ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

なんだよって文句を言いながらものを食らった日。

コロナが始まって2年以上経つ。
みんな同じ条件で我慢してるのだから不満は言わずにと心掛けていても、失った時間の長さに時々愚痴りたくなる。

タイミングわるすぎ。




金曜日。
お昼すぎ。
通常よりずいぶん早い時間に娘が帰ってきた。


帰ってくるなり朝持たせた弁当をすごい勢いで食べながら号泣している。

弁当に涙が入りそうになり、喉をつまらせながら話した内容はこうだった。


昼休みになる少し前に娘のクラス担任がみんなを集めた。

クラスでコロナの陽性者がでたので全員弁当を食べずに今すぐ帰るように。
日曜日まで絶対に自宅から出てはいけない。
週末に予定されている部活の大会や発表は全部参加中止との事。



実は学校では春からずっと同じような措置が取られていた。

ある部活は地区大会に向かう途中で関係者の陽性報告があってバスがUターンしてきたこともあった。
春からずっとこうだった。
同じ教室内でマスクをして授業を受けていても念の為に自宅待機というやり方が続いていた。


感染するようなことをしていなくてもなぜ?と思うが仕方ないのだろう。
一人感染者が出るたびに休みが増えていくので全員揃わない日々が続いている。
これはやる必要のあることなのだろうかと少し疑問を感じる。



明日は娘の吹奏楽部の定期演奏会というギリギリのタイミングだった。
「あーあ。せめてあと一日陽性が遅れてわかっていたら良かったのにな・・・」

いまさら言ってもしょうがない事をつい言ってしまう。


娘は毎晩遅くまでの練習で疲れ切っていたが、それでも早朝から朝練にも行っていた。
とにかくサックスを吹くのが好きで受験勉強をしていた頃から高校での部活を楽しみにしていた。
授業中に寝てしまい何度も先生に怒られるくらい夢中で練習し本番を楽しみにしていた。



そういえば中学校の時も涙を飲んでいる。


娘の中学校は吹奏楽の強豪校だった。
癖強めのナルシスト達が集まる吹奏楽部で娘は部長だった。

吹奏楽に向かうときは一切忖度をしない気持ちの強さを持っている。
そしてサックスに関しては誰よりもたぶんナルシスト。



この娘を見ているとつくづく親子であっても性格は持って生まれたものだと思い知る。

吹奏楽で勝つためには率先して嫌われるリーダーをやっていて、ひやひやするくらい人にも厳しい。
人に嫌われたくなくてへらへらしてる私とは大違いだ。


そんな娘の中学校が県大会に進んでいよいよ東北大会行きの切符をかけた予選の前。

部長である娘と副部長が校長先生と顧問の先生に呼ばれ、勝ち進み東北大会に行くことが出来ても今回は辞退することにしてはどうかと言われた。
その事について部員全員で話し合って決めて欲しい。
その話し方からはあらかじめ辞退を決めろという意味のようだった。


娘たちの代は1年生の時東北大会のステージに立つことができた。
顔が熱くなるほどの眩しいライト。
みんなの憧れのあのステージの切符。

その切符を仮に手にしても行かない事を最初から決めろという。
残酷な決定を自分たちでするように迫られていた。





本当は本人が震えるほど行きたかったが、部長という立場上辞退したくない人を必死で説得した。

結局東北大会には選ばれなかった。

行けるかどうか決まらないうちから気まずい思いをしながら辞退の話し合いをさせる意味はあったのか疑問が残った。


こんなことを生徒達に決めさせるくらいなら
いざ決まってから校長が嫌な役割を引き受けてくれればよかったのだ。

できればリスクを回避したい。
いやな感じが残った。

気持ちを押し殺す若者たち。


6人が演奏会に出れないことになった。

普段は後ろの席で寝ていて口数が少ないのにトロンボーンがうまい男の子。
今回演奏途中のピアノ部分を弾きたいと立候補した男の子もいた。
男の子は急な大雨になった帰り道、かっぱを着てずぶぬれで自転車で帰っていた日もあった。

