ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

山のような料理と母親のきもち。


月餅を30個も作った。
月餅を作るのは今月これで3回目だ。
前回までは1回で10個だったが、毎回好評ですぐなくなった。

「美味しい」

珍しく夫が言った。

もう飽きてるかもしれないのに作っている。
ぐるぐる考えながら。





最近。

夫は三叉神経痛とやらで、時々頭痛がある。
夏にはコロナ。そして謎の足の痛み。
今年はこういう年なのか。


たいした事はないと言われたらしいが、痛いようだ。
心配だしなんだか気持ちがへこむ。


なので黙々とひたすら美味しいと言った月餅を作った。



ひたすら作るおかず。




母親とは家族の誰かが、

「うまっ!」
と褒めてくれるといつまでも覚えている。



母も姑もそうだ。

母はよく人参の子合えを作る。


「これ大好きだったよね?」

といつも言われるが、正直そこまで大好きではない。
でも好きだと言ってありがたく食べる。

過去の自分、小学生あたりの自分がある日食卓で「おいしい」と言っておかわりしたのだろう。
そして、母はそれをずっと覚えているのだ。

姑を見ていてもそうだ。

無表情で黙々とたいして感想も述べずに食べる夫が、何の気なしに
「うめぇ」と呟こうものなら、そのおかずが以後、何度となく登場する。




美味しいものを食べさせたい。
喜ぶ顔が見たい。

小さい点のような心配事が芽生えた時も
母親はひたすら料理をする。



最近は母や姑の気持ちが良く分かる。




入院前夜の晩餐。

私は高校生の時に1ヶ月入院した。
当時、しょっちゅうお腹が痛くなっていた。
原因不明のじんましんもよく出て、
掻いてお腹周りにみみず腫れができたりしていた。

普段は元気で能天気に過ごしているのに急に「腹が痛い」と言う女子高生。

「また痛いの?」
最初、親は呆れてたぶん怠けや思春期の嘘だと思っていた。

それでもある日、念の為に病院に連れていかれた。
午前中検査をしてから、午後に学校に行った。
遅刻して学校に行くのがラッキーくらいの気持ちで病院に行ったのを覚えている。


その日、学校から帰ると母は忙しそうに台所にいた。
そしてやけに饒舌に感じた。


鍋から湯気が立ち上る狭い台所。
せわしなく料理する母親。
珍しくもない光景だったが、なにか様子が違うのは並んでいる料理が尋常ではない量だった。

皿に積まれたいなり寿司。
肉も魚もある。
玉子焼き、人参の子合え…
生地を一気に入れてフライパンの大きさに焼いたデカいホットケーキ。

どうしたんだろう。



「明日、入院の準備して病院に来なさいって」

意味が分からなかった。


検査の結果は一週間後のはずだったが、先に出た結果が悪く電話が来て入院して細かく検査をすると言われたらしい。

肝機能の数値が異常で、じんましんが出るのはそのせいだった。
十二指腸潰瘍もあり入院してからなぜか肺炎も発症した。
色々と弱っていたが原因不明。


結果としては1ヶ月の入院で回復したからたぶん大したことではなかったのだろう。




どうしよう。
きっと大丈夫だ。
どうしよう。
食べさせなきゃ。
行ったり来たりぐるぐる考えながらひたすらこしらえた大量のおかず。

せわしなく作りながら頭を整理する時間。

ご飯が食べれる平和な時間。

「これ美味いな」

家族のその言葉を決して聞き逃さない。

「もっと食べなさい。」

山盛りに盛られたご飯。


最近になってようやくあの気持ちが分かるようになった。


                  ココ