ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

やり方が分からなかった過去の自分への後悔

もやもや

ものを食べる時にはできるだけ笑って食べたい。
しかし、毎日の消化試合のような1人の昼食などはたいてい黙々と急いで食べている事が多い。
それでも泣きながら食べるよりは黙々と無表情で食べているほうがましだろう。
考えてみると生まれてから何千回と食事をしたであろう中で思い出したくない悲しい食事がある。

20代前半の秋。



父から家がなくなるかもしれないと電話があった20代のある朝。
電話を切ってから東北の実家へ向かった。
昔は東北への玄関口といえば上野駅
いつもは長期休暇の帰省で使う駅をその日は重い用事で帰路についていた。

初めて上京した時あまりの人の多さに
「今日はなんのまつりがあるんだろう?」
本気でそんな事を考えた。いまだに上野は東京駅より郷愁を感じる。人がたくさん行き交う大好きな駅だ。

その日もなんの変わりもなくたくさんの人が行き交う駅。
まさか私に帰る家が無くなりそうな家族の危機が起きているとは誰も知らないだろう。
でも歩く人ごとに人生はあるのだから今日絶望するようなことが起きて歩いているのも、きっと私だけではないはずだ。

頭の中がぐるぐるしていた。
母はどうしているだろう
絶望のあまりおかしな事をかんがえたりしたら…

話し合いが修羅場に変わり家が血だらけだったら…
父と母が話し合い、揉めに揉めて居る部屋で弟はどこにいてどんな気持ちで過ごしているのだろう…

正直、早く行かなければと焦りながらも
いつまでも着かなければいいのに。
そんな気持ちで新幹線からの景色を眺める。

朝からなんにも食べてはいなかったが全く空腹は感じない。口の中だけがパサパサだった。


帰るのが怖い
そんな気持ちと裏腹にその後、数回の乗り換えののち田舎の駅に着いた。
駅に降りたってすぐタクシーで家に向かう。

ふと、食べるものはあるだろうか?
そんな事を考えタクシーを途中で降りた。
家の近くの何でも屋みたいな小さな商店に入る。

店番のおじいさんは私を見て目を丸くした。
田舎の町のさらに小さな町内はどこも誰もがみな顔見知りだ。
ついこの前の夏に帰ってきていた私がなぜかまた帰ってきている。
何事かと思って興味がわいたのだろう。

「どした?」
「うん。ちょっと用事で」
「いつまでいるの?」
「わからないなー」

あんまり聞かれたくない空気を出しつつ、
店の中を見回して、ほこりのかぶってそうな魚の缶詰めを何個か買った。菓子パンも店に売れ残っているのを訳も分からなくあるだけ買った。」


なんとなく違和感を感じただろうが、おじいさんはなにもそれ以上聞かなかった。


店を出てとぼとぼと歩いた。
心臓がドキドキしすぎて吐きそうだった。
頼まれてもいないのに買ったずっと売れずにあったような缶詰と大量の菓子パンを引きずるように持って田舎道を歩く。荷物も心も重かった。

今思えばつくづく滑稽だった。

とぼとぼ歩き角を曲がると見慣れた家が見えた。
家の前には弟が寂しそうに立っていた。
なにか怯えたようにも見える複雑な顔で待っていた。聞くと私が来ると思って駅まで自転車で迎えに来ていたようだった。姉が脇目も降らずにタクシーに乗ってあっという間に前を通り過ぎてしまい、悲しくなって家に戻ったようだった。助けて欲しかったのだろう。


夏に帰った時は、明るくひょうきんだった弟がなにか違った感じに見えた。
辛い中で何日も暮らしたんだろう。
自分の幼い頃を思い出した。
逃げ場のない大人の喧嘩の中で過ごす幼い心。


家に入るなり私は自分でも予想外に父に脇目もふらず飛びかかっていた。
そうしようと明確に決めて帰った訳ではなかったが体が勝手に動き父を叩いた。

あんなに怖かった父。
小さい頃から何度も殴られたがやり返すことなんてなかった。
給料を酒、ギャンブルに使うだけで足りず家まで抵当にいれなくても…
文句があるなら、私を昔みたいにぶってみろ。
そんな気持ちだった。

あんなに怖かったがわたしにされるがままだったのも余計に辛かった。
何も言い訳もせず、ひたすらこうべをたれている。

ずるい。


数時間たち電気もつけていない部屋は真っ暗になっていた。
母と弟は2階で怯えたように過ごしていた。

我に返った。
お腹空いてる?
弟に聞く。

うん。

台所に降り、あるものでなにか食べようということになった。
電気をつけて、炊飯器で24時間以上保温されたすえた臭いのするご飯をよそった。
黄色くなったご飯に買ってきた魚の缶詰。テーブルに菓子パンも並べた。タッパーの漬物をボリボリかじる音だけが響く中、弟の茶碗に涙がポロポロこぼれるのが見えた。どれだけ我慢していたんだろう。何回布団の中で泣いていたんだろう。

その瞬間、怒りがどうしようもない悲しみに変わり鼻をすすりながら弟と泣いた。

なぜこんなに悲しい仕打ちをするのか。
どうしようもない絶望の中食べる茶碗のご飯は全く味がしなかった。


当時の父はまだ40代
10歳かそこらだった弟にはどんなに深い傷だったろう。
あの時私はまだたった20年余しか生きていない若造だった。

数年働いたくらいでは世の中のことも、夫婦のことも、何が最善でどのようにふるまえばいいかなんてこれっぽっちもわかってなかった。


怒りに任せて父を打ち付けた後悔。
もっと違う接し方がなかっただろうか。

一家離散のきっかけが私のあの時の怒りだったのではと、今でも時々怖くなる。


それでもきっと運命だったのだろう。

田舎に帰り数年たち私は夫と出会い結婚した。

もしもあの時に田舎に帰っていなければ、夫と出会うことはなく
そして3人の子供も存在しなかった。

不幸な出来事が必然だった出会い。

家族が不幸になることが欠ければ得られなかったであろう幸せ。
そのことに悩みながら何年も暮らした。

まるで悩むことが自分の仕事なのかというくらい次々と湧き上がる罪悪感。

これも性分なのだろうとずっと諦めていた。

つい最近。
ドラマの主人公が言った言葉にハッとした。

自分を責めないで。
人はみんな間違うんです。




何度も何度も考える。
涙でぐしゃぐしゃの茶碗。
忸怩たる思い。
いくら考えても答えは出ないけれど
いいかげん自分を許すことから人生を見つめ直してみようと思う。


ココ