ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

念願のトロッコの中で。

ロッコに乗った。



ロッコには今まで乗ったことがなかった。
子供の頃に芥川龍之介のトロッコを読んでから乗ってみたいとずっと心の片隅で思っていた。
本が好きな長女とも話すトロッコの話。
ロッコという言葉の響きもなんだか好きだ。


ロッコの箱に乗って移動するというのがなんとも魅力的に感じる。
本の中では確か炭鉱だったが、廃線になった線路を利用したトロッコが隣の県にあったのでドライブがてら行ってみた。

大人になった今、あの箱に乗って山の中を走り
景色がどんどん後ろに流れていく様を体感してみると
まるで子供に帰ったようにウキウキした気持ちになった。

とてもゆったりした贅沢な時間だった。









現実ってとうぜんだけど現実的。



私は長いこと父親と会っていない。

親の離婚で何十年も片方の親に会わないでいる人なんて珍しい話でもないだろう。
人生で肉親とずっと会うことなく過ごすなんて、普通でもよくあることだ。


会うことがないからこそ感じるのは
父親という存在がなければ私はこの世に生まれる事はなかった。


ということは、自分の子供たちもこの世にいなかったのだ。
そう思えば、そこだけは感謝すべきだろうと思う。


一匹のいのちの素
私になる素を提供してくれたことに、
まじですごい感謝。

どこかでなにか少しが違っても私ではなかったのだから。




父はビックリしてまわりが引くくらい、超身勝手で自由な人間だった。





家族と食事をすることなく毎晩のように酒を飲み歩く父。
酒に酔って帰宅し暴れそこから始まる夫婦の喧嘩。
気にくわないと、なんの躊躇もなく子供に手をあげる父。

でもそういえば父は、私には暴力を振るったが
母に手をあげることはなかった。


あれはきっと父なりの子育てや躾だったのだろう。
私は嘘つきだったし、子供の頃からどこか俯瞰して、
たまに生意気なことをいう子供だった。





いつかずっと会ってない父に会う


ブログを始めた頃はそんな綺麗事を書いた。
それは嘘ではなかったのだけれど
たぶん私の本心ではなかった。
どこかで無理ではないかと分かっていたような気がする。


私の想像の中の再会。


いい感じにみじめでよぼよぼした老人で、
泣きながら私に謝罪して
知らない間に存在していた3人もいる孫に驚き
感動していた。


テレビ番組の肉親との再会シーンのような和解がいつかあるのかしらん。

きっと会わないと思っているから考える夢想だったのかも知れない。







最近。

母との会話で、本当に唐突に父を見かけたという話を聞いた。


酔っぱらって母の団地の周りをたまにうろうろしている父。
数年前には夜中に大騒ぎをして恥ずかしい思いをした事もあるという。

なにも知らされてなかった現実。
そして母の苦悩。

玄関にバットを置いているのはそのためだと、あっさり話す母。
なんとも物騒な話をする母を、子供の頃のような気持ちで見た。


「そうだそういえば私は、こんな想いを何度も何度もしながら育ったっけ。」
「そうだった、そうだった。」
「いまだにそうなのか」

現実というのはやはりドラマのようにはいかない。
私の中のお涙頂戴ストーリーが一気に冷めたのだ。


気持ちとしてはブログをスタートした時点の
ふりだしにもどる


つなぐ大切ないのち。



ギリギリで決めて突然帰省した大学4年の息子。
父に似た自由人なところがある。
上の娘も帰ってきたのでみんなでドライブに行った。
息子はこれからずっと卒業まで忙しいので、しばらく帰らないという。
こんな感じで揃うのもきっと今だけだろう。


ロッコの箱の中に家族でいそいそと乗り込んだ。
どんどん景色が後ろに流れる。
ガタンガタンと走る。


考えてみると家族なんて皆で過ごせるのは
あっという間だと過ぎてしまってから気づく。

きっと父だってそう思っているのだろう。
だからうろうろしているのだ。




物語の中で主人公は、念願叶いトロッコに乗せてもらい、
呆気にとられるほど遠くまで来てしまった。

「われはもう帰んな」

無責任にもそう言われ、途中で降ろされる。
無我夢中で線路を走って家族の待つ家へと走った。


こんなはずじゃなかったという絶望感。


竹藪を越え、暮れていく夕焼けの空を不安にかられつつ山の中をひたすら走る。
家に着いたときに初めて安堵して泣くあの夕方の家の香り。


はじめて、親から切り離されたような自分の人生を感じる不安な気持ち。



今それを想像できるのは私にも子供の頃、家路を急ぐ帰りたい我が家があったからだろう。
そう考えると毎日が不幸なわけではなかったのだ。





通りすぎた景色も、流れた時間も決して引き返すことは出来ない。
家路を急ぐ子供だった私も、今では親になった。




限りある人生の時間。
私の力で父と母をなんとかして幸せにしなければという呪縛。
そんなものは、そろそろ手放す時期に来たようだ。



ロッコの中の大切な我が子。
そろそろ私は私の人生を生きるべきなのだ。

父から与えられたいのちの素。
それを引き継いでいくという事。


流れる美しい景色。
うしろにつながる線路は今までの人生。


ロッコはいつまでも乗っていたかった。


                     ココ