ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

サイギサイギ、当たるも八卦だったのか。



 

 

 



昭和の女子高生はやけに占いが好きだった。
当時私の住む田舎町より少しだけ都会の町で、手相がよく当たると評判の喫茶店があった。
指が一本短くてちょっと怖いマスター。
カレーを食べた客に頼まれるとサービスで手相を見てくれるという店だった。


インベーダーゲームのテーブルにカウンター、過去にパトカーが来ていたこともあるという、今考えるとかなりいかがわしさのある喫茶店だった。

それでも一回はものすごく当たるという手相を見てもらいたくて友達とわざわざ一時間くらい汽車に乗ってカレーを食べに行った。


女子高生がカレーを頼む=手相というパターンが出来ていたので食べ終わるとカウンターに招かれ占いがはじまった。


友達は恋愛のことを相談した。
今思うとお前はこういうタイプだとか、好きな奴がいるんだろうとか、誰でも言えるような適当な事を言っていたような気がする。
占いというよりは人生相談みたいなものだった。

その占い師。
私の番になったら手を見ながら急に苦い顔をした。
「あちゃ~」と言いながらくまなく手を見て、おまえは物凄く親との縁が薄い奴だなと言われた。
そしてできるだけ親から遠くに離れたほうがいいな。

そんな事を真顔で言われた。


おまえはなかなか秘密主義でめんどくさい女だ。

そんな事も言われた。

私は当時おっちょこちょいのおしゃべりだった。
友達にはペラペラとなんでも自分の事を言っていたし、秘密主義なんてめちゃくちゃ意外な事を言われた気がした。


なんだこのインチキやくざおやじは。


なんだかよく分からない事を言われてがっかりだった。


占いはそこまで信じていないけれど、あの時は意外だった秘密主義も、親との縁の薄さも結果的にあの親父の言ったとうりになった。



本当に手相がそうだったのか、将来が見える人だったのか
それとも適当な事を言ったのかは分からない。



実は今その町に私は暮らしていて、そのカレーハウスもそのままだった。

今は息子さんが引き継いでお店をやっているらしく、その息子さんがなんと占いも引き継いだようだ。

占いを引き継ぐってのがますますあやしい。

それでもグーグルマップの口コミには、怖いくらい当たったという書き込みもあった。
なにより何十年もつぶれずにそこにあることに驚いた。





占いはいまさら興味はないけれど、カレーはちょっと食べてみたい気もする。

 

 

 

 

それは一瞬の無邪気さだった。






当たるも八卦当たらぬも八卦という言葉は、占いの吉凶なんてものをそこまで深刻に気にする必要はないという意味なのだろう。



そんな占いの話になると、必ず思い出す母の話がある。


私の住む地域には山があって、そのふもとに神社がある。

美しい山のふもとにある神社は創建1200年余りの歴史のあるもの。

この山は平野のどこからでも見えるので昔から目印にされていて、人々の信仰の対象でもあった。

今でも旧暦の八月一日には「お山参詣」と称して各地から人々が集まって
向山、宵山、朔日山、と三日間に渡って参拝者が練り歩く。


最終日の朔日山は未明から山頂を目指して懐中電灯の明かりを頼りに岩場を登り山頂でご来光を拝む。



私は信仰心のかけらもないので、一度も見物したことはないのだけれど毎年ニュースになり今年は九月十三日から始まるらしい。

 


昭和の初期、それはちょっとした祭りのような感じだったようだ。



今では車で簡単に行けるけれど昔は各地から集まった参拝者が山のふもとに泊まっていた。それ自体が娯楽としてにぎわっていたのだろう。
境内には参拝者に、そばやおでん、氷屋さんやおもちゃ、革細工や横笛などたくさんの出店が出て
練り歩く人たちを見がてら、そこに足を運んだのだ。


幼い子供だった母は、母である祖母と叔母と一緒に山の温泉で湯治をしていた。
湯治は退屈だったのでその日はお山参詣を見物しに出かけた。



出店を見て歩きながら、今で言うところの占い屋さんなのだろうか
八卦の店が目に入る。

母は「はっけ」と言っているので通称としてそういう呼び名だったのだろう。



どうしても買いたいと何度も言う母に、祖母は心から嫌がって怒っていたようだ。

こんなもの気持ち悪い。
買ってはだめ。

本当に嫌がっている様子の母親。
ダメと言われるほどにそれが魅力的に見えてしまうのが子供だ。



あまりにも欲しがってそこから動かない母を見て買ってあげればいいじゃないと叔母が助け船をだし、祖母もしぶしぶ許した。
八卦の男から一枚選べと言われて喜んで選んだ。




二つに折ってくっついた紙をめくると、その中は何のことはないただの真っ黒い紙だった。
色で運勢を占っていたのかそもそも子供相手のインチキなのか。


それを見て祖母は悲しそうに顔をゆがめた。



「縁起でもない、そんなもの。」




あの時の祖母の年齢を私も母も越えた。

 

 

それでもいまだに悲しみは癒えないのか、母はあの神社を嫌がりいつも話す。

 

 

あのにぎやかなお祭りの中で見た真っ黒な紙が心の底から怖くて、取り返しのつかない事をしてしまった後悔で雑踏の中を母親の背中を見ながら必死で歩き続けた。




そしてその年の冬。


まだ50代という若さで風邪をこじらせてあっという間に祖母は亡くなった。


不吉なものを欲しがってしまったから、母が自分の前からいなくなってしまった。
幼い母の後悔。

母の死という出来事と結び付けられてしまったあの黒い紙。





高齢者になった今も話すあの黒い小さな紙を見た時の恐怖。

なぜ八卦なんてやろうと思ったのだろう。



サイギサイギ

ドッコイサイギ

オヤマサハツダイ

イーツニナノハイ


少し物悲しい登山囃子と掛け声。


サイギサイギとは過去の罪過を悔い改めてこれを謝す言葉で懺悔という意味だという。




雑踏の中歩く幼い母を思い浮かべる。

懺悔というほどの罪ではなかった子供の頃の戯れをいまだに悔やむ母を見ていると、幸せと不幸せはいつも背中合わせだと考える。





幸せの陰に潜むものがいるからこそ、その一瞬はかけがえのない物なのだろう。



       ココ







 

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