ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

これからは普段使い。



子供も二人家を出たので、普段はめちゃくちゃ少ない食器で生活している。
この先まだまだきっと引っ越しはするだろう。
去年引っ越して若い頃のような体力もないのだと、つくづく感じた。
なので引っ越しが楽なように物は増やさないようにしている。

普段は100均の食器が大活躍だが、
とっておきの時に使う数点の大事な器やグラスがある。

眺めているだけで幸せな気持ちになるもの。
思い出と共にそばにいてくれるものたち。


希望はかなわず。




高卒で最初に働いた百貨店。

日本の伝統的な商品を揃えイベント的な要素のある売り場に配属された。
テーマはジャパントラディショナルで、毎週なにかのテーマに沿って売り場を作り、
催事を行っていた。
常に陶芸家、職人、古美術商、デザイナーなど様々な人間が出入りする活気ある配属先だった。


実は私は館内放送を希望していた。
希望調査の人事との面談時、
「売り場の方が向いているんじゃないかなぁ」と言われ、嫌な予感がした。

そして案の定、適当に書いた第二希望の売り場に配属になった。
高卒地方出身者は一年目はレストラン街に配属され礼儀礼節を叩きこまれ、二年目に希望の売り場に配属という今ではおそらく考えられないような制度があった。
田舎もんは右も左も分からないという前提だったが、その頃は事実そうだった。

門限が10時の女子寮。
田舎から来た純朴な娘っ子たちが、都会に少しずつ慣れた。

モンスターズインクのロズとマツコ・デラックスを足したようなおっかない女性上司に厳しく育てられ、まるで学校のようだった。
やっとの思いで行きたい売り場に配属されるのが入社二年目。
その中で希望どうりの売り場に行けなかったのは、たぶん私くらいだっただろう。


あとから考えると、土地勘もなければ横浜の地名の読み方もろくに分からない。
たぶん微妙な東北訛りも残っていたであろう私が、都会の百貨店の館内放送などできるはずもなかった。
それでもあの百貨店特有の癖のあるしゃべりかたの館内放送。
あれをマイクに向かって言う仕事に憧れていた私は、内心ショックな気持ちで配属先の上司のうしろをトボトボ重い足取りで歩いていた。

それが配属初日の事だった。



イカラな売り場。


いざ仕事がスタートすると、初日の気持ちとは真逆で本当にここで良かったと思える職場だった。

通常の売り場と別に、毎週のように目まぐるしく変わるイベントスペースがあった。


デザイナーが窯元を訪ねて買い付けた作家さんの器が並ぶ週もあった。
江戸の職人芸をテーマにした週は、たくさんの職人さん達が並んで実演をした。
またある時は売り場一面が京都のアンティークショップになった。
ほおずき市や縁日を再現したり、古着の着物屋さんになったりした。
その都度全国のいろいろな場所から実演や、販売のために人が来る。

今とは違い、当時は物がたくさん売れた。
すべてが活気に満ち溢れ、楽しい欲しいが溢れる毎日。



私は、職人さんの入店証の手配をする係だった。
初日に「よろしくお願いします」といいながら、バッチを渡しておしゃべりをする。
なんの戦力にもならない私だったが、職人さん達には本当にかわいがってもらった。




ブラシ職人。
おろし金職人。
べっ甲細工。
刃物職人。
切り絵細工。
江戸切子
絵馬師
こけし職人。
張り子細工。
あけび細工。

いつもいつも飽きもせず眺めていた。
何十年も同じ事を続けて、日々精進してきた匠の技。
近くで見る贅沢。



今、この年齢になるとより一層分かる職人さんの凄さ。
一つの事を続けるというのは難しい。

嬉しい再会。




百貨店を辞める時、同じ部署の人や、職人さん達にたくさんの贈り物をもらった。
寮を出て新たな生活をスタートする事になっていたので、贈り物には新生活で使うようにと素敵な器もたくさんあった。


その後、私は様々なことがあって引っ越し大名並みに引っ越し人生をおくってきた。
私の持ち物はあっちにいったりこっちにいったり、随分と段ボールの旅を繰り返した。
途中、どこに行ったのか分からないもの、考えると少しもやもやするものがけっこうあった。



半ばあきらめていたのだが、母の住む団地にある団地に似合わないサイドボード
実家から母と必死で運んできた古めかしいガラスのサイドボードの中に、いくつかの器がひっそりと佇んでいた。

きっと、貴重なものだから壊さないように実家に預けていたのだろう。
よくぞここまで守られて残っていたものだと思った。
何十年も使っていなかった器やグラス。
いくつかの物は思いきって普段使いで使うことにした。



冬の手作りおやつ。





その中でも頭の中にあったイメージのままの大切なグラスと久しぶりに感動の再会をした。





江東区で50年もの間江戸切子を作り続け、2018年秋の叙勲で表彰された職人。
大久保忠幸さん。

画像お借りしました。

いつも笑顔で面白い事ばかり言って笑わせてくれた。
大好きな大久保さんが来る江戸の職人芸展のある週はおしゃべりするのが楽しみだった。
辞める時に、特別に作ってくれたグラスを手渡された。


「これはオールドたぬき。って言うんですよ」
「ふるだぬきになっても明るくいてね」
「このたぬきみたいな母さんになってね」



素敵な笑顔で心を込めて作ってくれたサプライズのグラス。
世界に一つだけのグラス。


数年前、仙台の百貨店で大久保さんに再会した当時の同期。
あまりに感激して思わず声をかけ携帯電話で私にその場から電話をかけて声を聴かせてくれたが、大久保さんも戸惑った事だろう。
でも懐かしんで話す声は当時の優しい話し方そのままだった。
よく考えるとそれも子供たちが幼い頃だったから何十年も前の事だ。


きっとお元気でいる事だろう。
あまりに昔の事で今は忘れているかもしれないが
出来ればいつか東京に行って訪ねてみたい。


若かりし頃の楽しかった時間。
人に恵まれたことを思い出し、感謝しながら
時々これでお酒を飲もうと思っている。

                     ココ