ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

くそまず料理と父とのくらし

夕方にはいろいろな匂いがある。

大嫌いだった父。
怒鳴られたり殴られたり理不尽だった日々。
でも18年余りの一緒に暮らした日々の中には穏やかな凪のような一日もあった。
あまりにも数少ないからこそこれほどに残るのだろう。
古い数枚のフィルムのような記憶。

嬉しかったそのころ。

私が小学校6年の時きょうだいができると言われた。


父が毎晩飲み歩きいつも喧嘩が絶えない両親なのに母が妊娠したのだ。
思春期が少しずつ始まっていた私には「え!」「なんだかんだでそうだったのか」「なんだか違和感」という感想だった。

 

実際母の妊娠が分かってから父は家にいることが少しだけ増えた。
つわりで季節外れの青リンゴが食べたくなったときは、その辺を探し回りどこかから見つけてきたりした。さすがの父も連日の朝帰りというわけにはいかないようだった。


相変わらずパチンコには行っても夕食の食卓に父がつく。
我が家にとって物珍しい光景に私の期待もふくらんだ。

もしやこのまま普通の家庭のような暮らしになるのかとどこかフワフワした気持ちが続いた。

そんなある日。

家に帰ると母はどこにもいなかった。

切迫早産で入院となったのだ。

急に始まった父との暮らしは少々緊張の伴うものだったが多分父も同じだったのだろう。
父はその頃、ほとんど酒を飲まずに父親をやろうとしていた。

慣れない子育てをする父との暮らし。

ある夜。

玄関にある黒電話がけたたましく鳴った。


母がまだ臨月には程遠いにもかかわらず出産してしまったのだ。
産まれたのは弟だった。

まだあまりにも小さく早くこの世に出てきた弟はその頃生死をさまよっていた。
もし生きることが出来てもどこかに問題を抱えるかもしれないと言われたようだ。


その日から病院に毎日通う父を待ちながら一人で夜を過ごした。
父は帰宅してから酒を飲んだがいつものように酔ってはいなかった。

毎朝家に2本ずつ届く牛乳。
私は牛乳があまりすきではなかったので母がいなければ自分から飲むことはなかった。
誰にも飲まれることなく冷蔵庫にたまっていった。

水をためて薪で沸かす風呂の焚き方が分からず次第に私は薄汚れていった。
どうすることもできなかった。父はそんなことにも気が付かないほど疲弊していたのだろう。
今思うと父はまだ30代の若造だ。
私は様子を見に来る叔母のおかずを食べて、洗面器を持って銭湯に行きどうにかこうにか過ごしていた。

弟に輸血が必要になった。
父の血液は今までの過度の飲酒と喫煙で状態が悪く輸血は不可能と言われた。
父の職場の人達や知り合いが数人で輸血を申し出に家を訪ねてきた。
親戚も検査に協力して、心づもりしてくれることを約束していった。

いざと言う時の為にお酒を飲まずに皆が待機していると言ってくれたようだった。
季節は冬。そしてお酒を飲む機会の多い時期だった。

父は訪問した人の前でカーペットに頭をこすりつけお礼を言っていた。
一人になってもからさめざめと泣いていた。
その様子を私はふすまの陰からこっそり見ていた。

ようやく会える日がきたが。


見てはいけないものを見た。

父を見てそんな気持ちになり一人で眠った。
良くないことが起きるのかとずっと思っていた。
そして何日も不安な日々が続いた。

「おとうとに会いに行くぞ」

突然その日がきた。

ようやく弟に会える喜びを隠しきれない私と対照的に父は無口だった。
車で一時間ほどかかる道のり。
タバコくささに酔いそうになりながら久しぶりに乗るおんぼろ車の中。


私は急ぎすぎて冬なのに裸足で玄関先のサンダルを履いて来てしまった。

母親不在とはやはりそんなことがおろそかになるのだ。

私の季節外れの裸足にサンダルの足は死ぬほど汚れていた。
「きたねえ足だな」

父は娘がいつのまに薄汚れていたことにこの時はっきり気が付いたようだった。
途中、町の高そうな洋品店の前で車を止めた。

父はあきらかに場違いな長靴にジャンバー姿で店内へと入っていった。
店のマダムの一瞬戸惑った顔とその後の笑顔。
なにか笑いながらこっちを見ながら話していた。
そして戻ってきた父の手にはレースの白い靴下があった。

病院に着き面会した体に管がつながれ保育器の中の弟。
それは驚くほど小さかった。

母との久しぶりの再会。パイプ椅子に座りなにか居心地悪い浮かない気持ちだった。
汚い足に似合わない自分のひらひらの靴下を眺めながら過ごした。

あの小さな弟は大丈夫なのだろうか。

かえりみち。

驚くほど何も話さず車に乗っていた。

その日の記憶。

母と弟との面会の次の日。

家に帰ると、台所の大鍋に父が牛乳を死ぬほどいれたであろう鶏の煮物があった。
父によって風呂が炊かれていた。久しぶりにトタン張りの極寒の風呂に入る。
お湯はとてもあたたかかった。

さっぱりした風呂あがりに信じられないほど不味い鶏の牛乳煮を父と食べた。
シチューでもない、たまった牛乳を使うために作った名もない鶏の煮物。
私はそのくそまずの煮物をたくさん食べた。


父とテレビを眺めながら過ごした時間。
あの時父は二人の子供の父になったことを実感していたのだろうか。

おそらく生きるのが下手くそで不器用だったであろう父。
自己中心的でついに親になりきれなかった父。

そんな親子にも、一場面を切り抜くと確かにあった父と娘のささやかな一日。
あの日のことをたまに懐かしく思う自分がいる。

                     

                        ココ