ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

猪突猛進。後悔。痛み。仕方ないそれがぜんぶ自分。

なやみながら。


不幸自慢は恥ずかしくないんですか? そんな事を過去に言われたことがある。 別に恥ずかしくはないのだがそう言いたくなる気持ちは理解できる。
もしかしたら痛いであろうおばさんの自分語り。
気に障る人がいても不思議はない。


誰より自分が一番わかっている。
恥ずかしい自分をさらけ出しているのだから。


感想はすべて宝物。
ずっとずっとアクセス0だったから
読んでもらえるだけで
心からありがとうを言いたい。

なぜ書くのか?

誰だってきっとそうだ。
楽しいことも苦しいことも色々なことがあって生きてきた。
自分の人生の中では自分がヒロインだ。


小説の一冊でも書いてみたいがいったいどうやって?

そんな夢物語をふと考えたが、書き方が分からない。




それならばブログという形で文章に書いて折り返し地点の人生を復習をしてみようと思った。
誰のためでもなくそれは自分のためだ。
復習は正直しんどくてめんどい。
これほどに痛みを伴うものとは夢にも思っていなかった。


正直いまだにわからないことばかり。

ブログ開設は私にとってそれはそれは難しい作業だ。
やり方など分かるはずもなかったが、今やなんでも調べられる時代。
一日中ググってもなかなか決心がつかず、数週間過ごした。
できる気がしない。
何の知識もない私にとっては頭から湯気が出るほど用語も難しかったが、
何度もあきらめそうになりながら設定して最初の文章を書いてみた。
それが去年の10月の事だった。


投稿ボタンを押してから、
「私の書いたものが一体何人読んでくれているのだろう?」
とすぐに調べた。
数字は常に0。

正確に言うと最初自分が見るたびにアクセスが1ずつ増えるのを勘違いして喜んだ。
でもあまりにも自分が読むタイミングと連動しているので仕組みを調べて萎えた。
読者だと思って喜んでいたのは、単に自分が確かめているアクセスがカウントされているだけだった。
そして自分のアクセスを除外したら常に0。
一日何回調べても、ものの見事に0だった。


何週間たっても変わらない。
当然ながら需要のない一人のおばさんの過去。
それでも少しずつ思い出しながら、私は過去を復習した。

何十年も前の事を思い出しながら書くことで自分も感情の整理が出来ていく。
誰も読んでいなくても、私は自分が主人公の文章を書くことに夢中になった。

以前はネガティブに傾きがちな自分の親への感情。
文章に書き、時には美化したり笑いに変えることで数十年も昔の光景が
決して不幸に満ち溢れてはいたわけではないように思えてきた。

過去は自分で書き変えられる。

こだわる心。

12月。
20年以上、私は毎年憂鬱だった。



たかが年を越すことが何か恐ろしい。

今年も父を許せなかった。
そして居所を探したり会いに行く気持ちにはなれなかった。

毎年そうやって遠い目をして、どこかに罪悪感を隠しながら年を越した。



なぜ他人には優しく出来るのに
たった一人の父を永遠に憎み続けるのだろう。
他人に対するように優しくなれたらいいのだが
きっとそれが一番難しいのが肉親なのだ。

だが最近。

焦燥感を感じながらも、一方ではどこかでこれでいいのだと思っている。
会わずとも親子であることに変わりはないのだから、これでいい。
これでいいと思う自分は、きっと何十年も前から自分の中にいたのだろう

ブログを書いてからすこしだけ、何十年も会っていない父のDNAを自分の中に感じるようになった。

読んでもらえる喜び。

ブログを書いて一か月以上たった頃、毎日のアクセスが1になった。
自分ではない誰かが読んでくれている事にドキドキしながら文章を投稿し
調べるとわりとすぐに1という数字が付く。

そんなある日同年代の男の人からお問い合わせフォームに感想が届いた。

そこには共感と、自分も同じような痛みを抱えているということ
読むのを毎回楽しみに待っているという事が丁寧な文章で書かれていた。

コメント欄を用意していなかったのでわざわざメールで送ってくれた感想。

はじめての読者になってくれた人がいた。

自分もブログを読むのが好きなのでとてもよく分かる。

どこかで共感したい。
自分だけじゃないと思ったり、
時には自分の言えないネガティブな感情を読んで安心することもある。

私にとってその感想は励みになった。

あれから一年以上、スローペースながらブログが続いている。

私の原点。
読んでくれる人が一人いたというはじめての感動。

それを決して忘れることなく、これからも少しづつ綴っていけたらと思う。

                    ココ