ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

毒親と言う言葉で片づけるのは少しかなしかったりする。

 

趣味は悩むことなのかもです。

 

 

 

 





ちょい前の数日間、なかなか寝付けなかったり食欲が落ちたり意味もなく涙が出たりの日々が続いていた。
胃の調子も悪くて検査をしに行ったし変な耳鳴りも続いた。




きっとこの暑さや更年期のせいもあるだろう。

 

 

 







演技派なので。

 

 

 

 

自分の仕事が休みの日は、朝だけは夫の目の前できびきび家事をこなす。

家族がそれぞれの場所に出かけてからは、途端に体が鉛のように重くなる。


自分の中の問題だからあまり心配させずにうまく元に戻りたい。

 

 


時々、急になにもかも面倒になって消えてしまいたい衝動に何度もかられた。









こんな時は一旦とことん落ち込んで、自分のめんどくささと付き合うしかない。

以前30代でカウンセリングを受けたことがあったのだが、カウンセラーに全く本心は話さなかった。

その時は体重が10キロ減ってしまい病院に行って胃の検査をした後にカウンセリングを勧められ仕方なしに受けた。
カウンセラーが期待しているような答えは何だろうかと考えて話していた。




悩む自分を演じて話しているような感じ。





 

 

立ち上がるための最終的な自分のカウンセラーは自分しかなれない。











毒親育ち

 

 

 

 

お盆あたりに毒親育ちという言葉が旧Twitter、Xのトレンドに何回か入っていた。

この言葉を見るとちょっと複雑な気持ちになる。


私のように親との関係が希薄だとお盆や正月は疲れる。

ややこしすぎる内面を決して表に出すまいと必死になっている。

夫の親戚に自分の親のことを聞かれたくない。


いつ何を聞かれるのかが憂鬱になる。


きっと親がどうしているか聞くなんて世間一般の単なるご挨拶なのに、意識しすぎてしまう。


おかげさまで元気にしてます。

元気で良好な関係の普通の親がいる人は、こんなことで悩む気持ちは到底理解できないだろう。





悩む?

私は一体なにに悩んでいるのだろう。

悩んでいるのかというと、それもなんだか違うのだ。









普通。


憧れのふつうの家族。


親族が集まって談笑する場面。
当然のように高齢の親を心配したり、冗談を言い合って笑い合う。
何に緊張することなくつろげるのが身内。








私は親に対していつも緊張感があった。
それは普通ではなかったのだと、否が応でも違いを感じるのがお盆。





そしてそんなどうしようもない親であっても、普通に親戚づきあいが出来ないような生き方をしてきたことを、今ごろ悔やんでいるのだろうかと考えてしまうのがお盆。


数日間だけのお盆に今年はやけに気持ちを持っていかれた。




その反面どこかで分かっている。


私はたぶんあと数日で嘘みたいに吹っ切れる





世の中にはもっと大変な悩みや苦しみがあるのに、なんてちっぽけな私の憂鬱。



おそらく誰もがこんな風に、心の中の誰にも話せない真っ黒い感情を持て余したり
苦しんだりしながら生きている。


いつも笑っている人だって、きっとたくさん泣いたのだ。






夫が帰ってきた。
娘が帰ってきた。



家事も食事の支度も
夕飯までにはどうにか間に合った。


何時間もあったのに大したことが出来なかったせっかくの休日。

そんな日があっても別にいい。




一日の終わりに夜ごはんが普通に食べれて、無事、家族が布団で眠りにつけたらそれで充分だ。




 



                  ココ