罪悪感

いつか来るであろう日。

罪悪感

私は祖母を知らない。
母の母が12歳の頃、父の母は27歳の頃にそれぞれ亡くなったらしい。
母は、「片親育ちだから私はかたわなのよ」とよく言っていた。
幼い頃の私はその意味はよく分からなかったがなんとなくネガティブな気持ちになった。

祖母はとても美しい人で、いつも美しい人は早く死ぬのだと言っていた。
実際に写真を見ると整った顔をしていた。

童話のような祖母たち。

父方の祖母はというと、家事は一切せず囲炉裏の前でキセルで優雅に煙草を吸っていたらしい。声を荒らげるようなことはただの1度もなく祖父が家事全般をしていた。
祖母はその昔、酌婦だった。
大人が酌婦という言葉を言う時あまり褒められた職業ではないのだろうなと子供心に思った。
祖母が魅力的でそのまま連れてきたようだ。
たぶん家庭に向かない人だったのだろう。
お願いすればどんなに複雑に絡まった毛糸も、朝から晩までかかっても根気よくもとに戻せたのは才能だったと母は言っていた。なにもしないけどすごく優しい人。
私が生まれたとき祖母が慣れない料理をして、死ぬほどまずいかぼちゃの煮物を毎日どんぶりで食べさせられた思い出を母は笑いながら話していた。孫の誕生を喜んでくれていたのだろうと思う。

死ぬ前に孫を見せれたのはよかったと父は言っていた。

幼い頃、祖母達の話を聞きながら、童話の中の登場人物のように感じていた。
早く亡くなった美しい人。
亡くなればこんなに褒められ素晴らしかったと言われるんだ。
美しい2人の祖母に会ってみたいと思った。

若くして母親を失った父と母の話をどこかで美化していた。
自分の親を思い出す時に美しい人だったと言えるのは素晴らしく羨ましい。
でも実際自分だけ母親がいない幼い子供の寂しさを母親になってやっと想像できるようになった。

積もっていく黒い気持ち。

母はキリスト教系の中高一貫女子高に通っていた。
母の日は制服の胸に赤いカーネーションをつけたのだが母親のいない人は白い薔薇をつけることになっていた。なぜわざわざ悲しい気持ちを思い起こさせるように違う花をつけなければならないのか。
中学の時は素直につけていたが高校になるとその日は学校をさぼっていたと聞いた。

早くなくなると信じられないくらい恋しいのが母親という存在なのだろう。

早くに亡くなった祖母達の年齢を母も私も超え、もがきながらも生きる日々。

醜さを隠さず生きている母と娘という重さに苦しんでいる。

いつかは終わりが来るのだから。

幼い頃はずっと親が怖かった。
歳を重ねると親にされた事が許せずに憎しみに変わり自分を苦しめる時期が長くあった。
結局は自分の中の繰り返す負の感情に苦しんでいるのだ。

嫌な気持ちから逃げるには、自分が死ぬしかない。
そんな馬鹿なことを考えた病みがちだった私も母親になり50歳を超えた。
父とは20年以上会わずに過ごしこの世にいるかさえも分からない。


過去と向き合うたびに揺れ動く私の気持ち。
それはいつか必ず終わりが来る。

その時私は何を感じるのだろう。
憎む対象を失った時に味わうのは解放感なのか、悲しみなのか。
これから先必ず訪れるであろう瞬間。
自分の生き方をを悔やむのか、そうするしかなかった自分と親をすべて許し水に流せるのか…

母親として娘としてこの頃考えるときがある。

ココ