出会い

目指すはおもしろいおとな。

出会い

自分が子供の頃は大人とは完全なる自由を手に入れた万能な存在だと思っていた。

下から眺める大人たち。

うらやましくて早く大人というものになりたい。



勉強はしなくていい。
夜遅くまで起きてテレビを見ていられる。
好きなことを言い、好きなだけお金を使えるのがおとなだと思っていた。


子供の頃、周りには色々な大人がいて毎日のようにひっきりなしに人が出入りする環境で育った。
私は小さい頃はあまり喋らない子供だった。
でも大人に囲まれ育ったので頭の中はこまっしゃくれて生意気なことを考えていたように思う。

当時。

景気のいい時代だったので家に来る大人達からしょっちゅうお金をもらっていた。
自分が大人になってみて、よその子供にお小遣いをあげる機会などほとんどない。
特別ケチというわけではない。
大人同士、お返しなどかえって気を遣うので、お年玉やお祝い以外はそんなことはしないのが最近の常識のように思う。

でも昭和は親戚じゃなくても何でもないときにお金をくれる人はけっこういた。

つくづく余裕のあるいい時代だったのだなと思う。

いつも5000円くれるおじさん。
いつも1000円くれるおじさん。
何かお使いで届けるとティッシュに包んだお金をポケットにつっこんでくるおばあさん。
いつも来るがなにもくれないおじさん。


あの頃に周りにいた大人を思い出すとき、必ずしもお金をくれる大人が好きだったわけではなかった。



お小遣いをいつもたくさんくれるくれるおじさん。
でも、そのおじさんが来た瞬間にこれから何時間いるのかとうんざりするような人もいた。
地獄の時間の幕開けを感じた。

たいてい偉そうに威張っていて、酔っ払っている。
こっちに来いとそばに呼ばれ、お酌させられお説教されるので、嫌で嫌でしょうがなかった。
私は勉強もスポーツもどっちも得意でなかったのでたいてい頑張らなきゃだめだぞと激励の言葉を言われるのだ。
本当にだめだめで注意しがいのある子供だっただろう。



最後、帰りがけにもらう5000円はその我慢の対価として与えられる報酬だった。
でも今なら案外おじさんが酔っぱらって繰り返し同じ話をしているのも面白く聞けるような気がする。
5000円貰えるならいくらでも聞ける。


そんなおじさんとは対照的で、子供から見ても羽振りがあまり良くない大人もいた。
何もくれなくてもめちゃくちゃおもしろいおじさんやおばさんは、大好きだった。


子供は自分の成長と共に、大人から吹き込まれたりした噂などでその人の色々なことが分かるようになっていく。
その人があまり褒められたような大人ではない事が分かっても不思議と嫌いにはならなかった。



考えてみると人として立派とか名誉や肩書は子供にとってはあまり関係ない。
とにかく人間としての面白さが重要だった。
人間の外側を覆う部分なんて子供にはあまり関係ないのだ。


じゃりン子チエ(31) (双葉文庫)

なつかしの愛すべきおとなたち。




親戚にいつも馬鹿なことを言っているおじさんがいた。


年頃になり声変りが始まったような従兄弟の男の子をつかまえて言う。


「そういえばおまえ、あそこに毛は生えてきたか?」
「1本か?何本だ?」

現代ならセクハラで抗議されるようなことを平気で言う。


1本目の毛が生えたら市役所に報告義務があるんだぞ。
申請すればお祝い金が5000円振り込まれるから忘れるな。
ここにいる大人はみんなやってる。


そんなどうしようもないことを毎回言って嫌がられていた。
そして周りはみんな笑っている。
鉄板ネタのえじきになった子もニヤニヤしながら聞いている。
半信半疑ながらほんとかな~と、どこかで思ったりする。


親戚の集まりがあると、おじさんが次はどんなくだらないことを言い出すかを心のどこかで期待したものだった。




その人が参加するとみんな否が応でも笑ってしまう。
不謹慎だが例えば葬式でも、そんな大人がいるとその場は子供にとって一気に面白いイベントに変わるのだ。

子供を笑わせその場を和ませる。
考えてみるとすごい才能だと今なら分かる。

きちんと挨拶しなさいだの、勉強は何位なんだと聞かれるよりはずっと意味があることだろう。
なんて面白い人なんだと思われるような大人になりたいと最近は特に思う。

大好きなウマおじさん。


忘れられない大人がいる。



親戚に農家のおじさんがいた。
いまはあまり見ないが苗字が書かれたトラックに乗っていて、一年中どろどろに土の付いた作業服を着ていた。

日焼けした真っ黒な顔はよく言えば舘ひろしに似ていた。

でも、ものすごく顔が長くて歯が真白なおじさんの事をわたしのなかではこっそり
ウマおじさんというあだ名で呼んでいた。そしてそのあだ名はぴったりだと母にも言われていた。

