腹が減ってないのにひたすら何かを食べ続ける事が許される数日間。
昨日からずっと胸焼けしている。
幼い頃の年末。
日本は本当に地域によって風習が違って面白い。
大晦日や元旦に何を食べるかも違うし、どのタイミングでご馳走を食べるかもそれぞれの家で違う。
20歳の頃の職場の、ものすごくお嬢様育ちの先輩。
お正月は和服でお屠蘇を飲み、おせちを食べ厳格なお父様に今年1年の抱負を兄妹1人1人述べてからお年玉を貰っていたらしい。憂鬱だったと言っていた。
違う同期は年末は決まって寿司とすき焼きで、その時だけはご飯を食べながらコーラを飲んでもいいのが嬉しかったという。めちゃくちゃ価値観が合った。
私の思い出は茶碗蒸しだ。
東北の私の地域では茶碗蒸しに甘い栗が入っていた。母は茶碗蒸しを蒸し器でたくさん作る。その時ひとつだけ大きな栗を2個入れていた。それが当たりだった。
台所で出汁の匂いがしてせわしない大晦日の夕方。
こっそりと2個栗が入っている茶碗蒸しの容器の底にマジックでしるしをつけようと狙っていた。ウロウロと機会を探る。
結局。
母にみつかりそうになり未遂に終わった。くじだからダメと言われる。
どうせ酒を飲んでいる父は茶碗蒸しを食べず、人数分よりたくさん作った茶碗蒸しを何個も食べることになるのだが、2個入りを当てたいワクワク感がそこにあった。
結婚するとすこし気負っていた年末年始。
結婚するとそれぞれの家庭のやり方の違いに驚かされる。ありがたい程のご馳走が並んだ。
どんなやり方でも当然だが間違いなどなく大晦日から元旦は365日のうちの特別な時間だ。
私は最近ではあまり年越しは気負わないと決めた。
コロナで親族の集まりというお互いに頑張りすぎる機会も減り、身内のみの気軽さだ。
食べれる程度のちょっとだけにしますと家族に宣言した。
それでも、いつもいない子供が帰ってきたりするとついつい自分の中の母親スイッチが入る。
宣言を忘れておかずを作りすぎ、ご飯を昔ばなしのようによそう。さっき朝ご飯を食べたばかりなのに、みかんや菓子を食え食えとしつこく言う。
これはもう母親という病だ。
この数日間が終わると子供達もそれぞれの場所での日常がスタートする。
いつも機嫌のいい人。
優しくて他人を緊張させない人。
1人でいれる人。
子供達には偉くならなくていいからできればそんな感じの人になって欲しい。
その為に母はせっせと餌を運ぶ。
なにも手伝わず餌を食べてはスマホとテレビを交互に見ながら騒いでいる。好き勝手な暴言を吐いているが家だからこそだ。ネットでつぶやく人になるくらいなら家で叫べ。
こたつの中の足が渋滞している。
数日後に餌付けしてまるまると太らせたこやつらを出荷する。
ココ