ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

ことばについてかんがえる。

じんせいしましま。

いい事ばかりが続く事もない。
悪いことばかりが続く事もない。
禍福は糾える縄の如しというが本当にその通りだと思う。

批判を言いたい?



世の中がなんだか暗く疲れているように感じる。
無理にテンションをあげようと必死な気がする。

そして何に関してでもすぐに人を叩く風潮が以前にも増して酷くなっている。
本当に嫌な世の中になったもんだ。


思いついた批判を書いて送信ボタンを押す瞬間に何も思わないんだろうか?
きっと本人が目にするかとかその人がどう感じるかは興味がないのだろう。
自分の考えに自信があって皆に賛同してほしいのだろうか?
意見を言うハードルが低くなったがその怖さにあまり気がついていない人があまりにも多い。



以前の職場で上司への不満をTwitterに書き込み書かれた人が左遷させられるという出来事があった。

職場でパワハラと受け取られたくないのであまり会話をしないなんてことも聞いた。
パワハラも言われた側がそう感じればそうだというから言い方がきつく感じたり様々なケースもあると思う。特に方言だと言ったほうはそんなつもりじゃないのにってこともあるだろう。

結局は人間関係がうまくいってればそんなに言われたことに腹が立たないようにも感じるが、なんにせよ難しい世の中になったと思う。




考えてみればネットで発信という恐ろしい武器を誰もが手に入れたことにもなる。


そこに書き込まれたことが真実かどうかよりもいかに早く自分の言いたいことをたくさんの人の目に届けるかが勝負になってくる。

聞いてくださいこんなことをされました!
あの人はこんな人です。

書き込まれた意見に大抵の場合反論の余地などない。

なんてひどい人間なんだ!
いち早く世の中の賛同を得た時点で書いた人間の勝ちなのだ。


いくら書かれた側にも言い分があったとしても、例えばそれが全くの作り話であってもだ。

ネットの情報の拡散のスピードには勝てず多くの場合は泣き寝入りしながら、世の中の人が忘れてくれるのを待つことしか出来ない。




そんな出来事が大昔、知人に起きたのを最近思い出した。


恐怖すら感じたデマの拡散の速さ。




今から20年近く前。

まだSNSよりも2チャンネルや地域の掲示板が主流の時代。


ある地域の掲示板への1件の嘘の書き込みから始まった。

おそらくいたずら半分に書き込まれた嘘によってその後2年以上、何人もの人間が苦しめられることとなる。


驚くことにひとつの嘘はその後どんどん発展し、新たな目撃証言や聞いた話などというあるはずのない事がどんどん増えていく。

書き込まれたのは2人の知人だった。
ありもしない事件?の加害者になっていた。


1人は追い詰められてメンタルの不調でどんどん痩せて行った。
もう1人は家族を守るために強気でいたがやはり体は正直で体調を崩ししばらく通院していた。


ついには全くの作り話に対してうわさをききつけた職場からそれぞれに事情聴取があったそうだ。

そもそもが嘘なので職場に説明し理解されたが1人はおかしな時期に転勤になった。
もしかするとほとぼりが冷めるまでという会社の配慮だったのかもしれない。
たかが掲示板ごときで職場の人事という人生にまで影響し始めていたのだ。


たぶん相当辛かったと思う。
本人じゃない私がその書き込みをこっそり見ても怒りとやるせなさを感じた。
もし自分ならば震えながら読んでいただろう。
いくら腹が立つから見ないようにしようと思っても気になってあの頃は毎日のように確認した。
自分の事じゃなくても気になったのだ。きっと本人たちも同じことをしていただろう。



書き込みはなんの関係もないことまで日に日に増えていった。
それはまるで逃亡犯の監視のようにしつこい。


家族と外食をしていた日時や子供と行っていた銭湯での目撃情報まで書かれたりしていた。

「幸せそうに外食なんかしていました。」



こんな風に書いたそれぞれにとっては面白半分に参加したであろう1回の書き込み。
正義感なのか興味なのか暇つぶしなのか・・・

どんどん増えていきネットの中ではその2人は完全なる悪者になっていたのだ。



あれから20年あまり。
幸い2人とも元気でいる。

すっかり忘れているような感じでなにごとも無かったかのように暮らしている。
今では平和に中年になって日々平凡に生活している。

でもあの悪夢のような日々は決して夢ではなくあの時期に実際にあったことなのだ。




もしあの時。

2人があの悪夢のようなネットの誹謗中傷に勝つことが出来なかったらどうなっていたのだろう。
書き込んだ人にとっては聞いても心を痛めることなく「あ、そうなんだ」と
ただの一つの出来事として通過していったのかもしれない。



言葉とは時に実際の暴力よりも人間を傷つける。

人はそんなには強くないし、やはり自分に対して向けられた黒い感情は怖いし苦しい。
普通の人間ならばこんなにも自分は嫌われなければならないのだろうかと悩むだろう。

順番でいくと今度は良くなるはず。




そんな自分もこうして文章を書いている。
自分の書きたいことを好きなように書きながらもふと思う。

誰かが傷つくことを書いていないだろうか。
誰かに当てはまる批判を書いてはいないだろうか?
読んだ人の心に嫌なものを残してはいないだろうか?



コロナ、侵攻、不景気。
耳から入る情報が今はつらいものがとても多い。

でもいい事と悪いことは糾える縄のように交互にしましまに来るのならば次はきっと良くなると思って待ちたい。

そして自分が発する言葉は優しさを持っていたいと思う。

                        ココ