私は欲張りだった。
気負いすぎていた。
それに気が付くのに何年かかったのか。
面倒な自分のこころ。
少し前。
濡れてしまったアンパンマンくらい力が出なくなった。
それはわりと急にそうなった。
一か月ほどの間。
朝に家族を家から送り出し
夜に家族が家路につくまでの間
ぐるぐると嫌な事ばかりよみがえり気持ちが重くなる。
きっかけは分からないが謎のこころの不調に悩まされた。
家族の前ではだいたいいつもどおりに出来ていた。
家事をこなし動き回りながら冗談だって言えるいつもの自分。
でも自分が嫌でしょうがない気持ち。
そんな心の内をバレたくなかった。
どうせ年齢的に更年期だろう。
引っ越しやらでずっとばたばたしていたし。
すこしずつおかしくなりかけていた自分の心を見て見ぬふり。
新天地であれこれやりたいこともあったはずなのに。
追いつかない気持ち。
楽しい事など何もやる気が出ない。
心の中では急な変化にすこし焦っていた。
橋の下がふるさと。
私は超不器用な人間だ。
小さい頃からよその子がいとも簡単にやってのけることが出来ない。
小学生の時。
学校の居残り。
全部正解した人から帰っていいよというあのシステム。
ひとりふたりと減っていき、いつも最後の数人に残る。
聞かれている問題の意味を、素直に答えればいいのに
難しく考えすぎて答えが出ない。
頭が良くないからだと思うが、
どういう事かピンとくるのが遅いんだろう。
思い返せばそんなダメダメな子供だった。
なので親からもべつに期待などされてはいなかった。
昭和世代はわりと多いと思うのだが、
私の両親は小さい頃、
「お前は橋の下に捨てられていたのを拾ってきたんだよ」
そんな事を平気でニヤニヤしながら言っていた。
それを聞きながら、傷ついたりショックを受けるわけでもない。
私はその設定がわりと好きだった。
あんなに両親ともに笑いながら言うんだから、どうせ嘘なのだろう。
私は父に顔が似ているとしょっちゅう言われていた。
まぎれもない親子だった。
それでも母と風呂に入るときたまに思った。
お腹に傷がないということは
もしかしたら
本当におとうさんおかあさんの子どもではないのかもしれない。
子供がどこから生まれてくるかまだ分からなかった小さい頃。
不思議な気持ちでそんなことを考えた。
そして少しだけワクワクしながら想像した。
もしかして、私は本当はどこかのお嬢様なのかもしれない。
お城のような家と本当のやさしい親がこの世のどこかにいるのでは?
私にとって橋の下の話は、想像力が豊かになれる甘いおはなしだった。
勝手に悲劇の子どもになり
人格者の本当の親があらわれても
素晴しいであろう本当の両親のところになど行かずに
あえて
ここにいてあげようかと思った。
そんな自分に感動さえ覚えた。
能天気で自由に考えていた子供時代。
親はめちゃくちゃだったし
怖かったが
たぶん好きだったし
ぜんぜん重くはなかった。
母との時間。
自分が人生後半になった。
信じられない事に
いつのまにか
親が高齢者になっていた。
母親。
そのひびきは娘にとってとてつもなく重い。
高齢になり次第に母の不満を聞くことが多くなる。
楽しい会話が少なくなっていく。
お互い馬鹿なことを言いながら辛いことも共に乗り越えたはずの過去の時間。
それなのに嫌な思い出ばかりが脳裏に焼き付いていた。
頼むから朗らかな老人になって欲しいと期待と失望を繰り返し
常になにか責任やら後悔をどこかに感じている。
幸せそうでないのは、娘である自分のせいなのか?
なにか楽しめることはないか。
私にいったい何ができるだろう?
勝手に悩み
母との会話が嫌でたまらなくなっていた。
小学生の時の居残り。
出来た人から帰っていいあの教室のように
どうすればいいのだろう
いつまでも解けない問題を考え続けてばかりいた。
母は弱くなどなかった。
今年の夏
義母のところにお盆の帰省をした。
母もそうだが随分年をとった。
それぞれ様々な不調をかかえ始めている後期高齢者。
どっちもどっち。
母とは同じようなものだと思った。
人一倍子供を案じながら
自分に正直に強く生きている。
その口から出されるネガティブは強さなのだろう。
弱ければ生きてなどいけないのだ。
負けないで一人で踏ん張りながら
毒を吐きわがままに
好き勝手なことを言う。
毎年のように繰り返される儀式のような怒涛の時間。
元気に嫌なことを言うぶつかり合う時間。
いつかこれを懐かしむときが来るのだろう。
他人の母ならばいつもの事だと感じる不思議。
私は今までずいぶんと重く考えていた。
流せないのは考えが幼かったのだ。
お盆が終わり家に帰り、唐突に気が付いたらどうでもよくなった。
自分の気持ちに正直に
わがままに生きることは
自分の大切なものを守ることなのかもしれない。
母
義母
自分
ふたりの娘
女の強さ
特に母親の強さをたぶん見くびっていたようだ。
私が不器用な人間であることぐらい
長い付き合いの中
ふたりの母は当然のようにわかっていて
たぶんなにも期待などしてはいないのだ。
憂鬱だった気持ちが、少し楽になった。
一旦落ち込むことも無駄ではなかったようだ。
自分の人生
やりたいことをやって、
楽しく生きる母でいれば
娘たちも幸せになれる。
なんだか今までより心の奥が優しくなれそうな気がする。
ココ