呆然とする男子と号泣する女子。
女の子は号泣してみんなに慰めてもらえるが
こんな時に泣くわけにいかない男の子達の気持ちが少し気になった。



それでも救われたのは部員みんな
陽性になった人は一ミリも悪くないのだからあまり騒がないようにしよう
そんな気持ちだったということだ。

相手の気持ちを考える機会が増えたのがコロナで学べた唯一のことなのだろう。

昨日は海にドライブに行った。
自宅から1歩も出るなということだったが、こっそり車で一時間の海を目指した。

学校のルール上は隔離対象だが国や県のルールではまったく濃厚接触者ではない。
先生に怒られるから何?そんな気持ちだった。



みんながステージで演奏しているであろう時間に海を見ながらジャンクフードを食べた。

鳥が狙っていたので笑いながら大急ぎでむしゃむしゃと食らう。
食べている途中からすでに胸焼けしそうだった。

仕方がない事が世の中にはあるんだということ。
私たちが子供の頃こんなに何度も経験しただろうか・・・

食べながらずっとスマホを見ていたら、同じく出れなかった仲間がSNSでつぶやいた。

「いよいよ始まりましたね・・・」
「出たかったですね・・・」


トロンボーンが本当に惚れ惚れするくらい上手く、今回彼は1年生ながらソロパートがあったようだった。


「ほんとざんねん・・・」
「あーあくやしいな」

何回もつぶやいてこいつは暇なのかな?と娘は笑って言っていた。
きっと彼は悔しい思いを吐き出す場所がなかったのだろう。


いつも笑顔だったのに。



コロナで失った大切な時間は私の友人にもある。


コロナが始まる数ヶ月前。
ある知らせにショックを受けた。


都会で楽しく独身を謳歌していた同級生が自宅で倒れていたところを発見された。
独身だったので見つかるのが遅かったようですぐには回復できず体に不自由が残った。
原因は脳卒中だった。


飲み会で集まる場所には必ずいる。
彼を思い出すときに怒った顔は全く浮かばずいつも笑っている友達の多い奴。
親の仕事の関係で何回も転校したせいか、すぐに誰とでも仲良くできる性格になったようだった。
人を緊張させない気楽な気持ちにさせてくれる笑顔。

20代の頃、数人で大阪の友人を訪ねて遊びに行った時。
アメリカで買ってきたという自慢のつま先のとがったウエスタンブーツを旅行に履いてきて、足が痛いと歩きながらずっと言っていた。
なんか笑えるドジで愛すべきキャラクターが倒れたという知らせにかなりのショックを受けた。


コロナ前。
友人とお見舞いに行った。
痩せていたし表情は曖昧でどこか悲しげだった。
私も友人もどうしていいか分からず何度も同じことを言い続けた。

でも時折一瞬だけ見せる笑顔の中に、昔の表情も少しだけある。
なんとか笑顔を取り戻すことは出来ないか。


「また来るからね。」


友人と話してからあれからもう2年以上経ってしまった。

聞くとやはりコロナの感染予防のためにリモートで家族のみ予約制の面会となっているようだ。

やむを得ないのだと思うが辛い。

いくらなんでもそろそろ終わると。


スペイン風邪は収束まで約3年かかったという。
いつかは終わる。
歴史を見ても伝染病は必ず終わっている。
永遠に終わらないなんてことはないはずだ。




コロナになっていないのに同じ教室にいただけで、自宅に閉じ込められる時間。
誰にも面会できずいる友人のいる建物を眺めることしかできない数年間。

誰も悪いわけではないし、みんなそれぞれ一生懸命やっている。
終わりを信じて待つしかない。
1日も早い収束を誰もが願っている毎日。


そして昨晩。

夜中の11時に延々と暴言を吐き愚痴りながら、娘と買ってきたケーキを食べて背徳感を味わう。

やけくその長い1日は遅くまで続いた。


                     ココ