七夕はいつも雨が降っているような気がする。
今年は織姫と彦星がうまいこと会えたのだろうか?
一年に一回しか会えないって積もる話もあるだろう。
今の時代ならば毎日のようにSNSで会話ができる。
織姫と彦星もあんがい平気で、そこまで久しぶりな感じもしないのかもしれない。
さすがに一年に一度だから、同じ部屋にいておたがいスマホを見ているなんてことはないだろうが・・・
たまにであれ会えるのは、生きていてくれるから。
それでも普段それがものすごく貴重だってことを
ついつい忘れてしまう。
のこしてくれた思い出。
末っ子には小学校の時にお世話になった恩師がいる。
吹奏楽の顧問の先生で、朴とつとした雰囲気がのっそり熊さんという感じだった。
忙しい先生が練習に立ち会えないときは、保護者が交代で練習の部屋に立ち会うのが通例だった。
毎日毎日同じ曲。
なかなかこない先生。
ダレてくる子供達。
女の子同士のいさかい。
「ああ、めんどうだ。早く先生が来てくれないかな」
「それより夕飯はどうしよう」
先生が来ると練習している子供たちが一気に引き締まる。
「よかったらお母さん聞いていってください」
演奏を披露する。
そのうち先生は指導に夢中になってしまい、親に帰っていいというのをすっかり忘れている。
「ああ、いつになったら終わるのだ」
子供たちは気がついていて少し笑っている。
いつまで続くのだろう。
この時間。
眠くてあくびを噛み殺しながら何度も聞いた演奏。
それが七夕という曲だった。
強豪校だったその学校の、先生の十八番の曲だった。
何であってもそうだけど、永遠に続くかと思う時間。
すこし退屈な日常。
飽き飽きしたいつもの顔ぶれ。
眠くなるようなひと時。
そのさなかにいる時、
それが信じられないくらい幸せな時間だということに
人は気がつかない。
夕方、まだまだ続く吹奏楽の演奏を背中に聞きながら
やっとあの場から解放されたと薄暗い廊下を歩く。
まだ小さい靴が並んだ小学校の昇降口。
ご苦労様ですと遅くまでいる先生たちに頭を下げて帰路につく。
夕方の学校の空気。
娘が小学校を卒業し、コロナ禍になって中学3年生の春。
先生が、休職された。
とても痩せたという、噂を聞いた。
それから一年も経たずに
本当にあっという間に
空に旅立った。
受験生だった冬、娘はお葬式の帰り、車の中で慟哭した。
届けたい想い。
吹奏楽コンクールの地区大会は、毎年七夕の頃行われる。
高校3年生になった娘。
最後の吹奏楽コンクール。
地区大会の前日。
今年も、娘と七夕を聞いた。
あの小学校の音楽室で演奏していた七夕を娘と聞いた。
あんなに飽き飽きしていた曲だったのに、一瞬であの頃を思い出す。
弾むような指揮を思い出す。
退屈で当たり前でたまらなく長かった。
それは過ぎてしまえば驚くほど一瞬だった。
先生は明日の演奏を見ていてくれるだろうか?
会場で見守っていてくれるだろうか?
突破する場面を見ていて欲しい。
そう言いながら七夕を聞いた。
一年に一度だけの織姫と彦星。
生きて、
顔を見て
触れて
手を握り合える。
会えるというのは幸せなのだと思う。
会えるという事の意味を
忘れそうになる。
ココ