車で30分の通勤時間。
雪道だと、もう少しかかる。
田んぼの中を走る。
心の整理をしたい時、長い車内での時間は助かる。
好きなだけ、泣く事もできる。
ひとしきり悲劇のヒロインになったら、
急にスンとなって我に返る。
あきらめる。
この言葉は、物事を明らかにするという意味だという。
私は今まで、3度同じような経験をした。
異常なくらいの胸騒ぎ。
たまらない不安。
急に誰かの顔が頭に浮かぶ。
その人がどうしているか気になる。
居ても立っても居られないような気持ちが、何日も何日も続く。
一度目は20代。
一睡も出来ずに夜が明けた朝、実家が大変な事になってしまったと、父から電話が来た。
二度目は30代。
突如として心配でたまらなくなった人がいて、その数日後に早すぎる訃報を聞いた。
何も聞いていないのだが、胸騒ぎを感じる時は必ず何かが起きた。
野性の本能のようなものなのかもしれない。
実は、この不思議な感覚が、ここ最近もあった。
年末あたりから父の事が、やけに頭に浮かんでブログに書いたりしていたから、聞いた時、案の定という感じだった。
20年以上消息も分からなかった父について、非常に過酷な現状を知ることとなる。
父は、すでに認知症だった。
少し美化された愉快な父が私のブログにはいる。
きっと私の心の中で、諦めきれないものが、くすぶっていたのだろう。
ありもしない、解体された家族の幻を、ずっと見ていたようだ。
父について、ひとしきり車の中でわぁわぁ泣いた。
その後、急に耐えられなくなり車を停めて、外に出た。
車の中の異様な匂い。
野良猫のうんこを、長靴で踏んでいたようだ。
目が痛くなりそう。
長靴を雪になすりつけながら、おかしさが込み上げた。
その後、冬の北国で窓を開けながら運転した。
どんなに苦しい時でも、私のやることには、いつも少し可笑しさがつきまとう。
ココ