真面目で働き者のおじさんはあまり喋る人ではなかった。
それでもゆっくりと優しい口調で話すときは惚れ惚れするほどいい声だった。
一度誰かの結婚式で演歌を歌っていたがぜったい歌手になれたとみんなに言われていた。




私は20歳過ぎてから両親が離婚し、突然田舎に帰ることになり母と弟と実家を出て違う町で暮らしはじめた。

実家を出る時は、夜逃げ同然でウマおじさんのトラックで隣町に引越しをした。

以前暮らした実家には、時々ウマおじさんが遊びに来て父と仲良く話すこともあった。
静かで穏やかなおじさんのことは父も好きだったし、3人いる子供が全員息子だったおじさんは私をとても可愛がってくれた。
農家が暇な時期に夫婦で遊びに来て一日中過ごしご飯を食べて帰っていく。

「大事にしないなら娘をトラックに乗せてこのまま貰っていくぞ」
こんなことをよく父に言っていた。

おじさんがある日、母と暮らすアパートに急に訪ねてきた。
野菜を届けてくれてちょうど帰るところだったようだった。
仕事から帰った私が車を停めると駐車場で母と立ち話をしていた。

数年ぶりに会ったウマおじさんはやけに痩せていて以前にも増して馬に似ていた。
いつも通りの畑から直行した土のついた服を着ていた。
顔がはっきり見えないくらい薄暗くなった駐車場。
話す声はやはり惚れ惚れするほどいい声でその日はいつになくおしゃべりだった。

「こんどゆっくりうちに遊びに来い。待ってるから絶対だぞ。」



その日から一ヶ月も経たずにウマおじさんが入院したという知らせを聞いた。

末期の胃がんで病院に行った時はすでに余命いくばくもない状態だった。
我慢強さと頑丈な体だった自分への過信が仇となり、痩せて食べれなくなり病院に行った時にはもう手遅れとなっていたようだ。
やはり駐車場で見たときの痩せ方は病気からだった。




母と見舞いに行った。

おじさんの病院の部屋は個室だった。

あんなに頑丈で色が黒かったおじさんはパジャマを着てやけに色が白くなったなとおもった。

おじさんは私がウマおじさんとかげで読んでいるのをちゃんと分かっていた。
馬が好きなのでけっこう喜んでいて、呼び名を気に入っていたと母から聞いた。
そういえば小さい頃行ったおじさんの家にはまだ馬がいた。





「ウマおじさん会いにきたよ」


わざとそう呼んだ私を見ておじさんは痩せた体をベットから起こしてニヤリと笑った。

「来たなー」

ベットの脇のパイプ椅子に私を座らせじっと目を見ておじさんは言った。

「農家に嫁に行く気はないか?
食いっぱぐれないからいいぞ。
おじさんがいい婿を探してやる。
退院したら家に来い」



自分のことではなくずっとずっと私のことを心配して話していた。
そして母に向かってもずっと私に見合いをさせると言い続けていた。

「私の結婚式でも何か歌ってね。」

そんなことを言いながらなかなか帰らせないおじさんのそばにずっと座っていた。



見舞いに行った日から本当にあっという間。
憎い病気はわずかばかりの日にちしかこの世にウマおじさんを生かしてくれなかった。
誰も心の準備もできないくらいすぐにウマおじさんはあの世に呼ばれて帰っていった。


葬式でウマおじさんの友人が挨拶をした。


あなたは哲学が好きで星が好きでした。
とてもロマンチストな人だった。
あなたと夜中まで語り合った日のことは忘れません。


私が全く知らなかったいつも土だらけのウマおじさんの一面。
葬式の挨拶で初めて知ることとなった。



あの頃のウマおじさんの年に自分もそろそろ追いつく。


もうとっくに大人と言われる年になっているはずだが、どこかにあの頃のままの自分がいる。


あの頃出会った大人たちとの距離は到底縮めることなどできず未だ幼い自分のような気がする。
到底追いつくことなどできない。

出来る事なら大人になったわたしをウマおじさんに見せたかった。
ロマンチストだったウマおじさんともっと話したかったのに。






年を重ね大人として生きる今。
自由でも万能でもなかった大人の正体を知った。
大人になった私は何を残すことができるのだろう。

なんだか面白い大人。
なにかこころに残せるかっこいいおとな。

そんな大人になりたいとこのごろは思う。




                     ココ



コメント

  1. ココ より:

