を母は投げ返す。相当な泥試合。
双方共に大怪我だ。
「私には愚痴や悪口を言う権利もないのか!」
「話くらい好きにさせてもらってもいいじゃないか!」
「聞いてくれることもできないのか!」
団地の分厚いドアを壊す位の勢いで怒って閉めて帰ってきた。
そしてそこから長いこと母とは疎遠になった。
散歩をする度に思い返すひとことひとこと。
言った言葉と言われた言葉。
ループする負の感情。
楽しそうにショッピングしている同じくらいの年代の母と娘を目にした。
なぜあれが普通にできないのだろう。
でも傍から見るのとはあの人たちも違うのかもしれないが。
少なくてもあの娘さんは歳とったお母さんに優しくできるんだ。
人の悪口くらい付き合えば良かった。
いつもそう考えた。
折り合いをつけるのはなかなかに難しく。
そういえばお母さん最近どうしてるの?
1年程経って、夫に言われる。
随分会ってないのでは?
薄々気がついていてもそっとしておいてくれたのか。
それとも本当に今気がついたのか。
どっちだろう?
本気でにぶいのか?
どっちにしても夫のこの位の距離感は助かるのだ。
久しぶりに母と会った。
でかい岩をぶつけ合ったような喧嘩をすっかり忘れたように会話をした。
似た者同士。何事もなかったかのように
上手くやれるのだ。
お互い地雷を踏まぬよう気を遣いながら…
でも心の中では歳を重ねる事の現実を実感していた。
今からではどうやっても間に合わないことが多すぎると気づいていた。
たくさん吐いたひどい言葉。
今更なかったことに出来ない過去の態度。
いつもいつも笑顔で近くに暮らし
楽しい時間を増やせば、母の愚痴も少しづつ薄まっていくだろう。
歳を取れば何もない毎日が続く。
そんなに生産性のある有益な話なんてあるわけないのだ。
顔を見せて笑う数分の積み重ねが欲しいだけだろう。
それなりに幸せだと思いながら人生の後半を過ごして貰うこともそばにいれば出来るのかもしれない。
人の考え方なんて、それも70過ぎた人間の考え方を今から変えるなんて不可能だ。
そして現実に、私には私の守らなければならない家族がすでにあるのだ。
その姿は自分のこれからなのかもしれない。
友人が言った。
「話すことなんかないけど毎朝母に電話するの」
「喧嘩ばっかりだけど、それが安否確認なのよ」
心底羨ましいと思った。
ごく自然に電話をして喧嘩する母と娘。
真似出来たらどんなにいいか。
昔色々な料理を作ってくれた母。
自分は常に二の次だった母。
心配してくれた母。苦労ばかりだった母。
母になってわかる気持ちもあった。
一生懸命だったんだろう。
そこは自分も嫌になるくらい母に似ているからよく分かる。
なにより私のこれからの人生を
反面教師としての姿を見せてくれている母。
足りない気持ちで過ごすより、これで充分だと思って生きていきたい。
私は心から思う。これで充分幸せだ。
母に似た嫉妬深く、それでいて見栄っ張りの自分。
いつか子供に嫌われるかもしれない毒の多い自分。
母のお陰で自分の弱さや醜さに気がつく事が出来た。
ココ