自分の声があまり好きになれない。
ときどき自分という役割を演じている感じがする。
相手の喜びそうなことを言い、良い人間だと思われようとする。
他人が不機嫌になったり気分を害することに異常に敏感である。
相手が機嫌よく過ごすとホッとする自分がいる。
何か言葉を言いながら客観的に自分を見る自分がいる。
本当の自分。
本当の自分は非常に感情的でとげのある人間だ。
それを自分が一番よくわかっている。
嫌なことを平気であえて言う自分もいる。
なぜかその言葉のむけられる先は大切な人だった。
それはときどき子供という罪なき存在に向けられた。
あなたの為にあえて言ってる。
どうしてわかってくれないの。
瞬時に効果的に嫌なこと言う。
世間にはあれほど愛想よく振舞う自分が平気でひどい態度をとる。
都合のいい言い訳や甘えとはなんと醜いものだろう。
自分への嫌悪感
最近になって気がついたのは、おそらく自分の親もこうだったのだろう。
やりばのない感情を弱い子供に向けてしまっていたのかもしれない。
そして親自身も自分の声や態度を嫌悪するときもあったのかもしれない。
「もっといい家に生まれればよかったのに」
「あなたがいなければとっくに離婚していたのに」
「おとうさんをおこらせるようなことばかりするな」
母に言われるたび私の心は申し訳なさでいっぱいになった。
いたたまれない気持ち。
どうしようもない本音を隠さずに言う相手。
それが娘の私であったのだろう。
きっと私にだけはぶつけることが出来たのだろう。
あの頃の母の年齢をじぶんが超え、どうしようもなく精神的に不安定なのが人間なんだと客観的に思えるようになった。
母は孤独だったのだとも理解できるようになった。
これからの生き方。
そんなどうしようもない不安定さ。
目をそむけたくなるまぎれもない事実。
嫌な性格。
誰であっても本当の自分をすべて出して生きている人はいないだろう。
汚い自分。
卑怯な自分。
弱い自分。
誰より自分がそれをわかっている。
未熟じゃない人は表に出さず必死で生きているのだ。
大人というのは自分から出る言葉をきちんとコントロールできることなのではないか。
そんな事をこの頃は思う。
50代の今。
将来の目標を聞かれたら、口から常に優しさがこぼれている可愛いお年寄りになりたい。
人を傷つけるくらいならわざとらしくてもいいから優しい自分がいい。
子供の頃の自分の心の傷は今は感じないけれど
自分が誰かを傷をつける刃物にだけはなりたくはない。
ココ