ココからのブログ

昭和生まれの50代ココです。

最高。もうおこられない大人の夏。

もう夏バテ気味で夜はビールで麦の栄養を取っている。
固形物があまり食べたくない。

そういえば暑さに弱かった。
夏は好きなのに。

子供のころの夏は大変。



近年稀に見る豪雪だった昨シーズンの冬。
1日だけ30度になって雪を溶かしてくれないかと本気で祈った。
夏は雪がないから歩き回れる。早く夏になれとあの頃は待ち遠しかった。
でもいざ夏になって30度を超えると全てのやる気が消えていく。


考えてみると小さい頃から夏が好きだけど苦手だった。

私は小学校の頃肌が物凄く弱くて、夏はあせもが本当に酷かった。
いつもかきむしっている子供だったので母親は気を揉んだだろう。

風呂上がりには母に竜田揚げの鶏肉くらい、シッカロールの粉を体中にまんべんなくまぶされた。
あきらかに今思うとつけすぎでかえってよくないと思う。
なにをやるにも加減がおかしいのは、私もそうだ。
粉まみれになったあの昭和の頃よく使われていた丸い缶。

シッカロールというベビーパウダー




膝の裏や、腕がいつもぐちゃぐちゃにただれているようなお肌よわよわな子供。

風呂には綿の布で作ったヨモギの葉っぱを入れた袋が浮かんでいた。
夏はいつも体が痒くて、しょっちゅう風呂のヨモギ汁の中にしばらく浸かっていなさいと言われた。



肌だけでなく暑さにも弱くよく熱を出した。

食欲もなくなり遊びに行けず横になりタオルケットをかけられて横になっていた。
気持ち悪くて全然食べられない。
いま思うときっと熱中症だったのだと思う。




ズルをするこども時代。

夏は好きなのだが苦手なことが多かった。

小学校の時。
かなり学年が進むまで水に顔をつけられない子供だった。
クラスに何人かいる水が苦手などんくさい子供だ。

4年生のプールの授業のある日。
家に水着を忘れて登校した。
今思うと親が届けてくれても良さそうな気もするが、昭和の親はぜんぜん子供を甘やかさない。

担任の女の先生に家まで取りに行ってこいと怒鳴られた。
本当に鬼のように怖い先生だった。
悪いことをすると一列に並べられ、はじから順に木の三角定規か素手で殴られる。
殴る前は

「歯を食いしばりなさい」と言われた。

今では考えられない。
かなり遠くの家までおびえながら全力疾走で走って帰った。

家に着いて水着のバックを持った。
学校までの帰り道。
今度はゆっくりゆっくり歩いた。

歩きながら考えていた。
考えてみるとそもそも毎日家から30分以上かかって学校に行っているのだ。
それを往復したところで授業に間に合うわけがないではないか。
急いで学校に帰る意味がないのでは・・・

できるだけゆっくりゆっくり歩く・・・



途中。

学校の近くの時計屋さんで時計を見ると、残り時間が10分くらいしかなかった。
いつも時計屋さんを通る時、どの時計の時間が正確なのか分からないので真ん中の時計を見ることにしていた。

しめしめと思いながら学校に着いた。
プールサイドにいる先生の横を通り過ぎる時だけ、さも急いで全力でずっと走ってきたような雰囲気を出した。
私は反射的にそういうことをする小賢しい子供だったのだ。


教室に着いて時計を見ると残り時間が5分もない。

心底嬉しく牛歩作戦大成功だ。

一応水着を取ってくるという義務は果たした。
でも授業終了時刻なのだから仕方ない。
どうせ今更着替えをしたところで、授業は終わるのだ。
教室に座ってみんなが戻って来るのをそのまま待っていた。


しばらくぼーっとしていると、1人の男子が走って来た。
そしてドアの外から大声で言った。

「先生が遅い、はやく着替えて来いって怒ってるよ!」
「呼んで来いって言われたから早く来いって」




走り去る足音を聞きながら、恐怖で震えながら着替えを始めた。
絶望感。
まさかの2時間続けてプールだったのだ。
一人のろのろと歩きプールに向かった。
生ぬるい消毒に腰まで浸かりながら、担任の先生の鬼のような顔を思い浮かべ泣きたい気持ちだった。



一時間遅れでプールに登場した私を一瞥した先生のあの目。


いまだ忘れることが出来ない・…
怖かった。

だんだんたくましくなってきた。





それから約8年後。
高校3年生。



私は少しだけ泳げるようになった。
ただ息つぎだけができなかった。
息つぎの格好をするたびにプールの水を飲む。
プールの授業が終わるといつもぱんぱんにお腹いっぱいだった。



明日から夏休みという日の放課後。
25メートル泳げない女子がプールに集められた。
今日泳げなければ夏休み中に何回か補習でプールに入るために学校に出なければならないのだ。
あまり頭のよろしくない高校だったが、時々妙に厳しい謎ルールがあった。
25メートル泳げないと体育の単位をやらないという訳のわからない宣言があった。
ちなみにそれは女子だけだった。


何とかしてインチキで一瞬足がついてもバレないように泳いで合格しようと必死だった。
いつものズルをして何とかする気満々だ。

でもそんなことで先生をだませるはずもなく次々に周りが頑張って泳ぎ合格していく。

昔から数えきれないほど経験してきた
出来た人から帰っていい地獄


焦りは時にすごい力をくれる。
一人で夏休みに学校に出たくない一心だ。
死ぬかと思いながら、必死で泳ぎついに25メートルプールの端に手が届いた。
足も1回もついていない。

息つぎを一回もせずに・・・
泳ぎ切った。


人間追い詰められると奇跡が起きるものだとあの時は本当に思った。

そしていまだに息つぎはできない。
そんなに泳ぎ方は下手ではないと思う。
でも残念ながら息が続くところまでしか泳げない。

苦手だらけでも夏は好き。

今の学校の体育はあんなに厳しくないようだ。
苦手なことも本当に楽しそうにやっている。

それでも昭和世代。
そもそも学校にプールがあったのはとっても贅沢だったと思う。

こんなに暑いとプールにでも入りたい。
ダイエットも兼ねて久しぶりにプールに行ってどのくらい泳げるのか泳いでみたい。
コロナが落ち着いたら市民プールにでも行きたいところだ。


今から練習して息つぎが出来るようになるだろうか?

でもおばちゃんは

プールを歩くくらいがちょうどいいかもしれない。
大人は怒られないからなんでも好きに楽しめるのが嬉しい。

夏は苦手。
でも好きだ。

              ココ