    やよいさんもなかなかに元気で面白い大人に囲まれてたんですね。
    人にもまれて時には雑に扱われて強くなっていきますよね。
    出会いすべてが自分の人格を作っているんだなって思います。

    そして人生後半になると、やけに昔のヤンチャだった人が懐かしくなりますよね(*´з`)

  2. やよい より:

    うちの実家は植木屋さんで、自分の家が食べるだけの米や野菜も作っていた。
    近所では、そんな植木屋さんが多かったので、うちに来る近所のおっさん連中は、土の付いた服装で長靴履いて、嫌な事を言う様な人が多かった。
    口の悪さでは、関西人であるから余計にガラが悪く聴こえていた。
    そんな人たちがひとり、ひとりと病で亡くなり、親父もそのうちのひとり。
    酒の飲み過ぎタバコの吸いすぎで肺ガンや肝臓悪くして亡くなっていった。
    たまにそんな人の話を母とすることがあります。
    口が悪くても仕事に専念していた人。
    私の中でもココさんが言っていた馬おじさんの様に
    私の中でもそんなひとが居ました。
    「黒いおっちゃん」と。
    そんな人たちが居て、もまれながら成長出来たんだなぁと思います。

  3. ココ より:

    マシューさん。
    今考えるとかっこよかった。

  4. ココ より:

    アスポンさん
    同級生が高卒で働いて、初めて盆休みに帰ってきたときに甥っ子に千円上げてました。
    たかだか18歳で大人ぶりたかったのかもですが。
    今考えるとやっぱり大人だったなって思います。
    昭和の北東北の田舎には当時そんな奴がいました。

  5. ココ より:

    マーシャさん
    マーシャさんからいつもやさしさを感じます。
    お母様が優しい方だったと聞いて納得です(*´з`)
    そして、どこまで行っても昔出会った大人に追いつけない自分を感じます。

  6. ココ より:

    Nick Ollieさん
    金運とかは全然ないんだけど、人には恵まれてる気がする(*’ω’*)

  7. 星が好きで哲学も好きだとは…いけおじやな。( ゚д゚)ウム

  8. Nick Ollie より:

    何だか、ウマおじさんとか、セクハラおじさんとか、素敵な大人に囲まれていたのね。私の回りはお金もくれないし、別に何てことないフツーの大人しかいなかったな。

  9. きままなマーシャ より:

    私は母とよく重ねます。
    いつもやさしくて凛とした母。
    年齢を重ねてもそうでした。
    母の年齢に近づいてもまだまだ幼なく頼りなくて
    天国からハラハラと心配してそうです^^

  10. 昭和の頃は大人は子供に物をくれる傾向がありましたね。
    私はお金はあんまり貰った記憶はないけど、
    昭和の頃は大人が子供に、初めて会うレベルの相手でもくれていたと思います。

    今なら考えられないけど、昭和はそういう時代でした。
    おじさんおばさんだけでなく、今の感覚からするとかなり若い大人でもそんな感じです。
    側に近づいたら、若いカップルの2人がお菓子あげると言ってくれたりした事もありましたね。
    知らない人から物を貰った経験が何回もあるのが昭和でした。
    今は、それは無いだろうなぁと思います。知り合いでもないのだから…。
    あげると言っても警戒されそうです。
    あぁ…とにかくおおらかな時代です。

    ましてや、知り合いやうちに来るお客さんなら、くれて当然の時代ですね。
    確かに昭和の後期は景気がいいですね。今みたいに不況でないし、
    非正規雇用の人なんて身近に見た事もない程です。
    だから気前もよくなりますよね。

    親戚でなくても何でもない時にお金をくれる人もいたんですねぇ。
    いつも1000円くれるおじさんや5000円くれる人もいるんですね。

    お金くれても話が積極くさいのは嫌なもんがありますね。
    まさに我慢の対価ですね。
    自分でお金を稼ぐ大人になると、
    あの5000円が貴重ですよね。
    そうそう…5000円貰うなら我慢しますよね…!(^^)!

