寿司が好きだ。
私にとって寿司はせつないご馳走なのだ。
今でこそ回転寿司が寿司を身近なものにしてくれたが、昔は寿司は特別だった。
夜中酔いつぶれた父が大声を出しながら帰宅し、無理やり起こされ眠い目をこすりながら食べた折詰に入った寿司。
できれば起きているうちに家族で普通に食べたかった。
「寿司だよ起きなさい」と言われしょぼしょぼした目で居間にいくと、蛍光灯がやたら目に眩しい。酔っ払って帰ってきた父と連日の飲み屋通いにムッとした母の殺伐とした夫婦の雰囲気の中で食べる寿司。気味の悪いシャコとかコハダとか余計なものも入っていて、薄い折詰に紐でくくった酔っ払いがご機嫌取りに持って帰るお土産の定番のアレだ。
でも酔いつぶれながらも寿司屋の親父に折詰を頼む時、少なくとも寿司の好きな家族の事を思い出していたのだろう。
田舎娘の上京が近づく。
高校を卒業し就職先の関東に上京することになった。
寮生活をすることになり期待に胸膨らませながら上京する日を待った。
就職試験で同じ県出身の2人と仲良くなり幸い3人とも採用された。一緒に同じ日に夜行寝台で上京することになりとても心強かった。
上京までの間の父は、いかにこれからの大都会での暮らしが大変かを語ったりした。父は中学を卒業して集団就職で少しだけ関東で生活していたのだ。ほんの短い間だったのにいかにも都会暮らしの先輩という感じで語っていた。後から確認した父が暮らした土地は神奈川の端っこのほうでお世辞にも[大都会]ではなかったし 、私の住んだ関東の街も別に大都会ではなかった。だがその頃の私にはわかるはずもなく春から始まる大都会での生活を心待ちにしていた。
そしていよいよ上京の日。
「お前の好きな寿司を頼んだぞ」
「持って行って寝台でも食え」
夕方父はそう言った。
夜行寝台の時間まではまだ時間はかなりあった。
素直に嬉しいと思い寿司が届くのを待った。
買ってもらった一張羅の服を着て、持っていく荷物をまとめ準備万端。あとは寿司を食うばかり。
でも
待てど暮らせど寿司は来なかった。
こない
どした?
こないな…
えっと寿司は…
父は寿司屋に電話をした。
どうなってるんだ?
なんだと!作ってない?
とっとともってこい!!
寝台の時間があるんだ!!
娘が寝台に乗るんだ。
さぞかし電話の向こうのおじさんは恐縮してるだろうな…気の毒。
町内の寿司屋のおじさんはどうやって握ったかと思う程の超特急で寿司を持ってきた。寿司折りが5パックと寿司桶が届いた。すみませんねと言いながら。
「寿司折りのほうは全部持って行って一緒に行く友達と食べるんだよ。」
母に言われた。
めちゃくちゃ嬉しい。
死ぬほど寿司が食える。
今日はすごいな。
母と弟と寿司を食べていたら違う寿司屋から電話があった。
電話で頼んだ寿司は何時に取りに来ます?
父は電話帳を見ながら注文した寿司屋に夕方自分が取りにいくと言っていたのだ。
それをいつも行く寿司屋に持ってこないと怒っていたのだ。よく似た名前の寿司屋だった。
最初のおじさんはとんだ濡れ衣だった。
来るわけないじゃん。
大丈夫かな親父。
父が寿司を取りに行った
ものすごいでかい寿司桶と5パックの寿司折りを持って父が帰ってきた。
最初の寿司屋にヘラヘラしながら電話をして珍しく申し訳なさそうに謝っていた。笑われたようだ。
出発までずっと自分の失敗をニヤニヤしながら話す父。
お腹いっぱいで家を出た。
駅のホームで寝台を待つ私の手には合計10パックの寿司折りがあった。
どうしても全部持っていきなさいと言われたのだ。
こんなにたくさん食えないから…
寝台が来た。
合流した友達と3人。
そしてそれぞれの家族や友達がホームで別れを惜しんでいた。
ちょうどその頃は上京の時期で、ホームには偶然違う友達を見送りに来た同級生の男子もいた。
ホームに溢れる見送りの人だかり。
ちょっとスターみたいじゃない?
同級生の男子は私の弟を肩車してくれた。邪魔だどけどけと1番前に来てくれる。
「ほらお姉ちゃん見えるだろ」
寝台列車のドアが閉まる。
弟は肩車で嬉しそうに手を降っていた。
母は寂しそうに、でも笑顔でこっちを見ていた。目が合うと頷いた。
父がいない。
見回したがどこにもいなかった。
ま、いっか。
どうせ飽きて煙草でも吸っているんだろう。
寝台が走り出しみんなが見えなくなった。ドキドキしながら自分の朝までの寝場所を探す。
自分の寝台のスペースでカーテンを閉めて3人それぞれが、ただただ泣いていた。
その時間。
脳裏によぎるものもべつべつにあったのだろう。鼻をかんだり泣いたりスターは自分の世界に浸るのに忙しいのだ。
私の心は希望に満ちていた。
色々な事があった田舎からの上京。
正直苦しい気持ちも多かった。
これからは自分の足で立って生きていくんだ。最後に目が合った母の頷き。様々な事情で一緒に過ごす時間が短かった弟。ほんの少しだけ心が痛かった。
時計の針が進み、寝台列車は田舎から半分くらいまで都会に近づいた。
3人ともとっくに泣き止みそれぞれのカーテンはすでに開いていた。
よし寿司を食おう。
腹が減った。
3人で10パックの寿司折りをひたすら食べた。
あんなに食えないから多すぎると文句を言った寿司はびっくりするくらいうまかった。
友達が、
「親ってありがたいね」
と言いながら再びうるうるしながらめちゃくちゃ食っていた。
親ってありがたい…か。
そんな事今まで思った事あったかな?
寿司の注文を間違えるくらい動揺していた父は、ホームの柱に掴まって号泣していたと後で母から聞いた。みっともないほど泣いていたらしい。
色々上手く出来ないバランスのとれていない人なのだ。涙もろいけど無責任。寂しがり屋のくせに家族を大切に出来ない性分なのだ。あの日から数年後父は酒とギャンブルで結局一人ぼっちになってしまった。
あれから20年以上か。
毒になる親。
果たしてそうなのだろうか?
単なるおバカさんだと思えば楽になれる気もする。あんなに恐ろしかったあの頃の父は今の自分より若造で今は全く怖くない。
少なくとも18歳のあの日の寿司が
信じられないくらい美味しくて、あの日の両親の私の門出への愛情表現だった。
18年間色々おかしな父親だった。
10パックの寿司。
でも寝台で食べた10パックの寿司折りは、めちゃくちゃ父らしいお土産。
だから今でも寿司が好きだ。
ココ