私について

見えない傷。言葉は刃物。

私について

自分の声が好きになれない。
世の中にたいして自分が常に意識的でその相手との自分という役割を演じている感じがする。
相手の喜びそうなことを言い、良い人間だと思われようとアンテナを張る。

他人が不機嫌になったり、気分を害することに異常に敏感である。
相手が機嫌よく過ごすためならば自分のその時の感情なんてどうだっていいのだ。
声を出して発言しているときにそれを客観的に観察しているもう一人の自分。

本当の自分。

本当の自分は非常に皮肉屋で、感情的でとげのある人間だ。
嫌なことを平気で言う自分もいる。
なぜかその言葉のむけられる先は大切な人だった。
大切な愛さなければならない罪なき存在に向けられた。

この人ならばわかってくれるだろう。
あなたの為にあえて言ってる。
どうしてわかってくれないの。


世間にはあれほど愛想よく振舞う自分が平気でひどい態度をとる。

都合のいい言い訳や甘えとはなんと醜いものだろうと最近は反省の日々だ。

自分への嫌悪感

ようやく最近になって気がついたのは、おそらく自分の親もこうだったのだろう。
貧しさや寂しさ、やりばのない感情を弱い子供に向けてしまっていたのかもしれない。
そして親自身も自分の声や態度を嫌悪するときもあったのかもしれない。

「もっといい家に生まれればよかったのに」
「あなたがいなければとっくに離婚していたのに」
「おとうさんをおこらせるようなことばかりするな」

母に言われるたび私の心は申し訳なさでいっぱいになった。
いたたまれない気持ち。


どうしようもない本音を隠さずに言う相手。
それが娘の私であったのだろう。
きっと私にだけはぶつけることが出来たのだろう。
あの頃の母の年齢をじぶんが超え、どうしようもなく精神的に不安定なのが人間なんだと客観的に思えるようになった。
母は孤独だったのだとも理解できるようになった。

これからの生き方。

そんなどうしようもない不安定さ。
これは自分のなかにもはっきりと感じる。
まぎれもない事実。


でも誰だってあるはずだ。

誰であっても本当の自分をすべて出して生きている人はいないだろう。
汚い自分。
卑怯な自分。
弱い自分。
誰より自分がそれをわかっているが、未熟じゃない人は表に出さず必死で生きているのだ。

人を傷つけるくらいならわざとらしくてもいいから優しい自分を貫けるようになりたい。
そろそろ成熟した大人にならなければ。
子供の頃の自分の心の傷は今は感じないけれど
自分が誰かを傷をつける刃物にだけはなりたくはない。




                  ココ

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