    必ずしも褒められた人間ではなくてもユーモアある人はいいですよね。
    今は何でもセクハラだの言うからツマンなくなっているところはあります。
    昭和のゆるさは悪習という言われ方もあるけど、、面白い場合もあります。
    1本目の毛が生えたら市役所に報告義務があるとか、
    どこからそんな発想が生まれたのでしょうね。
    これは、現代的な発想でもありますね。
    マイナポイント申請とかとも似てませんかね~。

    ウマおじさんとは、馬面な人だからそう呼んでいたんですね。
    そんなに喋る人じゃないし、ものすごく
    ユニークでもなさそうだけど、静かでありながらも
    人の心を確実にとらえる人っているんですよね。

    優しい口調で話す時の声の魅力もいいですね…。
    声の魅力も大事ですね。聞いて心地いいです。

    ウマおじさんとは違うタイプかもしれないけど、
    前住んでいたところのインド料理屋の店主さんは口数はそう多くないけど
    人の心をとらえる人でした。
    そんなに口をきくわけでもないし、押しだしも強くないのに
    不思議と個性的でもありました。
    静かなのに印象に残り、人の心をとらえる人が羨ましいです。

    大事にしないなら娘をトラックに載せて貰ってくぞという口癖も面白いです。

    そんなウマおじさん・・・末期の胃がんで
    入院したんですね。早くに病院に行けば助かる確率もあったと
    思うけど、昔気質で我慢強いのが災いしたのでしょうかね。

    お見舞いではしっかり話もできたのは幸いです。
    あっという間になくなったのは残念ですけど…。
    お見舞いの時、意識があったのは良かったです。

    そうですね。すっかり大人に鳴った今、
    又、話せたら楽しかったですね。
    葬儀の時、他の方から知らなかったウマおじさんの一面も聞けた事ですし…。

  11. ココ より:

    どっ子さん凄い分かります。
    更に言うと昔の大人って、電化製品でも直しちゃったり大工仕事とか何でも出来た気がする^m^

  12. ココ より:

    スナックやってるおばさんとかさすがの話術ですよね。
    楽しませる天才^m^

  13. 雉虎細魚 より:

    親戚の集まりではお偉い系のおじさんは苦手で、スナックやってたおばさんと妙にウマが合っていたのを想い出しました。あぁ、ウマおじさんみたくなりたいなぁ〜。

  14. 土偶のどっ子 より:

    自分が子どもの頃、大人って万能だと思ってた。でも、実際自分がその年齢になってみると、全然そんなことなかった❗
    私、身体は老いていってるのに、精神年齢は未だに20歳くらいで止まってるかも💦時代背景もあるのですが、昔の大人って、精神的にも今の大人より大人だったのかなと思うときあります。

  15. ココ より:

    五郎さん!私も思いますよー。
    なんか昔の大人に比べて自分ってつまんねー大人だなって思ったりします(/ω\)

  16. ココ より:

    昔はお小遣い貰う機会が多かったですよね。
    子供ながらにいろんな大人を見て空気読んだり学んでいた気がします。

  17. ココ より:

    たき子さん
    そうなのよ。最近書くことで古い記憶がよみがえってきてるんです。
    昔語りしてるお年寄りってこんな感じなんだろうなって思ってる(*´з`)

  18. ココ より:

    そうですよね(*´з`)
    親戚の集まりって人間観察の場所だったなー。

    そういい人に限ってって最近まじで実感。

  19. スティンガー五郎 より:

    子供の頃、どうしようもねぇオヤジだなぁ~って思っていた大人に、果たして自分はなれているのだろうか?
    ってフト想います。

    どうしようもない冗談を言ってその場を氷点下の極寒の地に叩き落とした近所のおじさん。
    でも憎めなくて可愛らしい人でした。

    ウマおじさん同様、既に鬼籍に入られましたが、ちょっと蒸しっとしたこんな夜。
    おじさんを思い出します。

    自分はどうしようもないだけのオッサンのような気がして・・・・・。

  20. たまぞう より:

    祖母が旅館をしていて、そのお客さんがよくお小遣いをくれました。
     今じゃ考えられないね;
     嫌な人もいたけど、お客さんだから耐えなくちゃと子ども心に思っていましたw
     面白い人、良い人もいたなー^^
     懐かしいこと思い出しちゃいました ( ´艸`)

  21. たき子 より:

    私も酒癖が悪くて嫌われものだったと後から知った叔父が好きだったなあ。子供には優しかったから。
    子供にとっては大人の事情は無関係よね。
    それにしてもココさんて昔のこと詳しく覚えててすごい!!

  22. 鳥天 より:

    昔は何かにつけ親戚知人の集まりがあって、大人を見分ける訓練になった気がするわ~。
    偉ぶっているけれど小物だったり、外面は良いけれど家では嫌な奴だとか。
    ロマンチストは舘ひろし、良い人は早く逝っちゃう…