ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

会えるまであともうすこし。

先日グループラインに嬉しい知らせがあって
それだけで幸せな気持ちになった。


もどかしい気持ち。



コロナがはじまる少し前。
同級生の男友達が病気で少し不自由になった。

最近、約3年ぶりに自宅に帰ることが出来たという報告だった。
コロナ禍で会いにも行けないもどかしさをずっとずっと感じていた。


友人のお姉さんから転送された近況の写真。

自宅で誕生日のケーキを前に
満面の笑みで写真に写る
少し瘦せた顔があった。


そういえば誕生日だったんだ。



kanahebijiro.com

たぐいまれな才能。

お世辞抜きで昔から本当にいいやつだった。
かなり昔、二人でメールでした会話を思い出した。
なにかの用事で連絡を取って、最後に私の長女の事を聞かれた。
確か初めての転校が決まりそうで少し心配していた私に色々アドバイスをしてくれた。


最後に、

俺と誕生日が近いってことは転勤族の子どもは楽勝だ」

奴とうちの娘は誕生日が三日違いだった。


転勤族で何十回も転校を繰り返した彼は
本当に明るい性格。
なんの集まりにでも例外なしにそこにいた。

高校時代あるあるだけど
自分のクラスもそこそこ上手くやっていたが
隣のクラスのほうがウマが合う友達が多かった。

卒業後にいつもとなりのクラス会にも参加していたようだが
誰も「何でお前が来るんだよ」
などと文句も違和感も感じないほど馴染んでいたらしい。

決してイケメンでもないのだが
いると安心するタイプの笑顔なのだ。


例えば勇気を出してはじめて参加したが、
「なんで来ちゃったんだろう」なんて
居心地が悪くはじっこで気まずそうにしている人に、
とても自然に話しかけてその場にいやすくしてくれるような
そんな存在だった。


いつも自分の失敗談だったりエロだったりしょーもない会話。
連敗している恋の話やトホホな話。


「なんだそれくだらないなー」


そんな誰にでも笑える話。
きっとそこにいる誰もが参加できて
笑っていれる時間の作り方が分かっていたんだろう。

楽しい時間はみんなで共有したい。
きっと彼の無意識のモットー。



優しいっていう才能。

私が結婚して長女が一歳にならない頃に
同級生の男友達二人で家の近くまで会いに来てくれた。

家だと片付けなど気を遣わせるからか、何かのついでで寄っただけだったか覚えていないが
駅の裏の地下道で待ち合わせて話をした。

人見知りの夫も運転しながら一緒に来てくれてドキドキ顔で現れるのを待っていた。

まったく緊張させない佇まいで現れてニコニコ話し、娘を一回ずつ抱っこしてくれて
短い時間で二人は帰って行った。


ただなんとなく顔を見に来てくれた。
それが本当に嬉しかった。




コロナの少し前に地下道に来たもう一人と、女友達と3人で病院に会いに行った。
いつもとは全く違う、暗い表情を見て正直ショックだった。
それは初めて見る顔。
いかにやつが今まで笑顔だったのかに気がついた。


「今日はあんまり金もってないんだぁ」

「まったくもう。お前はいっつも金ないじゃん」


そんな会話を飽きるほど交わし10代20代何度も集まり
集まる機会が減った30代以降もどこかから元気でいると近況を聞いていた。
それぞれが忙しく、異性の友人は特に会う機会はなくなっていく。

「いい加減どっかで会わなきゃだね」

コロナ前、女友達と話していた矢先の倒れたという連絡だった。


「転校って大変だけど、あんまり心配しなくてもなんとかなるって」

私に娘の事を気遣って言ってくれた言葉。
それはずっとずっと私の心の中に残っていて
無意識で何年もの間、私を安心させてくれていた。

かえってきた笑顔。

ラインで見た写真に写る満面の笑みは
昔を思い出すような優しい顔に戻っていた。



すごく簡単なことだと思っていたが
じつは真似できない才能だったと大人になって分かった。

いつでもだれにでも優しい笑顔


誕生日おめでとう。
退院おめでとう。
もう少ししたら遊びに行くよ。
書ききれないくらいの想いを
短い言葉に込めて
カードを送りたいと思う。


               ココ