ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

同じ歩幅で歩けるということ。

マイペースで。

朝、唐突に思い出した。
「そういえばクリスマスイブじゃない!」
今日は記念日だった。

夫に言うと怪訝な顔で言った。


「え、なにが?」



四半世紀以上前の事だから、忘れるのもそりゃー無理はない。

子供にとってのクリスマス。




子供3人が家にいた頃のクリスマスと言えばプレゼントをこっそり置いたり、
ケーキやチキンを食べたりがメインだった。


我が家は玄関にクリスマスツリーを置いて、その下にプレゼントを置くシステムだった。

娘がサンタさんに手紙を書いて、お酒とポテチを置いたりしていたが
後から聞くとサンタさんの姿が見たくて夜遅くまでこっそり起きていた時に、
夫がそのお酒をサンタさんが飲んだと思わせようと、プシュっと開ける音を聞いてしまった。

「ああやっぱりサンタさんはお父さんじゃないか」と色々と合点がいったと聞いて
申し訳ない事をしたと後から思った。


それでも子供たちは、なんとなく分かっていながらも朝になると走って玄関まで行き
「あったあった」
「やったー」

と大喜びだった。

たいていクリスマスの朝は雪景色で、外は真っ白。
目覚めた瞬間のまぶしい白い朝の期待感。
分かっていても一回サンタさんを通して届く親からの想い。

やはりウキウキする特別な日なのだと思う。



幼い頃のクリスマスの思い出。


自分の子供の頃と言えば、親は笑ってしまうくらい夢がなかった。



私の家は、火葬場だった。


途中で何回も役場で建て替えの話が出ては立ち消えになるほどの古い建物で、
煙突は赤いレンガだった。

人が近づかない街のはずれにひっそりと建つレトロな建物。

その隣の木造平屋の管理人用の小さな家が我が家だった。
家の真ん前には高い杉の木が一本立っていて、周りにはたくさんの桜の木。


火葬場の前にはレンガで組んだ花壇。



用がなければだれも近づかない寂しいその場所。
今から考えると一面の雪景色と煙突の赤、木々と小さなおうち。
まるでクリスマスケーキの上の飾りのような光景にも思える。

寂しい不吉な場所なのにメルヘンを感じるのも過ぎた時間がそうさせるのかもしれない。



私の子どもの頃。
サンタなど周りの誰も信じてはいなかった。
でも煙突の真下に立って後ろにひっくり返るほど高い煙突を見上げながら考えた。


「サンタクロースがこれを登るとしたらどこに足をかけるのだろう?」

もしかしたらとサンタクロースという存在をどこかで意識していた何歳かのある日。
そんな事を考えたある一瞬が確かにあったという記憶。




父は道楽者でまったく家にはいなかった。
私が期待しながら枕元につるした靴下にはパチンコの景品のお菓子だったり、
飲み屋でもらったお菓子の長靴だったり、
ひどいときは500円札とパチンコに負けた時の洋酒のガムが入っていたこともあった。
そして必ずあったのが丸いバターケーキ。

それでも自分のために用意された何かがあるというだけで
子供の私はそれなりに嬉しかったのは間違いなかった。

あれはあれで立派なサンタだったのかもしれない。





縁というもの。

クリスマスイブ。



田舎に帰ってから、20代の私は紳士服屋で働いていた。


その年のイブはスノーボードに誘われショッピングセンターの仲間と行く予定があった。
お金はなかったが頑張ってローンで一式揃え始めたばかり。
車で30分も走れば行けるスキー場が何か所かあったので仕事が終わってから誰かに乗せてもらいナイターに行くことも時々あった。


その頃、夫は私が住んでいたその街で働いていた。


夫はその土地に友達もまだおらず、休日暇を持て余してはぶらぶらとウインドウショッピングをしていた。夫の事は一度、良く分からないシャツを売りつけたことがあり顔は覚えていた。

懲りずにまた店内に入ってきた夫を接客していたら、なんとなく当時ブームだったのでスノボの話になった。
夫は「いつも一人で滑りに行ってるんです」と言った。

「ちょうどクリスマスイブにこのビルのみんなでナイターに行くんです。
気楽な人達なんで良かったら一緒にどうぞどうぞ。大歓迎です。」



軽い気持ちで、集合場所と時間だけを伝えた。
その時点ではまだ名前さえも知らなかった。



ナイターの日にちが近づくにつれ、信じられないくらいの暖冬。
雪ではなくて時折雨も降ったりしていた。
一人二人とやっぱやめたと言い出し、最後には雪がなくてつまらないから中止ということになってしまった。


そのことを連絡する方法もなく、やきもきしながら過ごしていたら前日に夫が店に現れた。


「でも山まで行くとけっこう雪があるかもですよ」
「じゃ、行きますか?」
「車出します」


あとからこの時の事を夫は話す。


本当に誰かとスノボに行くのが楽しみだったので、中止が心底がっかりだった。
どうにかして人と滑りに行きたかったらしい。
そこに下心などは全くなく、このヒトに好きとかデートとか勘違いされたら困るとちょっと思っていたようだ。


雪のない、
全く寒くない
貸し切りのスキー場。
広瀬香美の流れる中、最悪のコンディションのスキー場で私は何度も転び、ぐちゃぐちゃになった。
そのたびに手を貸してもらいながら

「なんだこの人、喋んない人だな」
「なんかこの状況ははたから見たらラブラブカップルみたいでやばい」

そう思いながらなんだかとっても気まずかった。

そして数時間後。
帰りのファミレスで食べずらいナポリタンを頼んだことを後悔しながら、皿を持ち上げるかどうか悩みながら最後の数本と格闘していた。

夫はそれを見ながら

「なんだこの人、食べ方下手くそだな」
「変な人」


そう思っていたらしい。

そんな感じでお互い呆れながらその日は別れ
縁あって今家族になっている。






今では長女も長男もすでに家を出て別々に暮らしている我が家。
イブの今日、次女は友達と夕方から出かけると言った。


夫の口癖は「なんもいらない」だ。

でかいチキンはいらない。
焼いた一枚のモモ肉をはんぶんこで充分だ。
二人だけだから、ごちそうもいらない。
気張ったものは本当にいらない。
その代わりポテチとかジャンクなものを今日は好きなだけ食べたい。
山盛りの雑にちぎったキャベツに塩をつけて食べ
スーパーで買ってきたピザを食べながら
早い時間からお酒を飲んだ。



縁あって家族になる人と初めて出かけた記念日。


格好の悪い日常を自分たちのペースで歩ける日々。
これからも、このくらいの歩幅で歩いていきたい。

                       ココ