ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

河童のいた穴。

 

 

そこは秘密の場所だった。

 

左手に山の斜面、右手に畑が続く道を進み、ほとんど流れのない堰にかかる、小さな橋を渡る。
そこから少し歩くと、足許が水気を含んだ沼地のようになり、毎回ズック靴が中まで濡れてくる。

そこは驚くほど静かで、誰もいない。

静けさに恐怖を感じながらも、その頃の私は、好奇心の方が先にたった。
毎回、つま先に湿り気を感じながら、沼地を先へと進んだ。

 

鬱蒼と繁った草木のなかに、池と呼ぶには小さすぎる1メートルくらいの水溜まりが出没する。

 

 

そこが私の目的地だった。


「おらだよ」

ここで、水溜まりの黒い丸に声をかけるとき、自分の声が非現実的に感じる。

 

そして、いつも声をかけた瞬間、しまったと思いながら水溜まりを見る。

 

 

しばらくすると、そこから河童が出てきた。



うす緑で狭い肩幅の痩せた体は、小3の私より少し小さい。
大きなギョロりとした目でこちらを見た。


 

持ってきた給食で残したパンを、そっと手渡すと河童は受け取り、いつも食べるでもなく、それを持つ自分の手元を見ていた。



私はいつも、そこら辺に生えている草をむしったり、枝で水をかき回したりしながら、ただなんとなく、しばらくそこで一緒に過ごしてから家に帰ってきた。

 

河童も私も、何も話す訳ではなかったが、なんとなくお互い心が通じているような空気があった。

 



その頃の私は、非常におとなしい子供だった。


一人で過ごすのが平気で、クラスでは好かれても嫌われてもいない存在感のない子供。


 

公園で大人数で遊ぶ時も、いれてもらえているが、途中でいなくなったとしても誰も気がつかないような
そんな子供だった。

 

 

 

 


そんな私が、たった一人で会いに行く相手が、小さな水溜まりに住む河童だった。


 

 


そこに、言葉は必要なかった。

 

 

 

 

その年の秋の終わり頃、私は風邪を引き、10日あまり学校を休んだ。

 

もともと丈夫ではないほうで、風邪が治ってからも、しばらく調子が悪く、学校に行くので精一杯だった。

 

河童のいる場所に行くこともないまま、季節は急ぎ足で冬へと進む。

 

 

今頃、河童はどうしているだろうか。

 

土曜日の午後。

ずっと気がかりだった河童に会うために、小さな水溜まりに向かった。

 

 

その日は学校が半ドンだったので、おみやげの給食のパンもない。

しばらく行ってなかった事もあり、少し足取りは重かった。

河童は怒っていないだろうか。

 

 

木枯らしが吹く寂しい道。

 

 

心細さでわっと泣きそうな気持ちで、堰にかかる橋を渡り、沼地を歩き、ようやく水溜まりに着く。

 

山の中は平地よりも気温が低いからか、水溜まりは氷が張っていた。

 

いつものように声をかけても聞こえそうもない。



およそ礼儀などというものが分からない子供だったのだ。


自分と河童とを隔てる氷。

よその家の玄関を蹴破るかのように、両方の足を揃えて、氷を割ろうと水溜まりに飛び込んだ。

 

 

 

水溜まりだと思っていた小さな丸。

 

 

何処までも深いゼリーのような感触の穴。

 

 

深い深い水の中に吸い込まれそうな時に聞いた声。



それが河童なのかは分からないが、はじめて聞く声。

 



 

かえれじゃ。

 

 

 

 

かえれじゃ。

 

 

 

かえれじゃ。




 

かえれじゃ。

 

 

 


車を走らせる夕暮れの道。



すっかり様変わりした風景。


 

時々、きょろきょとあの頃の何かを探す。

 


あの小さな水溜まりだと思った穴はどこまでも深く、


私に会いたがっていると思っていた河童が言った、意外な言葉。

 

 


かえれじゃ。

 

 


会えなかった最後。

 

 

好きではなかったのか。

 

好きではなかったのだ。



一体どこだったのだろう。



あの穴はどこかにあるだろうか。

 

 

 

 

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