小さい頃から恐ろしいほどドンくさくて、そのせいでしょっちゅう転んだり怪我ばかりしていた。
よくぞご無事でと自分でも思う。
昭和のがっこうがえり。
小学校の帰り道。
私の家は火葬場の隣で町のはじっこだったので校内一二を争うくらい学校から遠い。
土曜の午後は半ドンだった。
次の日が休みという喜びもあってダラダラみんなで遊びながら帰った。
途中から家が遠いグループの数人の男子といつも一緒に帰った。
それはそれはのどかな田舎の夏の日。
順番に川というか堰をジャンプすることになった。
そこは子供にとって勇気が試される場面だ。
皆次々と勇敢に飛んでいた。
全員が思い切り良くテンポよく飛ぶ。
みんながあっという間に向こう岸に行ってる。
そこは川幅もあり流れが怖くていつまでも飛べなかった。
あまりにも飛べないので腹が減ってきた男子はとろい女子など待っていられるはずもなく
先に帰っていった。
誰もいなくなってるのに、その日は堰を飛ばずに迂回して帰りたくなかった。
迂回イコール負け犬
そんな気がした。
呼吸を整え、自分にしてはかなりの勇気をだしてジャンプした。
向こうまで届かずすぐ堰に落ちた。
全然惜しくもなんともなかった。
幸い、たいした深さではなかったが膝から下が泥だらけでセミがジリリと鳴く中とぼとぼ家に帰った。
お騒がせ野郎だった。
わたしのふるさとは冬はかなり雪が積もる地域だ。
そのなかでも特別、いつもに増して豪雪な年があった。
今では考えられないが友達の家が雪で玄関が埋まっていて裏の勝手口から入っていた。
家に入ると1階が雪のせいで真っ暗で夜のようだった。
昼なのに電気をつけているのが物珍しくて面白かったのを今でも覚えている。
子供部屋は2階でその日は友達と4人で遊んだ。
最初は部屋でマンガを読んだりトランプなどして遊んでいたが、雪が物凄く積もっているから屋根から下に飛べるのではと言うことになった。
皆で大騒ぎして下に長靴を取りに行った。
窓から屋根に出て、一人一人ジャンプすることになった。
二階からジャンプ。
今思うと怖い遊びだ。
でもかなり雪も積もっていたし、そもそも昭和は大人が子供のすることにあまり干渉してこなかった。
悪いことをすると容赦なくなぐられたりしたが、昔は子供達が勝手に色々な遊びをした。
凄い流れの川をジャンプしたり、マッチだったり。
筆箱には鉛筆を削るナイフが当然のように入っていた。
今のお母さんが見たら悲鳴のような危ないこともやっていた。
一人一人ジャンプをして屋根から飛んだ。
残るは私だけだ。
「全然大丈夫だよー」
「早く来なよー」
みんなゲラゲラと笑って下で雪と戯れている。
堰のジャンプと同じで次々とテンポよくフワッと屋根から飛んでいた。
いいなぁ・・・
こんな時にみんなと同じことがスッと出来ない子供だった。
下を見ると思ったより距離があるように見えた。
急に怖くなった私は小さく丸まってしゃがんだ状態で屋根から飛んだ。
ほんの一瞬のできごと。
次の瞬間には下にいた。
とんだお騒がせ野郎。
飛んだ瞬間、自分の顎と膝がぶつかるガツンという音が耳に響いた。
耳に響く鈍い音だった。
しゃがんで飛んだせいで自分の膝に顎が当たって舌を思いっきり噛んでいた。
口の中が変な味がしたので、びっくりして吐き出すと雪の中に真っ赤な血が飛び散った。
私以外の3人が血を見て完全にひいている。
そこの家の友達が前のめりでお母さんを呼びに行った。
たいへんな大騒ぎになり私は送ってもらって家に帰り、残りの3人その後みっちり怒られたらしい。
結局大したことはなくて、しばらくガーゼを噛んでいたら止まっていたが何故かその日は牛乳をたくさん飲まされた。
なんの根拠からか母は鼻血を出した時も牛乳をたくさん飲ませる。
牛乳を万能薬だと思っていたのだろう…
血は争えず・・・
息子は。
しょっちゅうケガばかりして帰ってきた。
公園の藤棚から落ちて流血しながら病院に行った。
坂道を自転車で降りながら転び血だらけで帰ってきた。
庭で転びあごに石が突き刺さり救急病院であごを縫った。
そして息子は普段から牛乳をよく飲む。
危ないことをしながらもどうにか育ってよかったとつくづく思う。
私も息子も。
ココ