ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

何度言っても足りないありがとう。

恩師という存在がいる人がうらやましい。



私は学業も運動もぱっとせず、かといって愉快なキャラでもなかった。
おまけに体も弱かったので先生という存在には面倒ばかりかけた。
おそらくどの先生もつうしんぼで誉めるネタを絞り出すのに苦労しただろう。

でもそういえば昔のつうしんぼは今ほど誉め言葉が並んでいなかった。

夫に聞いても
わすれものが多い
落ち着きがない
だらしない
家庭でもっと注意しろ

母親を怒らせるような地獄の言葉が羅列された恐ろしい紙がつうしんぼ。
昔の先生は親に忖度して褒めるなんてことはなく容赦なかった。



私のように自分の生まれ育った故郷の街と疎遠になっている者にとって
クラス会で恩師に会うなんて憧れの場面だ。
でもいざ先生の誰に会いたいかと言われるといまいちピンとこない。


きっと当時はまだ若かった先生たち。
それぞれの家庭、体調、悩みを抱えながら
子供達の成長を見守ってくれていたのだと思うと本当に頭が下がる。
会わなくてもいいが、先生たちには元気で長生きして欲しいと心から思う。




音楽と子供が何よりも好きなひと。

12月が近づくと娘の恩師を思い出す。


次女は小6で転校をした。

市内で引っ越しをした都合で年齢的に難しい時期の転校だったが、
興味のあった吹奏楽部に入部し比較的スムーズになじんだ。
体験入部の時に先生の勧めでサックス担当になりすぐに夢中になった。

いまは学区が緩くなっていてお願いすれば学区外でもそのまま前の学校に通うこともできたのだが、
吹奏楽に興味があったことも転校を決意した理由の中に少なからずあった。


そこは地域でも強豪校で東北大会に行くこともある吹奏楽部。
その顧問の男性教諭。
見た目はお世辞にもイケメンではなく
ちょっとぼーっとしたおじさんのような雰囲気だ。


春の組織会の挨拶でその先生は父兄の前で言った。


「私はよく少しおかしい人だよと妻に言われるんです。
 皆さんの顔も覚えられずにすれ違っても無視したらすみません。
 メールで連絡をもらっても文章の意図が汲めずに嫌な思いをさせかねません。
 なので連絡は文章ではなく直接会って話すか電話でしてください。」


なんて素直な言葉。
不思議な先生だなぁ。
第一印象はそんな感じだった。



順調そのものだった学校生活。

しかし難しい年頃の女の子。
人間関係で悩むようになっていた。
同じクラスで同じサックスをやっている友達との関係に悩んでいた。
4年生からやっている友達と2年遅れの新入部員として入った娘。
プライドだったり嫉妬だったりお互いにいろいろなことがあるのだろう。

めちゃくちゃ仲良しになったのもつかの間、なんだかずっと避けられ態度が冷たい。
転校あるあるで最初に飛ばしすぎるとこうなることは多い。
よくある悩みも本人にしてみれば深刻だったし、親はどうすることも出来ない。
娘は家でため息が多くなった。


吹奏楽は親が持ち回り当番で練習を見守った。
忙しい先生が指導に来るまでの間その場にいて様子を見る。
ケガをしたりサボったりしないように見ているだけなのだが
雰囲気からも娘たちがうまく行ってないのはなんとなく分かった。

先生と少し雑談する機会があった時、家での様子を聞かれた。
揉め事もなんとなく分かっていたようだ。
家でのため息を聞くとやっぱりとうなずきながらこう言った。


「ちょっといい作戦を思いつきました。やってみますから任せてください。心配しないで。大丈夫だから見ててください。」


そしてその日以降、女の子二人にどんどん話しかけてくれたようだ。


「サックスのお二人さん。仲良しだねー。」

だったり

「ねぇ、○○さん、今すごい嫌な顔してたの見えちゃったんだけどあなた達って実は仲悪いのかな?」


事情は分かっているのだがわざと思いきりとぼけて話しかける。
ドキドキすることを絶妙な加減で言うので部員全員に注目される。

揉めるのはダサい事。
先生は気がついてるぞというサインを出していた。
悔しかったら二人とも楽器にぶつけろというメッセージのようでもあった。



ぼーっとなどしていない。
とんでもなく人の気持ちの動きや細かいところまで気がつく先生だったのだ。
きちんと相手の話を聞きたいからこその、メールではなく直接話したいだったのだろう。
女性のような繊細さと大胆さを持った人だ。


数ヶ月のちの、大きな大会の帰り道。

吹奏楽部員の子どもたちを乗せた大型バスが道の駅に停まっていた。

私は長女の運転する車で大会を見に行き、休憩に寄った道の駅に偶然バスがいた。
見つからないようにこっそり物陰から見ると、先生が全員におごってくれたソフトクリームを食べながらみんなとはしゃぐ姿。

数か月前が嘘のようだった。



憧れのたからじま。

小学校を卒業し中学の吹奏楽部に入ると小中連携で演奏する機会が多い。
そこで懐かしい顧問の先生に会って上達した姿を見せる。
先生はみんなの人気者だった。

その中でも一番楽しみにしている、地域の桜まつりがあった。
桜並木の歩行者天国
満開の桜の下で毎年小中合同演奏するおなじみの曲がある。

宝島という曲だ。


思えば娘は転校したばかりの小6の春、桜吹雪の舞う中で先生の飛び跳ねるような指揮での演奏を聞いた。


いつかあの輪の中に入りたい。
そして吹奏楽部への入部を決めた。


時は流れ中学に入学しても娘は吹奏楽を続けた。
あの桜の木の下で先生の指揮で演奏をしたい。

娘は何度も言った。

私は吹奏楽をやってよかった
自分を強くしてくれた吹奏楽

私はたぶんあの頃嫌な奴だった。
調子に乗っていた自分は転校してあの辛い経験で変わった。
かえってよかったと思う。
そして先生には本当に感謝している。



いつかあの中に入りたいと願っていた桜の木の下の演奏会。
コロナで連続中止となり夢はついに叶わなかった。

娘は3年で部長になり人をまとめる事の苦労を知り、
コロナで完全燃焼できなかった気持ちを抱えながら引退し
受験生になった。

例年にないほどの豪雪だった去年の冬。
先生が休職しているという噂を聞いた。


そして12月。
グループメールに突然、先生の訃報が入る。



59歳だった。




kanahebijiro.com


「先生そろそろ子供達も帰る時間ですが。」
「何時に終わりますか?」

練習が終わる時間をとっくに過ぎてもなかなか玄関に出て来ない子供達。
待ちかねた母親たちが声をかけに行くと
先生はあからさまに嫌な顔をした。

「あともう少しあともうちょっとなんです。間もなく終わりますから」

ぜんぜん妥協が出来ない吹奏楽バカだった先生。

朝も帰りも学校の昇降口で一人一人に声をかける背中。

飛び跳ねるような指揮。


「ずっと続けそうだし、あなたはサックスが合ってるよ」

「おじいさんのサックスみたいな渋い音だなぁ。」



最高の誉め言葉をもらった娘。

最高の恩師。




12月が近づくと桜の下で演奏するはずだった飛び跳ねるような指揮の宝島が聞きたくなる。






            

                        ココ

先生の指揮の思い出の演奏↓

https://streamable.com/1bmz3j