ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

いつかまた会えるとは限らない。

もやがかかった記憶。

たまに懐かしく思い出し、また行きたいと思う遊園地がある。

でもそこはもうとっくの昔20年くらいも前に閉園してしまい今はなくなってしまったようだ。
それを聞いた時は正直ショックだった。



そこを思い出す時、毎回少しせつない気持ちと、やり残した事があるのに思い出せないようなもどかしい気持ちになる。


ずっと言いそびれてしまったことがあるのに、言う機会を逃してしまったような後悔。



様々な感情が湧き上がる思い出の場所。
あそこに行ったのは30年あまり前の事だったのかと月日の流れに少し驚く。



とにかくあの頃は若くて、世界は自分中心に回っていた。
一つ一つの出来事にきちんと向き合えていたか、感謝できていただろうか…


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向ケ丘遊園での思い出。




高校を卒業後、上京して会社の寮で生活をしていたが、時々友達のアパートに泊まりに行ったりした。

高校の年上の女友達はまあちゃんという友達と2人で暮らしていた。

2人で住んでいるアパートに泊まりに行った夜、飲みに連れて行ってもらった。

初対面のまあちゃんは地元東京の人で とても人見知りでシャイな人だった。
「あたし方言で話すのを見てるのが好きなんだよね」

そう言いながら、私と先輩が田舎の方言で話すと本当に嬉しそうにしていた。

たくさん心に傷を抱えているような繊細な人だった。


あまり饒舌ではなく、だからかものすごくお酒を飲んで最後には完全に酔っ払っていた。
ほとんど口が回っていないくらい酔っ払いながら、明日遊園地に連れて行くからと何度も言った。
せっかくだから楽しませたいと言ってくれた。



その日は相当飲んだ記憶がある。初めて泊めてもらうのに随分な酔っぱらい方だった。
ドタドタと帰り2人のアパートに泊まった。



目が覚めると完全な二日酔いだった。


とても遊園地に行くような体調ではないが、まあちゃんは律儀に覚えていた。
そして完全に行くつもりだった。



何故か友人は行かないことになり2人で電車に乗って向かった場所が
向ヶ丘遊園だった。



電車の中もモノレールの中もまあちゃんはほとんどなにも話さない。

ただ私と目が合うと照れたように笑った。


遊園地のお金を出してくれて、中に入りジェットコースターに乗る事になった。
まるで遊園地が似合わない2人。

はしゃぐわけでもなく叫ぶ訳でなく、2人で並んで乗った。


まるで付き合ったばかりの緊張しているカップルだった。



気を使いすぎたのか、昨日の酒が残っていたからか私はしょっぱなのジェットコースターで ダウンしてしまった。酒が回ってしまいトイレで何回も吐いた。
申し訳なくて元気になりたくても気持ち悪すぎて乗り物には乗れずせっかくの遊園地なのに青い顔で歩いた。

無理をしなくていいから休もうということになり飲み物片手に草の上に座った。


草の上で横になっていたら眠ってしまったようだ。
目覚めると、まあちゃんが煙草を吸いながら心配そうに私を見ていた。


まあちゃんは相当なチェーンスモーカーで暇さえあれば煙草を吸っている人だった。



寝たらなんだか少し元気になった。
2人でバラ園を見た。
バラ園がこれほど似合わない2人はないだろうというくらい似合わなかったが、
私もまあちゃんもお互いが楽しめているか気にしながら歩いていた。

ディズニーランドよりのんびり過ごせる遊園地。
まばらな人の中のんびり歩く時間は楽しかった。

うすい靄がかかったような記憶。
夕方の駅。
まあちゃんと別れた。
気を付けて帰れよと言われそしてなぜか照れながら別れた。

それから会うことはなく。



遊園地から10年以上たっていた。
私は東京の心臓病専門の病院にいた。


2人でバラ園を歩いた日から数年間。
誰だってそうだが様々な事が私にもあった。
その時、生まれてわずか4ヶ月の娘の心臓の手術の為に上京し付き添っていたのだ。

その日看護師さんから、まあちゃんからの手紙を渡された。
まあちゃんは話を聞いて50CCバイクに乗って会いに来てくれたのだ。

でも運悪く私が少し部屋にいない間だったらしく、シャイなまあちゃんは待っていれば戻るからと引き止めても帰ってしまったらしい。



「本当に入れ違いだったのよ。いいですって帰っちゃった」

看護師さんが残念そうに言った。



袋にたくさんのテレホンカードが入っていた。連絡するのに使うだろうという優しさだろう。
携帯はあったがまだ料金の高い時代だった。


信じられないくらい下手くそな字で誤字だらけの手紙には、
大丈夫だから頑張れと書きながら、心配しているまあちゃんが目に浮かぶような手紙だった。



電話をしたら相変わらず無口でシャイだった。
わざわざバイクで来てくれたなら少し待っていてくれればよかったのに。


きっと私の気持ちにあまり人と話せるような余裕がないのでは…
そんなことを気にしたのだと今なら思う。





数年後。



まあちゃんは死んだ。

人一倍繊細だった人。


いつか落ち着いたら
いつかきっと会ってお礼が言いたい。


当然のようにいつかはやってきて、
歳を重ねて少し饒舌になった自分になって、
きっとまあちゃんに会えるだろうと思っていた。




いつかあの人を喜ばせよう。
いつかきっと…



突然人は亡くなるという事を
痛いほど思い知った。

いつかきっとが来ない場合だってあるのだ。



綺麗なバラが咲いていた向ヶ丘遊園

煙草ばかり吸っていたまあちゃん。

どちらも存在しない。

あの時はありがとうと心から思う。





ココ